湯の字にっき

日々の日記をつらつらと綴っております

独り芝居「審判」

2014-01-17 | キャラメルボックス辺りのこと
多田直人案第3回発表会  独り芝居「審判」
[作]バリー・コリンズ [翻訳]青井陽治
[演出]篠崎光正 /[出演]多田直人

極限状態でのカニバリズム(人肉食)を扱った一人芝居。
戦争中、捕虜となったヴァホフは仲間の肉を喰らい、一人生還する。
この事件に基づき裁判にかけられるヴァホフと、それを見ている傍聴席(客席)

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1/16(木)19:00 @吉祥寺シアター

みてきた。
なんかすごいのみてきた。



何もない平坦な舞台に、ひこくにんの立つべき場所があるだけ。
観客でなく彼の裁判を審査する人としての席。
芝居の前半で出て来る。みなさんの方がお気の毒だ。
この僕を裁かなくてはいけないのだから(うろ覚え)。という台詞がある。
まさしく、そうだ。
みて、聞いたからには彼について考え、
何か結論のようなものを導き出さなければいけないような気持ちになる。
というか、考えてしまう。
食べるという行為、生きるという目的

彼の今の現実はどうなんだろう。
きちんと食べることが出来るんだろうか。
味を、匂いを感じることが出来るのだろうか。
夜、暗い中で眠ることが出来るのだろうか。
そんな風に思ってしまう。

多田くんの中を幾人もの人格が通り過ぎて、また彼に戻っていったような。
ところどころ、話を進めながら、さっきより痩せて見えたり
そうでもなかった錯覚だったと思ったり。
目の表情が別の人のようだったり。
老いて見えたり、若くも見えたり。
ともかく多田くんがすごいのだけど。
この話の作りもまたすごい。
よくもまぁ、こんな芝居が出来たものだ。
そこにヴァホフとして立つ勇気が持てたものだ。
こんなおそろしい芝居。
観ていただけで、あの話が皮膚に張り付いたような気がするのに。
飲み込んで吐き出して、また語るのか。

そして、効果音がまた、ひどい。
一度聞いてしまったからには、もう耳を塞ぐことはできない。
あの音は私の内にある。

あの、音。

それから。車の立ち去る音。
彼らは一度もあの場所を振り返らなかったのだろうか。
裸で、置き去りにした人のことを。
何一つ。身を守るもの、助けるためのもの何一つ残さず
彼らだけを置き去りにして去っていった人達。

それを確認した時に崩れた人間ピラミッド。
行っちまった。と言った時の軽い口調。
笑えたことがびっくりした。
でもその多田くんの口調に釣られて笑ってしまった。
二度目の行っちまった。は、通り過ぎて気付いた。

そこから出来ることなら逃げ出したい
自分がなんで泣いてるのかもわからない。
ここにいることがとても苦しい
でも聞き出してしまったからには、最後まで聞かずにいられない
そんな風でもあった。

暗転後、多田くんの姿がそこになかったことに物凄くびっくりした。
そこに、姿がないということにただただおどろいた。
空白というか、ぽっかりというか。ともかくない、と言う感じだった。
さっきまでそこにあった圧倒的なエネルギーの空白。
存在感が強烈だったんだ。
舞台袖から出てきて中央でお辞儀してまた駆け足で戻る。
去り方がアスリートのようでした。
二度目のカーテンコールで袖に引っ込む前に深々とお辞儀して消えていった。

ともかく、つかれた。
すごいものを受け取ってしまった。そんな感じ。


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