製作地 日本 ※地域不詳
製作年代(推定) 18世紀後期~19世紀初め 江戸時代中後期
素材/技法 木綿、天然染料 / 平地、経縞
製作地 日本 ※地域不詳
製作年代(推定) 18世紀後期~19世紀初め 江戸時代中後期
素材/技法 木綿、天然染料 / 平地、経絣、経緯縞(糸脱落あり)
18世紀に入ると日本の国産木綿栽培は各地で軌道に乗りはじめ、渡り木綿(奥嶋唐桟・渡り嶋物等)に刺激された和物”縞木綿”の生産及び需要熱が高まっていく(庶民層にも広がっていく)様子が、歴史書・日記等の記載及び浮世絵等絵画の描写により確認することができます。
取り分け、享保の改革(18c前)と寛政の改革(18c後)での衣の倹約令は、絹偏重の上層階級衣装モードに変革をもたらし、相対的に”国産木綿織物の地位向上”へと繋がっていきます。
画像上、茶藍”万筋嶋”の縞木綿裂は、明らかに舶来”唐桟留(とうざんどめ)”の影響が色濃く感じられる織り意匠のもので、目の詰んだ織りと一見すると絹と思えるような光沢感のある藍糸の入った平滑な布表情が特徴的、武家の袴地として使用されたものの解き裂となります。
画像下、タテ絣入り縞木綿裂は、本来は絹繻子で色光沢ともに鮮やかに織られた舶来の交織布(インドのマシュルーとする説あり)を祖型とし、これが木綿に写されたものと考えられており、18世紀後半以降、庶民層(町人女)の日用着として流行した様子の記録が残されております。
経と緯の糸抜け箇所は、鉄媒染の濃茶染め糸が腐蝕脱落したものですが、部分的に絹糸が配されていた可能性も考えられます。