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新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカ合衆国では

2024-08-21 08:08:52 | コラム
年齢・性別・人種で差別してはならないのである:

このように理解し、認識しておられる方は多いと思う。私も戦後間もなくからアメリカ人に接する機会があったし、地方の中学生でありながらGHQ(連合軍総司令部)にも出入りしていたのだった。という具合で、22年にも及んだアメリカの大手紙パルプメーカーの勤務を含めて、70年以上もアメリカとの縁が続いていた事になる。

そこで、今回はここに掲げた差別してはならない「年齢・性別・人種」の中から、実際に経験したアメリカのビジネスの世界における「年齢」の扱いが我が国とどのように違っているかを述べていこうと思う。アメリカ合衆国とは、そもそもイングランドをはじめとして多くの人々が西欧の諸国から集まってきて成り立った国であるから、人種が入り交じっているのであろう。

今日まで繰り返して語ってきた事で、多くの企業には「大学の新卒者を毎年一括して定期的に採用する制度」がなく(金融証券界を除く)事業部長(GM)の判断で必要と状況に応じて即戦力となる経験者を採用するか、リストラを含めて人員整理をする仕掛けになっている。新卒の定期採用をしないのだから、我が国で言われている「同期入社」は存在しないし、定期的な昇給も年功序列に従った昇格人事もないと思っていて誤りではない世界だ。

必要に応じて即戦力となる経験者を採用するのだから、社員(部員)の年齢も一定の法則のようなものはあり得ないし、バラバラである。即ち、事業部長の判断で採用するのだから、その中途入社の者の年齢がGMを超えている事など当たり前のように発生する。現に、我が事業部のGMは私よりも10年も若くても急成長した、希に見る切れ者だったという具合だ。

ウエアーハウザー・カンパニーの8代目の社長兼CEOだったジョージ・ウエアーハウザーの社長就任は39歳の時だったし、彼の下で長くNo.2の座にあったハーバード大学の法科大学院出身の法学博士のチャーリーは、36歳で木材部門担当のSenior vice president(上級副社長)に抜擢されていた。推理してみれば、チャーリーは大学卒業後に直ぐに大学院に進学したとして、我が社に就職したとすれば10年足らずで昇進した事になる。

この2例だけで年齢は問題になっていないと照明していないと思うので、現実の我が事業部での管理職の状態を回顧してみよう。事業部長兼副社長だったCは例外的な経歴だった。4年制の州立大学卒業後に、地方の工場の現地採用で会計係の職を得ていた。アメリカの仕組みでは「工場は言わば別法人の如き存在で、そこから本社機構に上がっていく人事はない」のである。大手企業が新卒を採用しないから、このように地方の言わば中小企業に職を求めるのだ。

Cはそこで抜群の才能と能力が本部に認められて、言うなれば「他社から引き抜かれた形」で、我が事業部に転進してきたのだった。確か32歳の頃で、シカゴの所謂「ワンオペ」牛乳パック営業所長を命じられた。そこで成績を上げたので、副社長に抜擢されて36歳で一気に本部の牛乳パック製造加工部門のマネージャーという責任者(日本式では部長)に就任した。

その時には、本部には彼の上司に当たる彼よりも遙かに年長の管理職が16名もいた。その中にはアメリカ全土にあったパックの加工製造の工場の工場長も含まれていた。Cはその16名全員を一斉に解任した上で、工場も半分は閉鎖するか同業他社に売却してしまった。部員一同はそれこそ「口をあんぐり」で呆然とさせられた。Cの凄いところは「何時どうやって手配してあったのか、全員に会社の内外で次の職を用意してあった」のだった。

要するに、Cは本部に昇任する前から「事業部には年功経験がある年長者は必要としていない」と判断して、密かに年長者を解任するからには就職の斡旋にまで気を配っていたのだった。そして、1年後には事業部全体の売上高をほぼ倍増させたのだった。彼がパック部門の長に就任した際に、彼の嘗ての上司だった6歳年長のRをパック用の原紙販売の部長に転出させていた。

