アメリカで経験した如何にもアメリカという事柄:
1972年8月に生まれて初めてアメリカ本土に渡ったのだが、それ以来後から後から「ここは違う国だな」と思わずにはいられないことに出会ってきた。それらを順序不同で思い出していこう。因みに、W社の仕事でアメリカに出張していたのは1993年11月が最後だった。
アメリカ人だと思うのは当然だ:
1973年だったかアトランタからNYに向かった機内で、隣に座った高校生と見た男子にいきなり握手を求められて”I am so and so.”と名乗られた。未だそういうアメリカ的なことに馴れていなかったが、兎に角握手をしてこちらからも名乗ってみた。だが、「何で私が英語が解ると思ったのか。私が外国人とは思わなかったのか」と、実は間抜けな質問をしてみた。
すすと彼は「何を言うか。こうしてアメリカ国内で平然と一人で旅をして飛行機に乗っている以上、貴方をアメリカ人と思うのは当たり前ではないか。アメリカにいる以上アメリカ人だと思ったことに何の不思議があるのか」と切り返されて正直なところ唖然としたものだった。この頃はホテルの中でも何処でも見ず知らずの者同士で”Hi!”であるとか”How are you doing?”等とにこやかかに言葉を交わす習慣に不馴れで、オロオロしていた状態だった。
此方から声をかけられるようになるまではかなりな精神的には負担だった。この見知らぬ者同士での挨拶に馴れて落ち着いて”Hi!”等と言えるようになってからでも、不思議なことに我が国に帰ってきても先ず絶対にそういう挨拶をすることはなかった。これぞ、文化の違いの学習の第一章かも。
Hi, Steve”:
これも上記と同様なことだが、私自身の経験ではなくても「これぞ、アメリカ」として紹介する次第だ。某商社の若き担当者が私の後任と共にW社の本社に出張した時の出来事だったそうで。廊下を歩いていると反対方向から来た余りさえない感じの痩せた前期高齢者風の人が片手を挙げて”Hi, Paul!”と言い、Paulも平然と”Hi,Steve!”と返したそうだ。「あれは誰ですか」と訊くと、答えは『社長だよ」で、呆気にとられたそうで。(Paulは日本人で、これは洗礼名で、社長はSteve Rogelという人)
我が国の会社の組織内ではあり得ないことだろうが、「これぞアメリカ」と言える出来事だろう。ここにアメリカという国が錯覚を起こさせる大きな一因があると思う。即ち、如何にも平等で民主的で社長と雖も一社員を分け隔てなく扱ってくれているかのように思わせるからだ。だが、これは単なる彼等の優れた社交性の一面を示しているだけで、CEOと一社員の間の身分違い、と言うか格の違いとでも言おうか、は我が国の会社組織内とは比較にならない大きな差があるのだ。
我が国大企業で一社員が社長に出会って「社長さん、今日は」と挨拶する習慣があるだろうか。アメリカというか英語の世界ではこういう一見分け隔てがない扱いが見せかけの平等感を醸し出しているのだと、私は見ている。では、いきなり社長に出会って「シカト」しても良いものではあるまい。彼が自分を知っているかなどは考えずに”Hi!”と言っておけば済むことなのだが、そう思うようになれるまでが大変だろう。
CreditはSueに:
この場合の”credit”は「功績、成績、手柄」という意味だ。私は何時だったか、シアトル市内のある著名な鞄屋さんで必要に迫られていたので、何気なく”Hartmann”のブリーフケースを購入した。応対した女性店員は”Sue”と名乗り名刺を求められた。そして、訊かれるままに気にもしないで藤沢(当時)の住所も教えた。因みに、Sueは”Susan”のニックネームである。その後何度か買い物ではなくその店を訪れてSueに会う機会があった。
すると、その後はSueから繰り返して「セール」の案内の葉書が藤沢まで来るようになった。熱心なものだと一応感心した。何故「一応」かと言えば、アメリカで一般的な小売業に仕組みでは「販売員たちはその店の軒先を借りて自分の店を出している名店街のようなもの」で売上の全てが各人の”credit”となるのだ。即ち、私は言うなればSue & Company”の常連客(リピーターは間違ったカタカナ語だ、念のため)として登録されていたのだ。
