かじもとさん客演のミナモザ「WILCO」見てきた。
6/29(日)14:00 @座・高円寺
なんか、いろいろにっぽんじんだった。
父と息子の葛藤だったり意地だったりのねじれた関係が真ん中にあったけど
よく物語の中で見かけるこれぞ日本人みたいな考えが多発してて、
傷を付けられたような感じもする。
じわじわきてる。見てる私も日本人だしな。
なんで、遠くの人ばっかり支援するのか不思議だったんだ。
日本でもたぶんおんなじ町内にだって困ってる人はたくさんいるのに。
それでも、遠くの地の子供を助ける為に頑張る人。
ひとつだけ聞いてみたくなるのは、立ち位置を確認したいからだよ。
この人はまだ私と同じ価値観の人なのか。線を越えた人なのかどうか。
でも聞くのは怖いよ。
そういう意味で言えば、引鉄を引けなかったサトルは人のまま帰れたのかな。
父のもとへ。父ではなくタカシという役名なのね。
父も一人の人ということかしら。
ラストシーン間際はあれこれいろいろあったけど
無事父の元でだらりと寛いでる姿を見られてよかった。
右手が、その指が人をころしていない手で良かったと思うよ。
引鉄を引けなかったという彼も、やはりどうしようもなく日本人。
誰もころさず、それでもここまで生きていられたのは
自衛隊で、軍隊で、彼がちゃんと自分を鍛えていたからかな。
最初に記者の人が倒れるシーンがあって、
父に取材に行った記者が息子さんに会いに行くと言うシーンがあって、
この人はサトルを取材に来て、サトルの目の前でころされたのか。
と思いましたがその辺は全然繋がらなかったですな。
読み違い。
最後の父とのシーンは彼の妄想とか夢とかも思える。
もう一回見たらいろいろ印象の違うシーン多そう。
やはしもう一回観たかったな。
千秋楽に観るともう一回観たい時つらいわね。
まるい照明の真ん中に倒れて父への手紙を口にするサトル。
が一番印象的だったかな。
かじもとさんに関して言えば、かじもとさんであってかじもとさんでない人が
そこにいるような不思議な感じがした。
赤裸々な別人。
ナチュラルで別人。
なので、終演後ロビーにいらした時はふつーにかじもとさんで
さっきまでサトルだった人なのに違う人で。
見てる間感じてたあれこれが収拾付かない感じになってた。
シンジと再会した時のサトルがかわいかったな。
彼を見るシンジの目は怖いものを見てる目だったけど。
いろんなかじもとさんが見られた。
見る前に「たぶん、いい子なんだと思う」という友達の言葉があって
ぶれずに彼を見ていられてよかったと思う。
ラストシーン前のあれこれ。
かじもとさんと説得彼女が話してる時に遠くで雨音がしてて
あれ、ホンモノの雨音? 外の雨音が聞こえてるの? と思うも
あまりに台詞の合間とか、声にかぶさるにしてもとてもいいタイミングで雷が鳴るので
効果音か。と思ってたらホンモノの雨音だった件。
(終演後外みて、びっくりするくらい降ってた)
そして、ラストシーンのかじもとさんが元のグレーの服パーカーに着替えて
登場して、照明ついた途端、ぱしっと消えた件。
あれ、停電? つかない。うっすら明るいな。音楽聞こえる、停電じゃないな。
でもつかない。やっぱりつかない。これ、まじで停電か。停電だな。
どうするのかな。どーするのかなー。だいじょぶかー。お。ついた。
という、うっすら暗闇の中。
かじもとさんお茶飲んだり、ちょびっと動いてたり
お茶飲んだり。
ステージ上も、裏も、客席もともに緊張して見守ったラストシーン。
ちょい不自然な長さではありましたが、ざわつく程長くもならず無事照明もついて
かじもとさんは漫画雑誌読んだり、入ってきた父にスルーされたようで
ゆるりと存在を認められて、ゆるんで、屈託をほどいて
仰向けに寝ころび、目の前にその右手をかざして、指先を光がかざして幕。
長い夢を見ていたような、逆にラストが夢のような不思議な幕でございました。
ちょっとかじもとさんに醸された。
