新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

百人町大久保界隈を案内した

2014-11-21 17:00:48 | コラム
Koreatown視察記:

21日は解散も何も忘れて、4人の方々を案内して新大久保駅を出発点として約1時間、私が勝手に名付けたイスラム商店街までを含めて大久保通りから職安通りを一回りした。このうち2人の方は3年前の3月11日に観察(視察?)に来られ、新大久保駅前の風月堂の2階であの大地震に遭われたのだった。あの破壊されかけた2階から全ての客が脱出した後で勘定を払ったのは、我々3名だけだったのは今では思い出話だった。

午前10時半過ぎの新大久保駅の改札口前は最盛時の4分の1の人もおらず、自由に動き回れるのも大きな変化だ。私は先ずHalal foodを売るイスラム教徒向けの特殊な商店街から案内を開始した。と言っても、最早店舗は3軒になっているが、午後にもなれば外交官ナンバーの車が何台も路上駐車する賑わいである。最初に入った店ではネパール人が売り子だったのは意外だったが、輸入品のインド産のカレー粉を買われた方が約2名。

トルコのKebabを売るスタンドには早くも数名の客がいたし、その先の日本語学校にはその時刻でも多くの青年男女が忙しげに入っていく光景はビジターには珍しいようだった。だが、中国人が何故日本語をという疑問が残ったようだった。私は何度も言ってきたが「漢民族よ、何を企むのか」である。ここで皆を驚かせたのは、中国からの日本語で印刷された袋に入った輸入米が10キロで¥800で売られていたことだった。まさかイスラム教徒が見込み客ではあるまいが。

さて、大久保通りである。経験者のお二人は「彷徨う客の数が減ったが、何故女性ばかりになったのか」という印象だった。他の方々は「それでも結構な人出ではないか」という感想だった。私は何年前だったか明治通りの方から旧友、を案内して逆行してきた際には群がる女性をかき分け押しのけだったことが、大袈裟に言えば夢のような激変であると同時に激減であるが。

それでも本日は好天も手伝ってかかなりの数の女性が韓国産化粧品店に群がっていたが、往年の活気はない。11時を過ぎた辺りから既に行列が出来始めていたヴァイキングの韓国料理店もあったとは言え、全般的は閑散としていたと言って良いだろう。最大の規模と思う韓国産食料品店にも入って見たが、現在のようなウオン高では最盛時の賑わいはなかった。

私はこのKoreatownが寂れていくのはある意味では歓迎する向きがあるだろうと思うが、廃れた後がどうなるかは大いに気懸かりである。お客様方も現在ほど日韓関係が悪化すれば見捨てる人が増えても不思議はないと言われた。だが、「あれだけの数の店舗に家業を放棄して貸店舗業に転向した地元の商店街の方々の短期的将来が非常に気懸かりである」と解説した。家賃収入が消滅したらどうなるかということ。かと言って、中華街に変わられるのは如何なものかということでもある。

途中で右折して韓国化粧品店が両側を埋める路地に入って職安通りに抜けた。お客様方にはその圧倒的な店舗数が印象的だったようだ。しかし、私には韓国産化粧品に対する人気は根強いものがあるという感が深い。正直に言えば「好い加減に韓国産愛用を辞める考えはないのか」なのだ。でも、「自分の好みのものが偶々韓国産であっただけで、そこまで愛国心を発揮せよというのか」と反論されそうな気もする。

と言うのは、30年近く前にシアトルで知り合った一家言ある船社の営業マンが日本車に乗っているので「日米貿易バランスや通商問題を考えないのか」と尋ねた時に「自分の好みに合う質の良い車を買っただけだ。それが日本製だったということ。車を買うのに貿易バランスを心配する気などない」と断言されたのを思い出したくなるような事態かも知れない。

職安通りで大きな変化だと驚かされたのが、日韓共催W杯サッカーの際にパブリックヴィユーイングで有名になった駐車場を持っていた韓国料理店・大使館が取り壊し工事の真っ最中だったこと。再建するのか廃業かは確認できなかったが、もし廃業だったらビッグニュースの部類かも知れず、Koreatownの終わりの始まりかも知れないと思わずにはいられなかった。

それから四角形の4辺を廻った形で新大久保駅近くのタイ・ベトナム料理店に入った。言うまでもないが、今更韓国料理でもあるまいという精神の発露。皆でトムヤムクーンの激辛さにむせて、3人がタイのシンハ・ビールで喉の渇きを癒やし、タイ式焼きそばとチャーハンを楽しんだ。誰もが自分が何処にいたのかが解らなかった様子で、直ぐそこに新大久保駅があったので驚いていた。そこで解散し「では、来年また」ということになった、楽しい一時だった。

何故に小学校から英語か

2014-11-21 08:12:17 | コラム
中教審が小学校で英語の教科化を諮問:

こういうことが報道されている。「またか」と思うと同時に「未だに解っていないのか」と嘆かわしく思う。何年前だったかの記憶がないが、教育再生審議会だったかが同じことを答申したという発表を委員の方がある会合で語られた時に、真っ向から批判して大顰蹙となったものだった。これに懲りず(と言っても懲りないのは委員の方々だが)又もや発議し、中央教育審議会が今度は28年度から教科化すると諮問したそうだ。

「英語は国際語であるから我が国でも早くから英語を学ばせて云々」の趣旨は一聴大変結構なことで、多くの親御さんたちを惹きつけるようだ。だが、何ら英語に興味がない家内でさえ「ニュースでは子供が英語が出来るようになればとばかりに、インターナショナルスクールどころか、インド人学校や台湾人学校に入れていると聞いて呆れた。各種学校では我が国の大学には進めないと承知だというのだから」と笑っていたのだ。

