今年の奥駆け修行は惨めに終わりました。
皆さんに顔向けできないほどいろいろとありました。
でも螺声会の長老の西岡さんから
聖天大祭に来ないかと電話があり
心の底から嬉しかった。
戸開けのときに野次馬根性で登拝して
西岡さん達と楽しい参籠所の修理に参加して
顔なじみになり、法螺貝の会に誘っていただいて
いつの間にか小さな未熟な会員になりました。
1日午前0時から始まりますので
午前中に新しい仕事の打ち合わせを済ませて
京都東寺にお参り。
夜の9時ごろに櫻本坊。
吉野聖天大祭は、初めての経験。
受付を済ませて三角クジ。
11時ごろから鈴懸(すずかけ)を着けて正式な正装で。
僕は、鈴懸の上を持っているのですが、今まで着たことがないので
皆さんに手伝って貰ってやっと一人前。
日本最古の吉野聖天尊は、役行者尊により大峯々中奥深く「聖天の森」に
祀られました。今を去ること1350年前のことです。
多くの方々がお参り出来るようにと
櫻本坊二世の角仁上人が、吉野山に遷座されたのが櫻本坊です。
厳粛な秘法ですので細かい内容を記すのは躊躇します。
1300年以上も続いているのです。
でも最小限のことは書いてみます。
僕は、螺声会の駆け出しの半人前ですが、
院主さんの修法を見ることが出来ました。
お経は、法華懺法では、独特の節回しで唱えられます。
ホロトロの吉野の旅で柳沢真悟阿闍梨様の
天台宗の御詠歌を聞いた事がありますが
それとは違っていました。
最後に浴油秘法供を参列者ひとりひとりが
聖天尊に油を注ぎます。
その前に、塗香で体を清め、丁子(ちょうじ)を奥歯で噛んで体の中を清め、
聖天尊に息が掛からないように榊の葉を口にくわえて、
介添えを受けながら小さいひしゃくで油を掛けます。
終わって、院主さんの書かれた色紙を頂きます。
聖天尊様は、約8寸(25CM)ぐらいの真っ黒なお像です。
1年に一回、それも1時間ほどしか開帳されません。
皆さんが終わると厨子の中に終われます。
聞いた話ですが、この大祭のために院主さんは1ヶ月精進潔斎されたということです。
真っ暗な本堂のなかでロ-ソク2本の明かりで秘法が進められます。
小さな聖天尊様ですが、僕の心のなかに入り込んで来ました。
何も願い事をせずに、ただただ心の底から手を合わせました。
翌朝、朝早く誰もいない吉野の町を歩いていて
丁度、母親の子宮の中にゆったりと
至福感に包まれた感じがしました。
でもあの小さい聖天尊様の凄さをしみじみと感じました。
僕も来年は、精進潔斎して望みたいと思います。
終わって、宿坊に戻ると2時半を回っていました。
1時間ほど話に花が咲き、寝たのが4時を回っていました。
5時半に起きて一人で蔵王堂まで。
ケ-ブルカ-はまだ運転していませんので
坂道を下ります。
もう少ししたら紅葉できれいだろうと
思いながら近鉄吉野駅へ。
朝の清々しいなかで何か違った心の感じがしました。
聖天尊という像の頭をした男女の抱き合う像には「愛」があります。
その「愛」は、保江先生の「愛」とリンクしました。
京都の町を歩きながら不思議な感じが消えませんでした。
丁度、保江先生の「予定調和から連鎖調和へ」
アセンション後、世界はどう変わったか
読み始めましたが、同じような体験が僕のなかに
起こり始めています。
自分の廻りに面白いことが起こったら
躊躇せずにそれを求めて見ることだと思います。
もし螺声会の西岡さんから電話が無かったら
おそらく行かなかったと思います。
その結果、保江先生の本の中に書かれている
ことが、繋がってきました。
ありがとうございました。
10月5日朝 串田さんの地震予報では、発生時期が明確にならいようです。
数年前ですが、船井さんの横浜での大会で
関東地方に大きな地震が来ると言われているが、
善意の人が横浜に集まれば地震は来ないと船井さんが言った記憶があります。
串田さんは関東地方で大きな地震があると予報しましたが
結果的には来ませんでした。
ロンバ-ドさんも沖縄の神人さんも外していますね。