アジアの手仕事~生活と祈り~

アジア手工藝品店を営む店主が諸国で出逢った、愛すべき”ヒト・モノ・コト”を写真を中心に綴らせていただきます

永遠を祈る環状整経・不切断の織物

2012-10-31 05:20:00 | 技巧・意匠・素材









製作地 ミャンマー・ラカイン州  
製作年代(推定) 20世紀前期
民族名 ラウクトゥ族  
素材/技法 木綿、絹、天然染料 / 環状整経・経糸不切断、片面緯紋織、菱地紋

環状整経で織り上げ、通常は切断して一枚布として完成させるフリンジ部分を、敢えて切断せずに環状(輪)のままで用いる、特殊な織物に出会うことがあります。

ミャンマーのチン族、インドネシア・スマトラ島のバタック族、マレーシア・ボルネオ島のイバン族...等々 共通するのは、これが祝祭や儀礼等の特別な用途で手掛けられ、長寿や結婚の幸せなど、”永遠への祈り”を”途切れ目の無い織物”に投影させている点となります。

画像の作品は、チン族系の民族である”ラウクトゥ族”が頭布として織り上げたもの、単に環状整形であるのみでなく、白地部分には菱地紋が織り込まれ、布端には片面緯紋織の文様が描かれるなど手が込んでおります。そしてそのすべてが”祈り”へと繋がります。





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托鉢・供物を奉げるためのさじ

2012-10-29 05:28:00 | 生活と祈りの道具



製作地 ミャンマー・バガン  
製作年代(推定) 19世紀後期~20世紀初頭
素材 チークウッド、漆





製作地 ミャンマー・シャン州  
製作年代(推定) 20世紀半ば
素材 チークウッド、黒漆、朱漆

敬虔な仏教信仰が生活に根付いてきたミャンマーでは、様々な種類の仏教儀礼用の道具が、土地ごとの伝統手工芸とも密接に結び付いて生み出されてきました。托鉢・供物を奉げるための匙(さじ)もその一つです。

チークを素材に繊細な手彫りによる造形がなされ、漆の塗装が加えられたご紹介画像のような供物用匙は、中部の古都バガン・マンダレーやミャンマー漆の原産地シャン州において、優れた作品が手掛けられ、信仰と生活の中で用いられてきました。

一木からの丹念な彫りにより表わされた意匠、祈りの精神性に惹き込まれる作品たちです。


















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英領時代のラングーン邸宅調度品

2012-10-27 05:48:00 | 技巧・意匠・素材



製作地 ミャンマー・ヤンゴン  
製作年代(推定) 19世紀後半
素材 チーク材

頭にターバンを巻き腰衣を着けた人夫の彫像、英領インド時代のラングーン(ヤンゴン)で作られたもので、意匠からはコロニアル(植民地)美術・建築様式の濃密な空気感が薫ってまいります。

木像の中央に管を通す穴が貫いており、手を添えた人夫の口部から水を噴出すもの、邸宅を装飾するエクステリアであったと考えられる作品です。

英領時代のラングーンは”東方の庭園都市”と呼ばれ、緑と水(湖や池)に溢れ、チーク材の産地(出港地)として瀟洒な英風木造建築が建ち並ぶ美しい街並みであったことが知られます。

この人夫の彫像は、ラングーン居住の英国駐在員や商人の邸宅の、緑と花で彩られた庭に設えられた水管の先端に付されていたのかもしれません。

どのような人が住む、どのような家でこの人夫のチーク彫像の口から水が噴き出ていたのか、そしてその庭はどのようなつくり・景色であったのか... また百数十年前の当時のラングーンは、どのような表情・空気であったのか、想像が停まることがありません。















●英領インド時代のラングーン(ヤンゴン)
※上画像はAPA PUBLICATIONS刊「BURMA MYANMAR」より転載いたしております




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念持仏としての青銅製せん仏

2012-10-23 05:38:00 | 技巧・意匠・素材



製作地 カンボジア北部  
製作年代(推定) 12~13世紀 アンコール期
素材 青銅(ブロンズ)





”せん仏”は、寺院や仏塔等建造物の装飾、或いは単独で奉納仏・礼拝仏及び法具等として用いるため、雌型に粘土等を詰めて型押しし、乾燥若しくは焼成させて作られた比較的小型の仏像及びそれに類する品モノとなります。

インド・中国を製作・伝播の起源地として、東アジア・東南アジアを含む仏教圏の広い範囲で手掛けられてきました。我が国日本では唐の影響下で7~8世紀を中心に製作がなされたことが、残存する寺院装飾や遺跡発掘により確認されております。

クメール王朝期(アンコール期)に手掛けられた本せん仏は、大きさが5cm弱の小型である点、そして型ではない実仏(本仏)が青銅製である点に特徴を見出すことができます。

クメール王朝はとくに青銅製品を宗教儀礼用の法具として重用してきたため、このような青銅製のせん仏が、信仰の対象として作られるに至ったと考えられております。

手の平に納まる大きさのうちに篤き信仰の精神性が凝縮された、遠い時代の護符・念持仏です。




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