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製作地(推定) 中国南部
製作年代(推定) 17-18世紀
渡来地・使用地 日本 江戸時代初中期
素材/技法 木綿、天然染料 / 平織、縞格子
サイズ 横(緯)100cm、長さ(経)91cm
中国南部で手掛けられ、江戸時代初中期17~18世紀の日本にもたらされた”木綿間道”裂。
この平織の”木綿間道”は、変わり織木綿として知られる”唐木綿”とともに中国南方産の布としてオランダ船・中国船(唐船)との交易により舶来したと考察されるもので、インド産を主体とする唐桟留・奥嶋とともに、渡り木綿嶋が大名・貴族・商家等の富裕層の間でもてはやされた様子を当時製作され今に残る裂帖・手鑑及び茶の湯の裂地等により確認することができます。
17~18世紀当時、国産木綿は未だ短繊維で糸が粗く、渡り木綿の織物の品質に近づくには至っておらず、上質な国産木綿織物の庶民層への流通は18世紀末の”寛政の改革”が契機となった旨の史料記述からも、江戸時代初中期は舶来木綿は憧れの存在であったことが伺えます。
この木綿間道は、白・灰・緑・水・紺・橙・赤茶の7色の木綿糸が経緯に配され、巧みな色の掛け合わせで細太の縞格子が豊かな色彩と端整な柄で織り上げられたもの、布幅(緯)は100cmで着尺の3巾にあたるもので、縫い目無しで絵柄に乱れが生じない羽織や包裂の仕立てがかなうもの、当初から数寄者向きの高級木綿嶋として発注されたものの可能性を指摘できます。
数世紀の時を重ねていろ・かたちを失わず現在に伝えられた布であり、糸・染め・織りの製作技術の高さとともに、日本人の裂愛好の精神・遺伝子が実感される染織作品です。
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