私はこれまでに何度言ってきたかの記憶もないが、持論として「こと英語に関しては、キチンと学習して良く出来るようになって、文法的に正しく、品格も備わって、一定以上の地位にあって教養もある外国人と意思の疎通が可能になることは結構なことだ。だが、そこまでに至ることを万人に押し付けるとか、万人がそういう能力を持つ必要性は、ここまで教育程度が高く且つ均一である我が国の人たちには不要である」と主張してきた。

さらに、英語を高い次元まで学ぶか、学ばせるか、学びたい人は「確固たる目的と目標を設定して、それだけの英語を教えるに十分な専門的知識と能力を備え、海外経験が豊富で、最低でも英語圏の諸国と我が国との文化と思考体系の違いを弁えた人物に教えて貰う必要がある」のだ。それは必ずしも”native speaker”である必要などないことをも是非付け加えておきたい。

ここまでを読まれた方は「何だ、それでは英語を勉強するとかさせる必要はないと言っているに等しいではないか」との疑問を持たれるかも知れない。その通りであって、私は万人にとって必要ではないと主張している。我が国では「英語が話せなくて恥ずかしかった」とか「自由に話せるようになって海外で飛躍したい」のだろうという類いの惹句で宣伝する会話学校などがあって、徒に英語への憧憬のみならず恐怖心まで煽っていないか。

良くお考え願いたい。我が国での日常生活で「あー、英語が出来なくて困った」であるとか「英語が話せて非常に良かった」と痛感された経験が日常的にある方が1億2,000万人の中で何%おられるだろうか。私はそれよりも国語でキチンと自分が言いたいこと、思うことを表現出来て、読み・書きが自由自在になることを優先すべきだと信じている。ここは日本で貴方は日本人であることを忘れてはならないし、万人に自覚して貰いたい点だ。

では、英語を自分のものにする必要があるのは誰だろう。私は「私のように、それしかない意志の表現と伝達の手段がないアメリカの会社にでも進出ないしは転身しようという者は、それに十分な力の準備が必要だ」と指摘した。さらに「早くから海外に出て行ける職種、例えば官庁ならば外務省、企業ならば総合商社か輸出入に特化している部門がある製造業、学者、教育者等々を目指そうという壮大な目標を立てている志ある若者」がこの範疇に入るだろう。

しかし、言うまでもないことは「かかる分野に進出する為には英語一科目だけが突出して優秀なだけでは不十分」だ。嘗ては8科目全部に優れている必要があったではないか。私は常に言ってきたが「国語がキチンと学習できていないか、チャンと出来るようになっていない者、ないしはそのような次元に達していない子供に英語を学ばせて何とする」なのだ。国語(日本語)での思考体系が固まっていない者が外国語を学んでも上達する確率は極めて低いのだ。

私自身の例を挙げるのはやや気がひけるが、私は4年制大学を卒業後は正味16年間は全く英語と何の関係もない国内市場向けの営業を担当してきた。それがある日突然、全く偶然の機会からUKの人を相手に英語で仕事をせねばならなぬ事態となったのだった。だが、何気なく話してみればごく普通に昨日まで英語で話していたかのように口から出てきたし、相手のEnglandの人が言うことが理解できた。我が事ながら寧ろ不思議だとすら感じた。

これは自慢話ではない。1945年の旧制中学1年まで敵性語の英語など見たことも聞いたこともなかった者が、チャンとした先生に基礎を教えられ、尚且つGHQの秘書の教養ある日系人に正しく話すことを教えて頂いた結果で、言わば「三つ子の魂百まで」的に英語を覚えていたのだと未だに信じている。これが占めすことは万人に共通すると思うことで「基礎を正しく固めておくことが重要である」ので、小学校から始めるかどうかの問題ではないということだ。

次ぎにどうしても言いたいことがある。それは「こと外国人に通じるように話せる英語の普及が、多くの所謂識者が指摘されるように不十分な教え方をしてきた先生方が、小学校から教えられた場合に従来にも増した効果がどれほど期待できるのか」ということだ。単語を覚えさせ、文法に執着し、解釈を重要視し、答えは一つ式な英語を教え続けることの先に何があるのだろうか。発音については日本語にはないものを如何にして教える計画かと尋ねたい。

「Native speakerがいる」という答えが出てくるだろう。これも決して褒められた方法ではない。結論めいたことを先に言えば「圧倒的多数の外国人は日本人が英語のどういう点に悩み且つ苦しむかが解っていない」のだ。反対に、貴方が外国人に日本語を教える手法と手段をご存じですかと問いたい。何を教えれば速効でペラペラに出来るかを知っていますかということだ。第一、外国人に英語圏のどの国のどの階層の英語を教えさせようというのか。

紅毛碧眼であれば誰でも良いというものではないのは明白だ。オーストライリア(オーストラリアではない)から来た人が「アイ・カイム・ヒア・トゥダイ」(=”I came here today.”)と教えるのが良いのか。ゆっくりと歌うが如くに「アー・アム」(=I am)というアメリカ南部訛が良いのか。こういう国別と地域別の発音等の違いを識別して教員を選択することから始めねばならないのだ。

私がずっと言い続けてきた事に日本の会社の頃の2期上の秀才が言った「日本語がろくに固まっていない者が英語が出来るようになるのか」と、同期の東大卒の人物か課長の頃に海外出張を控えて「英会話とは要するに英語という言葉の基礎が解っているかいないかの問題でしょう」と喝破したことに、外国語学習のほぼ全てが凝縮されていると指摘して終わる。なお、私の学習法は既に何度も述べたので、ここでは割愛する。