ような気がする。
6/29(日)14:00 @座・高円寺
なんか、いろいろにっぽんじんだった。
父と息子の葛藤だったり意地だったりのねじれた関係が真ん中にあったけど
よく物語の中で見かけるこれぞ日本人みたいな考えが多発してて、
傷を付けられたような感じもする。
じわじわきてる。見てる私も日本人だしな。
なんで、遠くの人ばっかり支援するのか不思議だったんだ。
日本でもたぶんおんなじ町内にだって困ってる人はたくさんいるのに。
それでも、遠くの地の子供を助ける為に頑張る人。
ひとつだけ聞いてみたくなるのは、立ち位置を確認したいからだよ。
この人はまだ私と同じ価値観の人なのか。線を越えた人なのかどうか。
でも聞くのは怖いよ。
そういう意味で言えば、引鉄を引けなかったサトルは人のまま帰れたのかな。
父のもとへ。父ではなくタカシという役名なのね。
父も一人の人ということかしら。
ラストシーン間際はあれこれいろいろあったけど
無事父の元でだらりと寛いでる姿を見られてよかった。
右手が、その指が人をころしていない手で良かったと思うよ。
引鉄を引けなかったという彼も、やはりどうしようもなく日本人。
誰もころさず、それでもここまで生きていられたのは
自衛隊で、軍隊で、彼がちゃんと自分を鍛えていたからかな。
最初に記者の人が倒れるシーンがあって、
父に取材に行った記者が息子さんに会いに行くと言うシーンがあって、
この人はサトルを取材に来て、サトルの目の前でころされたのか。
と思いましたがその辺は全然繋がらなかったですな。
読み違い。
最後の父とのシーンは彼の妄想とか夢とかも思える。
もう一回見たらいろいろ印象の違うシーン多そう。
やはしもう一回観たかったな。
千秋楽に観るともう一回観たい時つらいわね。
まるい照明の真ん中に倒れて父への手紙を口にするサトル。
が一番印象的だったかな。
かじもとさんに関して言えば、かじもとさんであってかじもとさんでない人が
そこにいるような不思議な感じがした。
赤裸々な別人。
ナチュラルで別人。
なので、終演後ロビーにいらした時はふつーにかじもとさんで
さっきまでサトルだった人なのに違う人で。
見てる間感じてたあれこれが収拾付かない感じになってた。
シンジと再会した時のサトルがかわいかったな。
彼を見るシンジの目は怖いものを見てる目だったけど。
いろんなかじもとさんが見られた。
見る前に「たぶん、いい子なんだと思う」という友達の言葉があって
ぶれずに彼を見ていられてよかったと思う。
ラストシーン前のあれこれ。
かじもとさんと説得彼女が話してる時に遠くで雨音がしてて
あれ、ホンモノの雨音? 外の雨音が聞こえてるの? と思うも
あまりに台詞の合間とか、声にかぶさるにしてもとてもいいタイミングで雷が鳴るので
効果音か。と思ってたらホンモノの雨音だった件。
(終演後外みて、びっくりするくらい降ってた)
そして、ラストシーンのかじもとさんが元のグレーの服パーカーに着替えて
登場して、照明ついた途端、ぱしっと消えた件。
あれ、停電? つかない。うっすら明るいな。音楽聞こえる、停電じゃないな。
でもつかない。やっぱりつかない。これ、まじで停電か。停電だな。
どうするのかな。どーするのかなー。だいじょぶかー。お。ついた。
という、うっすら暗闇の中。
かじもとさんお茶飲んだり、ちょびっと動いてたり
お茶飲んだり。
ステージ上も、裏も、客席もともに緊張して見守ったラストシーン。
ちょい不自然な長さではありましたが、ざわつく程長くもならず無事照明もついて
かじもとさんは漫画雑誌読んだり、入ってきた父にスルーされたようで
ゆるりと存在を認められて、ゆるんで、屈託をほどいて
仰向けに寝ころび、目の前にその右手をかざして、指先を光がかざして幕。
長い夢を見ていたような、逆にラストが夢のような不思議な幕でございました。
ちょっとかじもとさんに醸された。
ような気がする。