Cは順調に事業部を成長させて39歳で本部長に昇進したのだったが、その時点では事業部内で彼よりも年下の管理職はゼロだった。このCのような例を見れば「アメリカこそは実力の世界だ」のように見えるかも知れない。だが、我が社全体を見渡して州立大学の4年制出身でMBAでもない副社長兼事業部長はいなかった。殆どの副社長たちはハーバード等の有名私立大学のMBAを取得している当世界なのだ。

さらに解りやすく言えば「アメリカの会社組織における人事では、年齢は要素ではない」なのである。「その会社のその事業部に中途採用されて入ってくるまでの経験と実績と、採用の面接で事業部長かまたは担当部門の責任者が応募者の実力をどのように判定したか」で判断するので、年齢は全くと言って良いほど考慮されていない。現に、私は事業部本部の中で最年長者だったが、年齢による分け隔てなく全員と強調して仕事をしていた。

ここまで打ち明けたのだから、最も印象に残ったエピソードを紹介して終わろう。それはCがGMに昇進した時には、嘗ての上司Rが彼の部下である部長になってしまったのだ。Cは私に苦笑いしながら言った事は「現在では俺の年俸は部下になってしまったRよりも少ないのだ」だった。

これは「年俸制」であるアメリカならではの出来事。年の間に昇進したCの年俸はそのまま据え置かれた為である。しかも、アメリカの制度では役職手当も何も、一切の日本式に細分化された手当はないので、Cは本部長の役職に就いただけだったのだ。彼は翌年に自らの手で年俸を引き上げたとは聞いていなかったが、昇給したのは間違いない。

8月20日 その2 小林鷹之氏の立候補の弁を聞いて

2024-08-20 08:58:45 | コラム
小林鷹之氏を認知していたからの批判:

昨夜は各テレビ局が一斉に彼の声明を取り上げて、政治ジャーナリストの評価と議員たちの意見等々を報じていた。小林鷹之氏の明晰な頭脳と、解りやすく淀みなく原稿を見ずに信念を述べて行く辺りからは「言いたい事/言うべき事が頭の中に良く纏まっている」と解る。そこで、A型の批判し攻撃する者として、小林鷹之氏については既に認知してあると言ってあったので、あの会見での声明から気になった点を挙げていこう。

背景とネクタイの色:
オレンジ色に統一されていた作戦からは、センスの良さを見せたのか、あるいは然るべき参謀がいたという事が読み取れた。だが、世間には自分以外に余りいないと思っている「ビジネスマンの服装学」の権威?としては「あのオレンジ色のネクタイは背景に合わせたのか、背景を合わせさせたのか知らないが、「夏場では鬱陶しい色彩だったし、雰囲気を重苦しく感じさせられた。あの赤系統に属する色は夏場に使うものではない」とご存じなかったことを明らかにした。

しかも、ハーバード大学で修士号取得という経歴でありながら、あのネクタイの縞(stripe)は私が指摘する「アメリカ縞」ではなかったのも残念だった。故安倍晋三元総理は殆どの場合に、あの小林氏のネクタイとは反対方向に縞が流れている恐らくBrooks brothersかRalph Laurenのブランドのアメリカ製のネクタイを締めておられた。私に言わせれば「良い趣味」だった。

故に、小林氏にはこの分野も勉強して欲しいと思った次第。一つだけ指摘しておくと「ある程度以上の地位にある場合には、スーツの色は濃厚(navy blue)か濃い鼠色(charcoal grey)に限定される」と言って過言ではないのだ。一般論として断言するが「我が国の政治家も財界人も、この服装学に関しては全くと言いたいほど知識が欠落している為か、垢抜けしない世界の何処に出しても恥ずかしい服装をしている」のである。

政策に中には目新しい点が不足:
あの知名度とあの年齢で出るという以上、何か余程斬新な一般人の目までも奪うようなことを言うのかと思えば、極めて真っ当で当たり障りのない良い事を言っているとは解ったが、面白くもおかしくもなかった。「何だ。もう安全運転かよ」という印象。これまでの自民党にしがらみの中にあって、そこを一気に改革しようという決意を示しても良いのに」と思わせられた。出ると言う以上、何物をも怖れない気概を見せても良くはなかったのかな。

