新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

春の選抜高校野球に思う

2019-03-29 07:52:35 | コラム
矢張り全国大会は止めた方が良くはないか:

私はそもそも40年ほど前から甲子園の野球は止めた方が良いのではと意見だったので、今開催中の選抜高校野球も気が付いた時だけ見ている程度だ。しかも、今回は新潟県の高野連が投手の球数制限を言い出した後だったので、その点には多少の興味もあった。というのも、私は甲子園の野球では球数の制限どころか連投を禁止すべきだというのが持論であるから、出場する高校の監督たちがどのように反応しているかにも関心があった。だが、恐らくこれまで通りに連投また連投で、それをテレビや新聞が持ち上げるだろうと予想していた。

何試合か見た限りではほとんどの一線級の投手は140~160球を投げていたし、エースとやら言われている投手は秋の地方大会でも「1人で投げきってきた」と賞賛されていた。「何を考えているのだろうか」と言いたくもなるのだ。私は事前の予想など見ても聞いてもいなかったので、偶々見た星陵高校の投手が妙に纏まっていたし(高校生でありながらプロの投手のように多くの球種を投げ別けているという意味)制球力もあるので、「矢張りこの種の全国大会で勝てるような水準に向けて育ててきたのか」と半ば落胆し、半ば中々の素材だなと感心していた。

ところが、アナウンサーが言うことを聞けば「大会屈指の好投手で今年のドラフトでは上位指名間違い無しの逸材であり、全国にその投手ありと知られた奥川恭伸君」だったのである。私は野球という競技では、高校辺りまでは「投手は力の限り速い球を投げられるように訓練し、それが出来るようになれば制球力の心配をすべきであり、打者は如何にして遠くまで打てるかを懸命に練習しておくべきだ」というのが持論なので「プロ並みに変化球だの何のの習得に専念すべきではない」と考えているが、そこには悲しいかな春と夏の甲子園での全国大会があり、そこに出て勝つことが最優先されてしまうのだ。

と、ここまで言えば私が野球だけを目の敵にしているが如くだが、この持論はサッカーでもバスケットボールでもヴァレーボールでも何でも当て嵌まると思っている。現にサッカーなどはこれという素材は皆Jリーグの下部組織に入って鍛え上げられているので、高校でサッカー部にいる生徒たちはJリーグから誘われていない者たちが残っているのだと、そういう事情に詳しい筋から聞かされて「なるほど」と納得したものだった。

所で、奥川君である。昨日は習志野高校との試合を最初の頃だけ見たが、前の試合の時とは違っていて状態が立ったままだったし、投球も高めに外れることが多かったので「これでは習志野に勝てないのかも知れない」と思わせてくれた。その不調(なのだろう)が連投の所為かあるいは未完成なのかは知らないが、そこまで見てからチャンネルを変えてしまった。習志野に負けたと知ったのは今朝のニュースだった。それほど多くの試合を見た訳ではないが、全般的に抑えが効かずに高めの球を投げる投手が多く、その高いボール球を空振りする打者が多いのも目立った現象だった。

ここで、サッカー出身者として締めくくりに一言。それは「未だ未だこれという素材は野球に流れているようだし、ラグビーにも体格が良い子供たちが取られているようだ。これではサッカー界には体格も良く身体能力が優れた素材が来ない訳だ」という泣き言である。尤も、往年の松井秀喜や鈴木一朗のような人材がテニス部に入っていたら、我が国のテニス界の歴史は変わっていたかも知れないと思うのだ。



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