新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「パワハラ」をおかしいと思わない感覚を疑う

2018-08-10 07:48:25 | コラム
カタカナ語排斥論者に言わせれば:

先ず言っておくが「パワハラ」か「パワー・ハラスメントは英語としては意味を為していないのである。私はこのカタカナ語をおかしいと思わないマスコミの神経を疑っているのだ。

昨日から日大のチヤリーデイング部で女性の監督が部員を「パワハラ」したと各テレビ局が「また、日本大学が」と騒ぎ立てている。そのこともさることながら、カタカナ語排斥論者の私としては、この奇妙な英語の単語を並べただけで恐らく外国人には意味不明だろう言葉をここまで堂々と使うマスコミの無神経さと英語に関する無知振りに呆れる他ないのだ。ここにあらためて言う必要もないと思うが、カタカナ語をどう使おうと勝手だが、このようにほとんどが言葉の誤用であり英語としてはまるで意味を為さないと承知して置いて欲しいのだ。

またうるさい事を言っていると思われても結構だから、ここにあらためて「パワー・ハラスメント」の何処かおかしいのか、何故英語として意味を為さないのかを、後学の為に解説しておこう。そもそもこのharassmentという言葉がアメリカで現れた時には、その前に形容詞のsexualが付いていた。他にも使われた例はあったが、その時にも「ハラスメント」の前に racialという形容詞が付いて「人種的に悩ますこと」という意味だった。即ち、「悩ますこと」という単語の前に来るのは形容詞だという理屈である。

そこで「パワー・ハラスメント」(power harassment?)の「パワー」はどう考えても形容詞ではない。その意味はジーニアス英和にも名詞で「権力、勢力、(法的)権限、実行力、能力等々」の意味は載っているが、形容詞として使われている例は出ていない。即ち、理屈を言えば「これは無理筋な言葉の使い方である」となる。私には「パワハラ」には「権力の濫用」という意味もあると思うが、それを英語にしてみれば power abuse という一寸難しい言い方があると思う。

何れにせよ「パワー・ハラスメント」のなどという好い加減な言葉を並べて、それが「相手を悩ます」とか「権力の濫用」というような意味に解釈してしまう我が国の学校教育で英語を学んだ方々の融通無碍に英語擬きを解釈してしまう英語力には恐れ入るしかない。いや、後難を恐れずに言えば「かかる言葉を創り出してしまうカタカナ語製造担当者?の創造力と英語の理解力不足には、最早笑うしかない」とすら考えている。学校で英語を教えておられる教師の方々はこういう事態をどう考えておられるのだろうか。




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