当選回数に縛られているのか:
小泉進次郎氏よりも当選回数が少ない事に気兼ねしたのか「小泉進次郎氏と語り合ったか」と質問されて「当選回数が多い先輩である」などと配慮する奥ゆかしさを見せていた。だが、出ると言う以上そのような「古風な年功序列というか因習を打破する気であること」くらいを示しても良いのではなかったのか。そんな事に未だに縛られていれば、一昔前の体育会における先輩対後輩の絶対的服従の関係の踏襲ではないのか。

我が国でも、何も今更「アメリカに学べ」などと陳腐な事を言うのではないが、もうそろそろ年齢と年功序列と長幼の序から、譬え緩やかにでも脱却して良くはないのか。勇んで出ると言った49歳が、何となく年齢と当選回数に気を遣っている様子を見れば、自由民主党の改革は容易ならざる難事業なのだなと見えた。

失礼を顧みずに譬え話をして見よう。貴方様は「茂木敏充総理、加藤勝信官房長官、林芳正財務大臣」のような新内閣が誕生したと仮定して「自民党が大きく変わった」というような新鮮味を感じられますか。

政治家の知名度と年齢の考察

2024-08-20 07:35:53 | コラム
小林鷹之氏は知名度が不足なのか:

昨19日、総裁選に立候補を表明した小林鷹之氏については、殆どのテレビ局が「知名度が不足している事が問題である」かの如くに報道している。あれほど繰り返して「知名度不足」を取り上げれば「知名度を上げましよう運動」でも心がけて小林氏を応援しようとするのか、あるいは知名度不足の人物は推薦しないし、自民党の総理/総裁に相応しくないとでも言っているかと思わせられてしまう。「知名度」は総裁/総理の絶対条件なのだろうか。

加えて、小林氏の49歳という年齢も噂だけに止めている小泉進次郎氏の43歳についても「若さ」というのか「若過ぎる点」も問題にしている感がある。マスコミが「年齢」を云々するのは「若いから経験不足であり、長幼の序を重んじていないようなのは怪しからん」とでも言いたいのか、あるいは他の60歳以上の9人が「世代交代の危機に瀕している」と同情しているのか。

因みに、知名度を言うのならば、当方は小林鷹之氏については、22年8月に岸田内閣の閣僚に任じられた時点で、充分にその存在を認知して評価していたが。

そこで、「知名度」とはそもそも如何なる意味かを追求してみた。広辞苑にはきわめてあっさりと「世間に名が知られていること」とあった。そもそも一国の総理大臣になろうと思う人物には能力と知性や教養の他に知名度が高いことが必須なのだろうか。知名度を上げたり下げたりするのは政治家当人の働き方如何にもかかっているが、マスコミの取り扱い方も大いに影響するのではないのか。なお、「年齢」については別途考察してみる。

念のために、英語ではどういう表現になるのかも調べてみた。意外にも、そこには色々な言い方があった。最も手っ取り早く解りやすい気がしたのは“little known”で”well known“の反対語のようだ。”popularity“や”recognition“というのもあった。そうかと思えば、phraseになっていて”lack of name recognition”のような言い方も出てきて、英語独特の「詳しい説明」をしているのもあった。小林氏がこのどれに該当すると言うのだろうか。

自由民主党が見限られていまいそうな事態(誰に?)に遭って、所属する国会議員と地方の党員がどのような基準で次期総裁を選ぶのだろうか。小林氏もその範疇に入ってしまうのかどうか、現在立候補を噂されている方々は自由民主党の今日の退勢に負の貢献をしてきたのではなかったのだろうかと、ふと考えてしまった。

矢張りというか何というか、マスコミ論調に批判の如くにもなってしまった。

自由民主党総裁選の候補者

2024-08-19 07:11:35 | コラム
11名になると報じられている候補者の経歴:

目下、推薦人集めが始まっていると伝えられている。私は個人的な興味から出馬すると見込まれている11名の方々の学歴を調べてみた。意外と言うべきか当然とすべきか不明だが、国公立大学の出身者が過半数を占めていた。さらに、凄いと思う事がある。それはIIvy Leagueで修士号を取得しておられる方が多いことである。素直に言えば素晴らしい知性と教養の持ち主が多いのだろうということ。

