アジアの手仕事~生活と祈り~

アジア手工藝品店を営む店主が諸国で出逢った、愛すべき”ヒト・モノ・コト”を写真を中心に綴らせていただきます

中国 17-18c 日本渡り”木綿間道”裂(包裂)

2021-01-28 05:41:00 | 染織





製作地(推定) 中国南部
製作年代(推定) 17-18世紀
渡来地・使用地 日本 江戸時代初中期
素材/技法 木綿、天然染料 / 平織、縞格子
サイズ 横(緯)100cm、長さ(経)91cm

中国南部で手掛けられ、江戸時代初中期17~18世紀の日本にもたらされた”木綿間道”裂。

この平織の”木綿間道”は、変わり織木綿として知られる”唐木綿”とともに中国南方産の布としてオランダ船・中国船(唐船)との交易により舶来したと考察されるもので、インド産を主体とする唐桟留・奥嶋とともに、渡り木綿嶋が大名・貴族・商家等の富裕層の間でもてはやされた様子を当時製作され今に残る裂帖・手鑑及び茶の湯の裂地等により確認することができます。

17~18世紀当時、国産木綿は未だ短繊維で糸が粗く、渡り木綿の織物の品質に近づくには至っておらず、上質な国産木綿織物の庶民層への流通は18世紀末の”寛政の改革”が契機となった旨の史料記述からも、江戸時代初中期は舶来木綿は憧れの存在であったことが伺えます。

この木綿間道は、白・灰・緑・水・紺・橙・赤茶の7色の木綿糸が経緯に配され、巧みな色の掛け合わせで細太の縞格子が豊かな色彩と端整な柄で織り上げられたもの、布幅(緯)は100cmで着尺の3巾にあたるもので、縫い目無しで絵柄に乱れが生じない羽織や包裂の仕立てがかなうもの、当初から数寄者向きの高級木綿嶋として発注されたものの可能性を指摘できます。

数世紀の時を重ねていろ・かたちを失わず現在に伝えられた布であり、糸・染め・織りの製作技術の高さとともに、日本人の裂愛好の精神・遺伝子が実感される染織作品です。



























●本記事内容に関する参考(推奨)文献
 

インド 18-19c スマトラ向け”アラベスク模様”インド更紗裂

2021-01-20 04:49:00 | 染織






製作地 インド南東部 コロマンデル海岸エリア Coromandel coast
製作年代(推定) 18世紀-19世紀初め
渡来地・使用地 インドネシア・スマトラ島
素材/技法 木綿、天然染料 / 木版捺染及び描き染め、媒染、防染、片面染め
サイズ 41.5cm×26.5cm

インドで手掛けられ、18世紀~19世紀初めにインドネシア・スマトラ島にもたらされた”アラベスク模様”のインド更紗裂。

上下左右対称の輪繋ぎ状の連続模様が空間・余白を排して連なる、一見してイスラーム様式の意匠の”アラベスク模様”の影響が色濃い本布は、インドネシア・スマトラ島のジャンビ・パレンバン等ムスリム港市への交易向けに手掛けられたインド更紗の本体柄部分で、完品ではエンドボーダーに鋸歯状模様“トゥンバル”を備えていたと推察される作品です。

スマトラ島において“インド更紗”は“絹経緯絣パトラ”とともに王族・貴族階級のステイタス・シンボルと位置づけられ、代々受け継ぐ財産としての布“=スンバギ(sembagi)”として大切に扱われるとともに、バティック等ローカルの染織文化にも大きな影響を与えてきました。

本品は極めて繊細に紡がれた細手の糸により織り上げられた平滑な木綿地をベースに、木版捺染と描き染めの併用で緻密かつ多彩な色付けがなされた当時の上質な部類に入るインド更紗で、模様の一部にシャム王国向けインド更紗と共通する描線モチーフが見られることから、コロマンデル海岸の熟練した染め職人が製作にあたったことが伺える作品となります。

東インド会社を筆頭とする交易商人とスマトラ港市間で香辛料貿易が行われ、対価としてのインド染織品が交易船で運ばれた、近世”海のシルクロード”の時代に心誘われる一枚です。





















●本記事内容に関する参考(推奨)文献
  

アラベスク模様

2021-01-18 06:36:00 | 技巧・意匠・素材



●インド更紗 インドネシア・スマトラ島 イスラーム王族・貴族向け

製作地 インド南東部 コロマンデル海岸エリア Coromandel coast
製作年代(推定) 18世紀-19世紀初め
渡来地・使用地 インドネシア・スマトラ島
素材/技法 木綿、天然染料 / 木版捺染及び描き染め、媒染、防染、片面染め







(写真 イラン・エスファハーン州 エスファハーンにて)