新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「暑さ・寒さの変動」に対する感度の問題

2022-06-28 08:03:58 | コラム
後期高齢者となって感じた危険なこと:

昨日も都内は34度だか35度だかの異常とも言えるような暑さだったそうだ。その最悪に暑かったのだろうと思われる昨日の午前11時半頃にジムから出てきた私は、高田馬場駅前のバスの乗り場に立ってバスを待っていた。背中に背負ったリュックサックの中には帽子を入れてあったが、日の光が眩しいとは感じても、帽子をかぶろうとまでは感じなかったし「何だ、天気予報で警告していたほど猛烈に暑くはないじゃないか」とすら思っていた。

70歳台の半ば頃から気が付いたことがあった。それは「暑さと寒さに対して鈍感になったこと」だった。即ち、日中でも外に出たときに、人々が言われるほど「暑くも寒くもないじゃないか」と感じてしまうのだった。暑いと言われているときには「日射病」(これと熱中症の何処が違うかなんて知らないが)を避ける為に2000年4月にワシントン州の工場を訪れたときに記念に貰った、W社のロゴ入りの帽子をかぶる程度で過ごしていた。寒ければダウンジャケットを羽織れば済むのだった。

私はこの「暑さ・寒さ」を感じなくなった現象を「人は長く生きて気温の変動に対して抵抗力が付いたか、亀の甲より年の功でもあるのか」のように、自分にとって都合が良いような解釈をしていた。この「感じないこと」は、ここ数日の猛烈な暑さに対しても「何だ、矢張りたいしたことはないのでは」と感じさせているのだった。だが、テレビのニュースで救急搬送される熱中症患者の人たちはほぼ高齢者ばかりなのだ。

そこで、自分が鈍感化したことに基づいて、「何故、高齢者は猛暑に弱いのか」を考えて見ようと思った。自分の気温の上下の急変動に対する感じ方の鈍さから類推すれば、あの高齢者たちは猛暑に負けただけではなく、猛暑を感じられなくて対応を誤っておられたのではないかと思って見ている。空調を使っていなかったという例もあれば、備えておられない家庭もあったようだ。

それで、私は「もしかすると高齢化すればするほど、気温の上下の変動に鈍感になるのではないのか」と見ている。感じなければ、30度を超えた危険な気温に対する警戒心もなくなるのだろうから、対策も立てていないのだろう。それだけではなく、散々警告されている水分の補給もしないのではないかと疑う。補給が必要とも知らないのではないのか。特に、昭和一桁生まれの私などは、真夏の蹴球部の猛練習の最中でも「水を飲むこと」は御法度という時代の育ちだ。「なんてことない」と思うだろう。

事実、このPCの部屋でも日中はエヤコンを30度に設定して風さえ当たってくれば、何の苦労もなく過ごせてしまうのだ。のどの渇きを感じていなくても、定期的に水を飲みに立ち上がる程度で過ごしている。私の疑問は「この気温の上下の変動に対する鈍感さは私だけのことなのか、それとも大多数の高齢者に生じている現象なのか」なのだ。もしも、高齢化即ち鈍感化であるならば、政府か専門家によるその旨の警告が必要なのではないのだろうか。

警告を発するのは山際大志郎大臣(私の高校の何十期か後の方だ)さん、貴殿でしょうか。もしかして、厚生労働大臣後藤茂之氏の所管かな。


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