そこで、念のために11名の方々の出身校と学位を調べてみた。いきなり余談であるが、昨夜も家内と「我々が次期総裁を選ぶ選挙ではないのだ」と再確認した。

石破茂氏→慶應義塾大学、
加藤勝信氏→東京大学、
上川陽子→東京大学からハーバード大学で修士号取得、
小泉進次郎氏→関東学院大学からコロンビア大学で修士号取得、
河野太郎氏→ジョージタウン大学、
小林鷹之氏→東京大学からハーバード大学で修士号取得、
斎藤健氏→東京大学からハーバード大学で修士号取得、
高市早苗氏→神戸大学、
野田聖子氏→上智大学、
林芳正氏→東京大学からハーバード大学で修士号取得、
茂木敏充氏→東京大学からハーバード大学で修士号取得、

上記のようになっていて、言うなれば綺羅星の如く輝く精鋭が並んでおられるので、我が国を立て直すだけではなく、自由民主党の失われかけた信用と、輝きを取り戻すことに期待したいものである。

だが、総裁選の日程が20日に決まるので、現時点で明確に何をするかと言うか、具体的な政策を発表している方はおられない。だが、やるべき事と為すべき事は上記の2点に絞って貰いたいし、その点について具体的に聞かせて欲しいと思っている。

テレビ局の扱い方は小泉進次郎氏(43歳)よりも6歳年長の小林鷹之氏に絞られているようで、昨夜も某局に登場しておられた。その淀みない語り方で解りやすく表現される能力の高さは大臣時代に既に印象づけられていたが、その意味では優れた候補者の候補であると思って聞いていた。

アメリカの大学の実情に詳しいと自負している者から言えば、7名ものアメリカの大学と大学院の出身者が揃っているということは、学業的には優れているという事の他に、現在のような世界情勢では必須であろう高い英語力を持ち主だろうということ。また、東京大学の出身者が6名もおられるというのは、未だ嘗てなかったことだと思う。

もしかして「40歳代が僅か2名で、60歳以上の方が多すぎるのではないか」と言う見方をする人も出てくるかも知れない。自由民主党内の残る360名ほどの国会議員たちと地方の党員たちが、豊富な経験と清新の気溢れる若さの何れを選択するかにかかってくるのではないか。間違っても資金の潤沢さにかかって欲しくはないと言うこと。

私は国民の一人として、これほど多くの方々が高学歴と閣僚の経験を充分に活かして総裁に当選の暁には、我が国に往時の輝きと力を取り戻せるように全力で事に当たって欲しいと望むのである。

甲子園の野球を語ろう

2024-08-18 08:38:09 | コラム
甲子園野球の廃止論者は語る:

台風一過などと言われているが、16日の夜には万全ではないまでも、百全くらいの準備をして7号台風に備えていた。だが、ここ新宿区の一角には殆ど何事も起こらず拍子抜けだったが。でも、良く考えるまでもないことで無事で結構だった。

大社高校対早稲田実業の試合:
そこでという訳でもないが、同じ東京代表である早稲田実業対大社高校の試合を興味深くまた面白く、手に汗は握らなかったが11回に決着が付くまで見届けた。解説者も、アナウンサーも、マスコミの論評も「非常に良い試合だった」と褒めていたし、負けた早実の和泉監督も「こんな良い試合を経験させて貰えて」と回顧されたそうだ。私は「良い試合だったこと」に異論はないが、感想としては「色々と物思わせられた試合だった」となるのだ。

どの辺りを指してそう言うのかだが、延長戦になりタイブレイクで決着をつける方式になってからは、早実も大社も「何とかしなければならない」という意気込みに加えて緊張感からか「意余って言葉足らず」ではなく「力出でず」状態になったのか、アドレナリンが過剰に出てしまったのか、両校で平時だったらとか練習だったら出来ていただろうはずのバントを失敗するし、内野の守備で思いがけない失策が出て得点できなかったのである。

この状態を見て思い当たったのが、日本大学高校アメリカンフットボールの故清水之男監督が平常時ならあり得ない失敗を見て「何と言っても子供たちがやることですから」と親御さんたちに語りかけておられたこと。要するに「極限に近い状態の場面に遭遇して、未だ熟練していない15~18歳の高校生が犯した失敗だから、我慢してみていて下さい」と説明しておられたのだ。

