新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

あれは「ワガミ」と言うのだ

2014-11-27 09:12:07 | コラム
小さな話題だが、和紙と書いて「ワガミ」と読むのだ:

産経新聞によれば“国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、フランス・パリのユネスコ本部で政府間委員会を開き、日本政府が推薦した「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」を無形文化遺産に登録することを決めた。”とある。それ自体は結構なことだと祝福したい。「手漉き」という以上、機械抄きワガミもあるのだ。

だが、昭和30年(=1955年)に紙パルプ業界に入った時には「和紙」と書いて「ワガミ」と言うのだと教えられた。その当時でも紙流通業界には和紙専門の卸商(小売店のことではない、念のため)即ち、ワガミ屋さんの数が少なかった。それが近年にテレビで「和紙」それも手漉きの紙の良さと言うか芸術性が強調され、「ワシ」という名称が広まってしまった。

しかし、「三つ子の魂百まで」であり、今になって「ワシ」と呼べと言われても抵抗がある。かと言って「業界でではワガミと言うんだぜ」とテレビに対抗しようと唱えても効果があるかどうかは疑問だし、第一に何処で誰に向かって言えば良いのかも解らない。誰が何と言おうと「あれはワガミなのだ」と言うのだが、業界の隠語と言うべきか符丁を一般化したくても無駄な抵抗かな。

アベノミクス解散

2014-11-27 08:48:20 | コラム
危険極まりないのか?黒田日銀総裁のバズーカ砲発射:

昨26日にある勉強会で四大証券(野村、山一、大和、日興)の中の一社出身者の投資顧問会社経営者の講演を聴く機会があった。こう書いていて「そう言えば昔?は四大証券という存在があったであるとか、10大都市銀行で富士,住友 ,東京三菱,三和,東海,さくら,第一勧業,あさひ,大和,北海道拓殖があり、三菱、三井、住友、丸紅、伊藤忠、安宅、日綿、東綿、江商、日商岩井の十大総合商社があったな」と思いだしていた。

昨夜の講師は黒田日銀総裁のバズーカ砲に批判的で、これでは国債をまた50兆円も発行せねばならず破綻(既にマイナス金利で発売されている)を来す危険性が高く、金利も上昇しそれに伴う更なる株価上昇と円の続落を招き、結果としてハイパーインフレの危険性があるという、言わば彼の年来の持論を展開していた。彼が推薦する対策はこれも毎回と同様に食料の備蓄を推薦され、$1,300まで下落した金を避けて銀(例えば三菱マテリアルの純銀信託1452)と株式投資等だった。

聴衆の中には「アベノミクス解散と言うが、アメリカでは安倍総理の右傾とアベノミクスに批判的な面がある」という主旨の質問が出たが、講師は明言を避けていた。では「お前は安倍総理がアメリカで不評かどうか承知しているのか」と問われれば、かかる案件で元の上司にも同僚にも友人にも紹介したことがないので答えられないのだ。

この講演を聴いていて解ったことは、アベノミクスの成果?で現在のような株高を招くとは証券業界ではほとんど予測していなかったことと、先頃の原油価格の低落があっても円安インフレは止まらないだろう、欧州の景気が一層の低迷期に入ったという辺りだった。

私は証券投資の面には全く暗いので、そういう見方もあるのかと思い、勉強になると謹聴していた。だが、彼が如何にハイパーインフレへの懸念を示しても、体感的にはデフレ脱却未だしとしか思えないので、矢張りアベノミクスの第三の矢なるものをどの方向に放つのかが気懸かりだった。

この講師は毎年このような見通しを語られるのだが、何時聴いても警告というか悲観論である気がする。また、会員には大手企業の役員だった方が多いのだが(私は違う、念のため)、意外なほどアベノミクスを肯定される方が少ないのだった。それかあらぬか、雑談の際に来月の衆院選を論じて自民・公明で過半数が維持されても、民主党が議席を増やすという観測をされる方が多かった。しかしながら、それを歓迎しているのではなかったのが印象的だった。

しかも、その席での批判は安倍内閣よりも財務省出身の黒田日銀総裁が標的だったのも、尤ものような気がした。講師もマスコミ報道のように総理は財務省の意向よりも経産省の意見を採られたと見ていた。

冬来たりなば

2014-11-26 07:58:55 | コラム
室温21度、湿度41%:

今週に入ってからここコンクリート住宅の早朝の室内では、このように温度・湿度に下がってきた状況である。経験上これは外に出る時にはその落差に備えるべき要注意の範囲であるし、衛生上では昨日から加湿器を動かし始めた。この室内でも21度台では外はさぞかし寒いだろうと天気予報を見れば、都内は12度と12月並みの寒さだと言っていた。湿度は加湿器のお陰で50%台に上がってきたので、室内はどうやら安全圏内だろうが。

ここから先にさらに注意せねばならないことがある。それは外出の際にどのような服装をするかなのだが。それは些か贅沢な悩みだと誹られるかも知れない性質で、この外気の条件よりも楽な室内から出て行く場合に、その程度の防寒具を着て出て外の温度と湿度の厳しさに合わせれば良いかということ。これは簡単なようで夏冬を問わずに苦労する問題だ。

外気に当たって寒さや暑さ、特に寒さを感じたら迷わずに一旦戻って着替える勇気が必要なのだ。何しろ、我々高齢者が冬場にうっかり風邪でも引けば致命的になりかねない肺炎を誘発する危険性が高いと、お医者様に常に警告されているのだから。出掛ける途中のエレベーターの中では同乗者と屡々こういう外気温との差との対策の悩みのようなことを語り合っているものなのだ。

