横浜三渓園で大明竹とオロシマササの花が十数年ぶりに咲きました。
竹の花は、60数年から100年以上にしか咲きません。
今年は、全国で竹の花が咲いたとの記事が見られます。
三渓園では、前回の花の時期は不明です。
オロシマササは、奥の事務所の路地のところです。
笹の花でもっと大きな花かと思っていましたが、小さい花で気をつけないと
見過ごします。
三渓園では、花菖蒲が咲いています。
睡蓮も咲き始めました。
ありがとうございました。
竹の花を見ることができてほんとに幸せを感じます。
神さまの大きなプレゼントでした。
うれしいな!
次の咲く時期には、生きてはいません。
たまたま、新聞の記事に目に止まり、三渓園に足を伸ばしました。
本箱から古い本をひっぱりだして読み出しました。
田中聡著「健康法と癒やしの社会史」
この本は、今の世、健康法が華やかですが歴史的にとらえています。
自分たちが行っていることを歴史的眺めてみるにはすばらしい本です。
その中から、平田篤實の思想が今でも通ずるのですね。
外国からいろいろな事物が渡ってくると、それにかぶれた人々がいろいろと賢ら(さかしら)ごとを言うようになり、
世は乱れるようになった。また、物が増え、かかわりあいになることも多くなる。すると、
望みごとやもの思いも増え、とかく「気」が上へと上がりやすくなる。
そのことがもとになって、病気になってしまうのである。
上古の人たちは天真爛漫で悪賢くなく、心労もなかったから、
病気にはならなかった。
現在の生活のなかでは、そんなに質朴で純粋でいることなどできない。
しかし、せめて古をたずねて、おおらかな気質を真似、神の道の妙なる理を会得して、
この世のままならなさも神の御心と心得、無用な欲を捨てて心静かにすごしたいものである。
これが、篤胤の唱える養生法の要だった。
白隠の養生法と同じ行為であっても、その背景をなす思想は篤胤らしく国学風にアレンジされているのである。
篤胤はこのように、病気や養生を、社会のあり方に関連づけて記した。
太古の″失われた楽園″の生活に理想化された「健康」。
それは繁雑な都市生活に倦み疲れての反動から、
自然に囲まれた牧歌的な田園生活を夢想するような現代人の感傷とほとんど変わるとこがない。
そして、この夢には、文明化された現在の社会のありようが、生命にとっては歪んだもの、
間違ったものであるという大前提がある。
そのようなロマソ主義的な文明批評は、
近代以降に流行する呼吸法的健康法のほぼすべてに通底する思想だった。」と(p53,54)
江戸時代にもわかっていたのですね。
人は、欲望を達成するための機械装置まで発明し、その先が見えるようです。
では、あなたはなぜ淸水さんから学ぼうとしているの?と言われそうですね。
苗字に竹が入ってるので嬉しい😃です!
珍しい写真、ありがとうございました (^ ^)
見てきました。もう終わりかけだったようです。
2週間前、箱根で気をつけて見ていました咲いていませんでした。