おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

アテルイ・モレの碑での法要で天からのメッセ-ジがありました。

2016-11-18 | 日記

関西アテルイ・モレの会の主催で

京都清水寺でアテルイ・モレの碑で

森清範貫首さまの読経による法要がありました。

    

最初に、慰霊の笛を笛師森美和子さまから演奏がありました。

5本の笛を奉納されましたが、京都らしく落ち着いた心に響く音色でした。

    

    

振り向くと清水の舞台が見えます。

     

    

    

笛の音色を聞いていて自然と涙が出てきます。

不思議ですね。

でも今から1300年も前の英雄の法要など

考えたこともありませんでした。

     

空を見上げると最初は、薄曇りで時々日が差していました。

笛の演奏が終わりかけたときに

黒い雲がやってきました。

下の写真は演奏の前でお日様が見えます。

    

右の写真で白い雲の上部はほんのりと黄色みかかり、

黒い雲のの中に青いオ-ブが写っています。

最近、気持ちの高ぶりの時にオ-ブや光線などが写るようになりました。

    

    

    

顕彰碑の文章です。

八世紀末頃、日髙見国胆沢(岩手県水沢市地方)を本拠とした

蝦夷の首領・阿弖流為(アテルイ)は、中央政府の数次に亘る侵略侵略に対して

十数年に及ぶ奮闘も空しく、遂に坂上田村麻呂の軍門に降り同胞の母礼(モレ)と

共に京都に連行sれた。

田村麻呂は敵将ながらアテルイ・モレの武勇、人物を惜しみ

政府に助命嘆願したが容れられず、

アテルイ・モレ両雄は、八〇二年河内国で処刑された。

この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内にアテルイ・モレ顕彰碑を建立す。

    

3回ほど散華されました。

参加者一人一人お焼香。

    

    

    

下の写真は、清水寺森清範貫首さまです。

貫首さまの顔の付近に薄い煙のようなものが漂っています。

    

この敷地内に音羽地蔵尊が祀ってありました。

京都守護院門跡神変講社 の京都音羽組開講百周年記念で建立です。

     

 僕は、一応山伏の格好で式に臨みました。

作務衣で頭襟,袈裟、最多念珠、引敷、脚絆なので

清水寺の学芸員の方から「聖護院ですか?」と

「吉野 櫻本坊です。」と

京都には、山伏の講社がたくさんあると聞いています。

   

記念撮影。

     

    

お茶屋さん少し、音羽の滝によったところにあります。

僕も清水寺が好きで何十回と来ていますが今まで

アテレイ・モレの碑を知りませんでした。

ありがとうございました。

京都の伝統ある歴史の中で育てられた笛の音は、

派手ではなくその音色が紅葉が赤くなりつつある木々に

吸い込まれてゆく音を聞いていると、心の底から涌いて来るものがあります。

今の社会は、演奏家の個性が出ることがもてはやされていますが、

本当に先祖供養になるのかを思い知らされました。

森笛師さんの音色にアテレイとモレが1300年の昔から

楽しみにやってきたのではと思わずにはいられません。

 

京都の町を歩いていると町の人たちは、

神様に感謝して毎日に生活を送っておられることに気づきます。

街角に小さなお地蔵さんは、いつも花が添えられており、

お寺さんや神社では、願いごとのお守りがあります。

特に願いごとがあるときには護摩木に願い事を書いて

焚いてもらいます。それも大抵300円です。

無理にいろいろなことをしなくても

普通の生活の中で観音さまが守って下さいます。

今回の旅の目的のひとつは、

東寺の御影堂での生身供を受けてから弘法大師が

持ち帰った舎利を参拝者のかたに授ける行事を受けることでした。

朝6時には、50人近くの人がこうして集まってくるのです。

京都という伝統の町に今でも生きているのですね。

その伝統の中に身を任す楽しさがあります。

近鉄京都駅のホ-ムで見つけました。

     

 

 

 

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