先日、円覚寺の塔頭の如意庵さんで心温まるご接待を頂き,
テ-ブルの上に置いてあった
横田南嶺管長さんの「いろはにほへと」を入口の売店で購入し読みました。
是非、管長さんの説法が聞きたくなり、12日に出かけました。
小雨の中、戸塚駅から3人づれの年配のご婦人もこれからの様子でした。
毎回500人以上の方が来られるそうです。
20分まえに着いたのですが、ほぼ満員です。
座布団が隙間なく並べられ途中で身動きもママならぬほどに。
最近読んだ鵜飼秀徳さんの「寺院消滅」を読み、今の世の中の流れから
見てびっくりです。
入り口を入るとひとりひとり暖かいご挨拶で迎えてくださり、
小冊子「円覚」と坂村真民さんの企画展のパンフレットを頂きました。
勿論、お布施の要求もなく一般の参観者と同様に入り口で拝観料300円を納めただけです。
最初、修養聖典に沿って勧められました。
僕は、前の人の肩ごしに覗いて唱えました。
開経偈(かいきょうげ)では、いつもと違って分かり易く書かれていました。
般若心経、座禅和讃とお経が終わって管長さんのお話しです。
後日、円覚寺居士林のホ-ムペ-ジに載ると思います。
お話しを聞いていて涙がとまりませんでした。
紹介された「わすれられないおくりもの」(絵本)を早速注文しました。
大方丈の裏庭です。
横田管長さんのお話しが終わって、座禅会が始まりました。
その前におせんべいが皆さんに。
座禅会もざっと見て200人を越えていました。
希望者には、警策があります。
僕も本当の警策とは知りたくてお願いしました。
いつもホロトピックの断食会と違って「痛い!」
終わってのお話しですが、初心者には手加減をして
経験者だとう思った人には強く打ったそうです。
25分ほどの座禅でしたが、それほど足も痛くなく座ることが出来ました。
天外さんから聞いていましたが、腰骨を立てると足の痛みが少なくなるそうです。
貫首さんも本で書かれています。
昔に武士が、座禅に大変傾倒していた意味を少し感じました。
これから少し円覚寺に通って見ようと思います。
次の説教会が楽しみになりました。
横田管長さんの「いろはにほへと」(三)に
「私たちは、「悟り」を求めて座禅するといったり、何か幸せを求めて歩いたり、
旅をしたりするといいますが、どこまでいってもそんな幸せはつかめるものではありません。
こうして歩いていることが実は幸せであったと、ふと気づくことが大事なのです。
私たちは、どこかにいつか「悟り」が現れるのではないかと思って
座禅しますが、座禅をしていること自体が「悟り」なのです。
悩み、苦しみが全部抜け落ちて悟りの世界にいくのではありません。
いろんなことに悩んだり苦しんだりしている。
今この場所が仏心の中なのです。
そう信じて、ゆったりとした気持ちを持って過ごすことが大切です。」と書かれています。
円覚寺に行ったのも同じ気持ちに気づきました。
ただ,僕は泣き虫なのでその幸せを感じると涙が止まりませ。
白川学館で学ぶ「おみち」に共通したものを感じます。
人はすべて神である。そして中今を感じることであると。
円覚寺で感じた気持ちを持って今週の土曜日に
白川学館のおみちを祝殿に学びに行きます。
箱根勤行で甘酒茶屋の素敵なおばあちゃんに良く言われます。
「あんたは幸せだね。その年でこうして元気であるけることの幸せは
最高の贅沢ですね。」と。
道端で一生懸命咲いている花を見ると嬉しくなります。
ありがとうございました。
円覚寺の紅葉をお楽しみください。