あの度重なるバントの失敗、不正確な送球、走塁の失敗は、過度の緊張と責任感に圧迫されて「やる気は十分にあっても、上手く行かなかった」結果に終わったのだろうと見ている。即ち、あらゆる場面を想定した練習では出来ていたことが、いざ現実になってみれば「意余って力出でず」となったのだと見ていた。あの局面での失敗を責めるべきではなく「良く試みた。君たちは偉い。次の機会では成功するだろう経験だった」と褒めてあげたい。

あの満塁の場面で出て来た大社の、139球だったかを投げきった馬庭投手は「自分で決める以外ない」と言い切って出てきたそうだ。そして、ヒットを打って決めた精神力は「君は本当に偉い」の一言だけで十分だ。だが、当方が気にしたことは甲子園に来て3試合を一人で投げきったことである。

簡単に言えば「投手生命を鉋で削っているどころではなく、大鉈で叩いてそぎ落としている行為にも似ている点」なのである。「高校までしか野球をやらず甲子園での栄光だけを目指している」のであれば、それでも良いだろう。そうは思っても過労が心配になった。今日一日休みがあるので、何とか回復して強打を誇る鹿児島の神村学園にも勝ってくれれば素晴らしい。

甲子園の野球に思う:
2002年11月に湘南の同級生・脇村春夫君が日本高野連の会長に就任したことを祝って、芦屋に住んでいた彼を藤沢に招待して臨時クラス会を開催して祝福した。その際に高校の全国競技大会廃止論者は、脇村君にその旨を記した長文の意見書を提示した。脇村君はその場で読み切って「止めちゃえって言うの」と驚きの表情だった。真に生真面目で勉強家(東洋紡を引退後に大阪大学で経済学博士を取得)の「ワキ」なら解ってくれると信じて。

イヤだなと思う事柄:
*「野球部員は坊主刈りにせよ」と高野連が通達を出しているとは聞いていない。私は「古物化して時代にそぐわない習慣は止めても良いのではないか」と言い続けてきた。何年前だったか、ジムで出会った坊主頭のアメリカ人に「そのスタイルをskin headと言うのか」と尋ねると「skin headはナチスを想起させる言い方だからcrew cutと呼んで欲しい」と答えた。高野連にも同じことを言いたい。

最近では長髪の高校が増えたが、アナウンサーも解説者も不勉強で「昭和24年(1949年)最初で最後に夏の甲子園に出て優勝した湘南高校野球部では殆ど全員が長髪で物議を醸したことに触れようとしない。恐らく、野球部の連中はそのような不文律にも似たことがあったとは知らなかったのではなかろうか。

*不運にも負けてしまった学校の部員が涙しながら鳴尾浜から運んできた甲子園の砂を持ち帰る習慣は余りにも感情的すぎる感があり、支持しようと考えたことはない。我々サッカー部は決勝戦で負けた平和台競技場の芝生を持ち帰ろうなどという考えは浮かんでこなかった。早稲田大学系属校の早実はそのまま帰って行くかと思えば、数名が用意してきた袋を持ちだして救ってかえった。その心情は十分に理解するが個人としては・・・だ。

*ベンチに入れる人数も疑問に思う。朝日新聞が負担する経費の問題が影響するのかも知れないが、野球という競技も高度に細分化されてしまった現代に、選手が20人で指導者は監督のみという決め事は非合理的だ。監督は全知全能ではあり得ないのだから、自費でせめてヘッドコーチか投手または守備のコーチくらい認めても良いのでは。フットボールではどれほど細分化されたコーチがベンチにいるか知らぬはずはないと思う。

*指導者だが、それにしても、高校生の体格が非常に向上し、父親が外国人という身体能力がずば抜けた高校生が増えてきた。「その時代にあって60歳前後と言う高い年齢の方が指導される時かな」と思えてならない。ダルビッシュ有はWBCの際に帰国して、球団のOBのコーチが非常に多いことを指して「不勉強では?」との厳しい意見を述べていた。

立命館大学のフットボール部では橋詰コーチをアメリカに派遣し、最新のアメリカの指導法を習得させた知恵というか見識に学ぶべき時期ではないのだろうか。NPBからMLBに行って実績を残した優秀な連中は何故か帰国して指導者になっていないのは何故だろうか。寶は「持ち腐れ」にせずに有効活用したらどうだろう。