そして、偶々こちらの出張に時期が合う、長年狙っていたHartmannの”Garment bag”(スーツを2~3着ハンガーに掛けてバッグを二つ折りにして持ち歩ける旅行用)のセールの案内の葉書が来た。そこで仕事の合間を狙って葉書持参で颯爽と買いに出掛けた。すると、Sueは休日で女性の店長が応対してくれて目的の商品をアメリカ式の格安のセール価格で購入できた。
私はこれではSueの成績にならないのではと気になった。店長は「心配しないで欲しい。このCreditはSueに付けておくから」と言ってくれた。これがアメリカ式常連客の確保の方法である。私は髭剃り用等の化粧品は、シアトルのデパートでその売り場で顔見知りとなった男性の販売員から繰り返し購入していた。ここでも私は彼の定期的な得意先になっていた。
すると、彼は私が何を買おうと全く問題にせず、異なるブランドの販売促進用の無料の見本品や景品をくれるようになった。そのお陰で?Aramisの傘などは数本もあるし、買ったこともないPoloの傘までもあれば、未だに各種のブランドの無料サンプルが残っているほどだった。贅沢なものを買っていると思われそうだが、93年以前の為替でも、アメリカで買えば日本国内のごく普通の男性用化粧品と同程度かそれ以下の値段になってしまうのだった。
これはおまけ的な話しだが、ある時に朝一番にこのデパートに行ったことがあったが、何故か化粧品売り場は開店したなかったのだった。諦めて帰ろうとしたところに彼は正面のお客様入り口から悠然と出勤してきて「遅くなって済みません」とばかりに売り場を覆っていた布を取り払って”How may I help you, today?と言ったのだった。これぞアメリカであろうかと些か毒気を抜かれた。
(この項続く)
1972年8月に生まれて初めてアメリカ本土に渡ったのだが、それ以来後から後から「ここは違う国だな」と思わずにはいられないことに出会ってきた。それらを順序不同で思い出していこう。因みに、W社の仕事でアメリカに出張していたのは1993年11月が最後だった。
アメリカ人だと思うのは当然だ:
1973年だったかアトランタからNYに向かった機内で、隣に座った高校生と見た男子にいきなり握手を求められて”I am so and so.”と名乗られた。未だそういうアメリカ的なことに馴れていなかったが、兎に角握手をしてこちらからも名乗ってみた。だが、「何で私が英語が解ると思ったのか。私が外国人とは思わなかったのか」と、実は間抜けな質問をしてみた。
すすと彼は「何を言うか。こうしてアメリカ国内で平然と一人で旅をして飛行機に乗っている以上、貴方をアメリカ人と思うのは当たり前ではないか。アメリカにいる以上アメリカ人だと思ったことに何の不思議があるのか」と切り返されて正直なところ唖然としたものだった。この頃はホテルの中でも何処でも見ず知らずの者同士で”Hi!”であるとか”How are you doing?”等とにこやかかに言葉を交わす習慣に不馴れで、オロオロしていた状態だった。
此方から声をかけられるようになるまではかなりな精神的には負担だった。この見知らぬ者同士での挨拶に馴れて落ち着いて”Hi!”等と言えるようになってからでも、不思議なことに我が国に帰ってきても先ず絶対にそういう挨拶をすることはなかった。これぞ、文化の違いの学習の第一章かも。
Hi, Steve”:
これも上記と同様なことだが、私自身の経験ではなくても「これぞ、アメリカ」として紹介する次第だ。某商社の若き担当者が私の後任と共にW社の本社に出張した時の出来事だったそうで。廊下を歩いていると反対方向から来た余りさえない感じの痩せた前期高齢者風の人が片手を挙げて”Hi, Paul!”と言い、Paulも平然と”Hi,Steve!”と返したそうだ。「あれは誰ですか」と訊くと、答えは『社長だよ」で、呆気にとられたそうで。(Paulは日本人で、これは洗礼名で、社長はSteve Rogelという人)