今日は午前中にジムに出ていかなければならぬ日であり、午後3時には会合があって外出の予定がある。雨降りでもあり、どのような冬支度にすべきか思案中だ。

「冬来たりなば春遠からじ」とは言うが、気象条件も兎も角、政治・経済特に景気・外交等の面では一刻も早く春が巡ってきて欲しいものだ。頼みますよ、安倍さん、自民党さん。

価値観の違いを考える

2014-11-25 08:35:02 | コラム
マスコミと私の価値観の違い:

今朝も何処の局だったか、白鵬が大鵬の32回(だったか?)の優勝記録に並んだことを賞賛するかの如き内容の放送の仕方をし、白鵬が「もう泣かない」と言ったの言わないのということを採り上げていた。私はこのような報道の仕方を「テレビを含めたマスコミが彼等の価値観を押し付けているのだ」と受け止めて苦々しい思いで聞いた。大体からして、我が国の全ての人が相撲の愛好者ではないだろう。私はその一人だが。

確かに、白鵬の記録は立派なものであるし、金田正一の400勝、イチローのMLBでの多くの新記録、錦織君の世界ランキング第5位、一寸違うかも知れないアマチュアの吉田沙保里の世界選手権10連覇とオリンピック3連勝等々にも並ぶ偉業だろう。

だからと言って、我々で悪ければ私にまで、その偉業を讃えよとばかりの姿勢で報道するのは如何なものかと批判したい。私は相撲にせよプロ野球にせよ、お客様に入場料を払って見に来て頂いてナンボの世界ではないのか。彼等は歌舞伎の役者ほどではないかも知れないが、お客様を”entertain”=「楽しませる、慰める」のが職業である。その慰めの仕方が出来が良くて当然なのだと、私は思っている。歌舞伎の役者だって同じ範疇に入れて良いだろう。

「楽しませ方と慰め方」の出来が非常に良かったのは寧ろ当たり前のことで、礼賛せよとの価値観を押し付けることかと疑うのだ。マスコミ、特に中継したり、報道するのが仕事の者たちは、その成績を讃えるのも当たり前だろう。業績を挙げる為に彼等の価値観で報道するのも当然だが、その価値観を観る者や聴く者に押し付けるのは筋が違うと思うのだ。

アメリカを語る時に述べたが、私は我が国でもスポーツのように競争であり且つ興業でもある層、相撲は純粋のスポーツと言うよりも歴史的に観ても興業の色彩が濃厚だと思う世界であり層でもあるもの、映画・音楽・アイドルの層といった具合に、それぞれが横一線で並んでいると思っている。その各層での成功者を「良くやった」、「良く楽しませてくれた」という風に褒めるのは結構だと思う。だが、だからと言って礼賛や賞賛や崇めることの対象にするのは如何なものかと思う。

即ち、マスコミの価値観で放送か報道することを批判する気はないが、その価値観を押し付けるような勢いで採り上げて、批判や否定する見方が出来ないような若年層にまで影響を与える結果になっている気がしてならない。彼等のやり方を見ていると、AKB48やジャニーズのような連中が青少年の価値観となってしまったような気がしてならないのだ。即ち、後難を怖れていえば、私は価値観の押しつけのマイナスの効果が出ていると言いたいのだ。

私は海外と国内のサッカーや野球は楽しみつつも冷静な評論家として観る姿勢は忘れない。メッシやロナウドや香川や本田や岡崎がどんなに良いプレーをしても賞賛はするが礼賛はしない。それが彼等の職業なのだから。何処までいっても私の価値観で観ている。これが血液型のAがなせる業かも知れないが、楽しみ且つ批評するのが私の価値観であり、私でもある。

今朝の出来事

2014-11-24 18:02:24 | コラム
若く見られることは喜ぶべきかどうかが問題なのだ:

今朝ほどフィットネスクラブのロッカールームで「鍵が開かない」と苦戦している老人がいた。開かないのではなく、ここのロッカーは鍵かかかっておらず、手で開けてから会員カードをスロットに入れると施錠出来るようになる方式。

それを教えて上げると「私も歳を取ったもので、こんな事を若い人に教えられた」と言うので、これまでに何度か経験したことなので思い切って言ってみた。「もしかすると私の方が年上ですよ。一昨日で82歳になったばかりで、手っ取り早い例では石原慎太郎君が同期生」と。

彼は驚いた表情で「私は2歳下で裕次郎と同期」と答えてきた。このように「またか」と思わせられたのだが、決して自慢したいのではなくて、イヤな出来事なのだ。これまでに何度も繰り返して若く見られて舐められたこともあり、情けなくもあるし、不愉快な気分を味合わせられてきた。そして、「俺には年齢相応の貫禄という物がないのか」と嘆きたい思いをさせられてきた。だから「またか」なのだ。

2006年1月の心筋梗塞以来大小の病気が続き、それなりに老化るかと秘かに期待?したのだが、一向に効果が出てこず、今朝のようなことが続くのだ。「良いことじゃないか」と言って下さる方は多いが、若く見られた当人にとっては深刻な問題であるし、微妙な気分なのだ。正直なところ、多少は誇らしい気分もあるにはあるが。

思うに若く見られる原因の一つには、20年以上もアメリカ人の中で過ごした為に彼等の着るものは年齢とは関係なく自分の好きなように装っていれば良いという文化に毒されて?と言うか影響されて、未だに40歳台ないしはそれ以前の服装(ナリ)の如きことを続けていることがあるのかも知れない。

またさらには、そもそも体質に合わないので酒類を嗜まず、営業上でのつきあいがなくなった20年前のリタイヤー後には飲まずに過ごしていることに加えて、生まれてこの方喫煙しなかったことの影響もあるのかも知れない。

以上がが今朝の小さな出来事で、気分も重く且つ軽くジムに上がっていったのだった。