アジアの手仕事~生活と祈り~

アジア手工藝品店を営む店主が諸国で出逢った、愛すべき”ヒト・モノ・コト”を写真を中心に綴らせていただきます

目の肥えたジャンビ向けのインド更紗とラスム更紗

2014-05-31 05:58:00 | 染織

●ジャンビ向けインド更紗  カイン・スマギ


製作地 インド・コロマンデル海岸  
製作年代(推定) 18-19世紀
※上画像は京都書院刊「知られざるインド更紗」より転載いたしております



●ジャンビ向けジャワ(ラスム)更紗  カイン・ジャンビ


製作地 インドネシア・ジャワ島 ラスム  
製作年代(推定) 19世紀


ジャンビ王国(旧シュリーヴィジャヤ王都)は、近世大航海時代に胡椒交易の集積・出荷地(港湾都市)として栄え、交易の対価として得られるパトラやインド更紗を中心とするインド染織は、ジャンビの宮廷者・貴族のステイタスの象徴として重要な役割を担いました。

「ジャンビで求められるコロマンデルの布を供給出来なければ、胡椒産地の住民が取引を放棄してしまうだろう...」1630年イギリス東インド会社商館の記録

「オランダ東インド会社がインドからバタヴィアへ持ち込んだ品物のうち、84.21%までを染織品が占めるに至った...」1661年
※上の二文章は京都書院刊「知られざるインド更紗」より転載いたしております

上の二文章のみでも、インド更紗(及びパトラ等のインド染織)の当地での価値・需要がどれほどのものであったのか、容易に推察することができます。ちなみにインド更紗はスマトラやバタヴィアを経由して江戸時代の日本にもたらされ大名・貴族・茶人等の間で珍重されるに至ります。

18世紀後期~19世紀、オランダ植民地下のジャワ島北岸エリアで、交易向けにふさわしい染色技術に達したジャワ更紗の製作が始まり、茜染めの発色が取り分け美しくインド更紗に伍する完成度に達した「ラスム更紗」はジャンビ貴族のおめがねに適うものとなりました。

ジャンビ・パレンバンの人々は、布に対する好みが特に厳しいことでオランダ東インド会社の職人を恐れさせていた... という趣旨の当時の商館員の記録が残っているそうです。











●本記事内容に関する参考(推奨)文献


18-19c”仏陀とナーガ(龍王ムチャリンダ)”像

2014-05-29 05:38:00 | 仏神像



製作地 ミャンマー  
製作年代(推定) 18-19世紀
素材 青銅(ブロンズ)


White Lotus刊「Burmese Buddhist Sculpture」掲載の同種作例


仏陀像の体躯・顔相の様式の一致から、上二像は同所での製作物と特定することができます。

ナーガは鍛造・曲げ・彫金・鑞付けが駆使されており、職人手仕事のもの故に、全く同じディテイル表情のものは二つと作られなかった、そのようにも推察することができます。

「成道後の仏陀が菩提樹の下で瞑想を行っていた際に激しい嵐が起き、龍王ムチャリンダが自身の身体を用い雨風から7日間にわたりこれを守った...」

信仰の世界観と物語性に惹き込まれる仏教国ミャンマーのブロンズ作品です。





●本記事内容に関する参考(推奨)文献
 

象と獅子の混交モチーフ”シーホー”

2014-05-27 06:20:00 | 技巧・意匠・素材








”象”の頭と”獅子”身体を持つ聖獣「シーホー」は神話に登場し、染織や絵画等に表わされてきたラオス固有の宗教的モチーフとなります。

力の強さを誇る二つの動物が合わさったものですが、その描かれ方はどこかおっとりとして愛らしさが感じられます。即物的な力の象徴でないことは確かなように思われます。



●シーホーが縫取織で表わされた作品(シーホーの背に精霊が乗る)


製作地 ラオス・フアパン県  
製作年代(推定) 20世紀前期
民族名 タイ・デーン族



●シーホーが絣で表わされた作品(シーホーの背に小さなシーホーが背中合わせに乗る)


製作地 ラオス・フアパン県  
製作年代(推定) 20世紀前期
民族名 タイ・モイ族





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ナーガと舟文様の絹絣 クメール宮廷儀礼用ピダン

2014-05-25 07:15:00 | 染織



製作地 カンボジア南部  
製作年代(推定) 19世紀後半~末
素材/技法 絹(カンボウジュ種)、天然染料 / 綾地・緯絣

クメールの国家・仏法を守護する蛇龍神(ナーガ)と生命樹の間に浮かぶ舟文様の絹絣。一見して宮廷・寺院の特別な儀礼用布としての荘厳美をただよわせる19cの作例です。

”舟”は先祖の霊を奉り、国の繁栄・平安を祈るための灯篭流しの”霊舟”をあらわすとともに、港市国家”扶南””チャンパ”にはじまる海上交易国家としての富の象徴文とも考えられております。

このデザイン様式のピダンはチャム人の手によるものとも推察されており、マレーとクメールを繋ぐ”舟文様”としても歴史の浪漫が薫ってまいります。















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