我が国の会社の組織内ではあり得ないことだろうが、「これぞアメリカ」と言える出来事だろう。ここにアメリカという国が錯覚を起こさせる大きな一因があると思う。即ち、如何にも平等で民主的で社長と雖も一社員を分け隔てなく扱ってくれているかのように思わせるからだ。だが、これは単なる彼等の優れた社交性の一面を示しているだけで、CEOと一社員の間の身分違い、と言うか格の違いとでも言おうか、は我が国の会社組織内とは比較にならない大きな差があるのだ。
我が国大企業で一社員が社長に出会って「社長さん、今日は」と挨拶する習慣があるだろうか。アメリカというか英語の世界ではこういう一見分け隔てがない扱いが見せかけの平等感を醸し出しているのだと、私は見ている。では、いきなり社長に出会って「シカト」しても良いものではあるまい。彼が自分を知っているかなどは考えずに”Hi!”と言っておけば済むことなのだが、そう思うようになれるまでが大変だろう。
CreditはSueに:
この場合の”credit”は「功績、成績、手柄」という意味だ。私は何時だったか、シアトル市内のある著名な鞄屋さんで必要に迫られていたので、何気なく”Hartmann”のブリーフケースを購入した。応対した女性店員は”Sue”と名乗り名刺を求められた。そして、訊かれるままに気にもしないで藤沢(当時)の住所も教えた。因みに、Sueは”Susan”のニックネームである。その後何度か買い物ではなくその店を訪れてSueに会う機会があった。
すると、その後はSueから繰り返して「セール」の案内の葉書が藤沢まで来るようになった。熱心なものだと一応感心した。何故「一応」かと言えば、アメリカで一般的な小売業に仕組みでは「販売員たちはその店の軒先を借りて自分の店を出している名店街のようなもの」で売上の全てが各人の”credit”となるのだ。即ち、私は言うなればSue & Company”の常連客(リピーターは間違ったカタカナ語だ、念のため)として登録されていたのだ。
そして、偶々こちらの出張に時期が合う、長年狙っていたHartmannの”Garment bag”(スーツを2~3着ハンガーに掛けてバッグを二つ折りにして持ち歩ける旅行用)のセールの案内の葉書が来た。そこで仕事の合間を狙って葉書持参で颯爽と買いに出掛けた。すると、Sueは休日で女性の店長が応対してくれて目的の商品をアメリカ式の格安のセール価格で購入できた。
私はこれではSueの成績にならないのではと気になった。店長は「心配しないで欲しい。このCreditはSueに付けておくから」と言ってくれた。これがアメリカ式常連客の確保の方法である。私は髭剃り用等の化粧品は、シアトルのデパートでその売り場で顔見知りとなった男性の販売員から繰り返し購入していた。ここでも私は彼の定期的な得意先になっていた。
すると、彼は私が何を買おうと全く問題にせず、異なるブランドの販売促進用の無料の見本品や景品をくれるようになった。そのお陰で?Aramisの傘などは数本もあるし、買ったこともないPoloの傘までもあれば、未だに各種のブランドの無料サンプルが残っているほどだった。贅沢なものを買っていると思われそうだが、93年以前の為替でも、アメリカで買えば日本国内のごく普通の男性用化粧品と同程度かそれ以下の値段になってしまうのだった。
これはおまけ的な話しだが、ある時に朝一番にこのデパートに行ったことがあったが、何故か化粧品売り場は開店したなかったのだった。諦めて帰ろうとしたところに彼は正面のお客様入り口から悠然と出勤してきて「遅くなって済みません」とばかりに売り場を覆っていた布を取り払って”How may I help you, today?と言ったのだった。これぞアメリカであろうかと些か毒気を抜かれた。
(この項続く)