おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

天外伺朗さんの瞑想断食会 その4

2015-12-10 | 山伏修行

第2日目が始まりました。

15分六字訣の声を出し、残り15分は沈黙の瞑想。

終わって、般若心経をインデイアンの太鼓に合わせてとなえます。

天外さんの警策が始まります。

勿論、希望者のみですが、背中を打たれるとすっきりします。

11時から歩く瞑想です。

ゆっくりと止まらずに歩きます。

手は丹田に。合図と共に席に戻って片鼻づつ呼吸をします。

最初はゆっくり段々早くしてまたもとに早さに戻ります。

     

      

終わると待望ののにんじんジュ-ス。

     

     

2時まで自由散歩です。

僕は、畑やハ-ブ園の探索と「写し祝詞」を焼く穴を掘りに。

青空に映えています。

     

    

ふふ山梨の自家農園です。

大根、ブロッコリ-

    

    

    

    

    

    

    

    

    

    

     

    

     

     

     

     

     

     

     

ホ-ルに戻ります。

その前に「写し祝詞」の部屋に。

皆さん熱心に書いておられました。

ありがとうございました。

明日に続きます。

 

横田南嶺さんの「いろはにほへと」から

「恥を知る」

「我参ずること二十年 只恥を知る(長いこと座禅をしてきて何が分かったか?

只自分に恥じ入るばかりである)」という言葉があります。

座禅をすればするほど、自分のいたらなさ、つたなさ、はかなさ、もろさに気づく。

何の世界でも、何か真剣に[打ち込めば打ち込むほど、

自分のおろかさ、みにくさ、どうしよもないところがはっきりしてきます。

そういう経験をして、はじめて人の弱さや痛みに気がつく慈悲の心に通じていく。

そうして、人に対して親切に謙虚になっていく。

 

自分の弱さに直面し、自分はその程度であると自覚することは、

いかに自分が取り組んでいる世界が奥深いに気づいたことであり、だからこそ、

まだ足りないと精進することにつながるのであります。    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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