アジアの手仕事~生活と祈り~

アジア手工藝品店を営む店主が諸国で出逢った、愛すべき”ヒト・モノ・コト”を写真を中心に綴らせていただきます

19c バンカ島 絹緯絣&金糸緯紋織 ソンケット・リマル裂

2022-06-21 10:45:00 | 染織




製作地 インドネシア バンカ・ブリトゥン州 バンカ島ムントゥック Muntok Bangka
製作年代(推定) 19世紀後期
素材/技法 絹、天然染料、撚金糸 / 緯絣、緯紋織(ソンケット)
サイズ 13cm×33cm

13cm×33cmの断片裂ながらも、高貴な布としてのオーラが隠しようもなく放たれている19cスマトラ貴族・富裕商人向けの儀礼用染織作品。

”カイン・ソンケット・リマル・ムントゥック(Kain Songket Limar Muntok)”と呼称される作例で、”バンカ島ムントゥック製作の緯絣と緯紋織で装飾された布”と意訳できるもの、完品は90cm×2mほどの女性用肩掛(スレンダン)であったものと推察されます。

絣柄の繊細さと色彩の完成度の高さは傑出しており、エンドボーダーを彩る典型的なムントゥック様式の”竹の子模様(プチュク・ルボン)”も端整かつ流麗で経緯絣と見紛うような出来映えです。

そして本裂の特筆すべきは撚金糸の煌びやかな美しさ(孔雀と象の連続模様が織り表されていると思われる)で、金の大方が剥離せずに残っており、当時において最も上質な部類のペルシャ・インド舶来の撚金糸が用いられている様子を顕微鏡画像から伺うことができます。

海洋交易による栄華の時代に花開いた染織作品で製作の盛期は短く失われていったもの、時代に固有の濃密な色香と、儚さを内包する孤高の完成美に魅了される一枚です。





















(光学顕微鏡による画像)








20c初 ”鳳凰・松&井桁模様”経緯併用絣 近江上布

2022-06-16 08:24:00 | 染織




製作地 日本・滋賀 湖東地域
製作年代(推定) 20世紀初め 明治時代
素材/技法 麻、藍 / 経緯併用絣
サイズ 幅(緯)33cm、長さ(経)125cm

”鳳凰””松””井桁”模様が大ぶりかつ端整に織り表された明治期の近江上布裂。

子供用着物の解き裂と推察される一枚で、同じデザイン様式で異なる吉祥モチーフが配された着尺地が同地域・同時代の所産として見出されます。

経緯併用絣に分類される染織作品ですが、仮織りの状態で伊勢型紙を用いた型紙捺染により糊置き・藍染めを行ったうえで本織りされるもの、糸は大麻と苧麻の交織が一般的に行われていたため、本品についても交織布である可能性を指摘することができます。

絣模様の美しさとともに上質な麻糸遣いの織物ならではの肌触りの良さと布表情のたおやかさが魅力、時代に固有の生命感と色香が薫る近江上布古裂の優品です。




















(光学顕微鏡による画像)




琉球王国 19c 木綿地”浅地雲に雁若松楓流水模様”紅型裂

2022-05-29 09:47:00 | 染織







製作地 琉球王国(現日本国・沖縄県)
製作年代(推定) 19世紀前期-半ば
素材/技法 木綿、天然顔料 / 型染、糊防染、片面染め
サイズ 横12.7cm、縦18.3cm

19世紀前期~半ば、今から180~200年前の琉球王国で手掛けられた木綿”浅地雲に雁若松楓流水模様”紅型裂。

大模様・大柄型紙が使用され多色の染め分けを交えて飛雁・流水のモチーフが生き生きと染め描かれたもので、この裂には収まっていない箇所を含める型紙全形(これに近いものを過去にご紹介)では複数の飛雁と若松・楓モチーフが配されたパノラマ的絵図の作品となります。

王候貴族階級の衣裳の衿の部分裂と考察されるもので、約13cm×約18cmの小ぶりな裂ながら固有の格調の高さが薫ってまいります。























(光学顕微鏡による画像)






●参考画像

苧麻地「浅地雲に雁若松楓流水模様」紅型衣裳(部分)
東京国立博物館収蔵
※上画像は京都書院発行「琉球紅型」より転載いたしております

17c 江戸時代初期渡り インド朱赤地花卉文様”モール”裂

2022-04-28 09:25:00 | 染織




製作地 インド
渡来地・使用地 日本 
製作及び渡来年代(推定) 17世紀 江戸時代初期
素材/技法 絹、銀(截金) / 錦(平地・縫取織)、銀モール(截金は紺青に着色)
サイズ 横幅(緯)28cm×縦(経)19cm

江戸時代中後期に打敷とされ伝世した、江戸時代初期の舶載錦(ブロケード)の解き裂。

肉眼ではまったく判別できないものですが、顕微鏡で十倍程度に画像拡大したうえで観察することにより糸の一部が”モール”であること、また銀の截金に紺青の着色が施されていることなどが確認できます。

日本での呼称”モール”の語源は、インド・ムガル帝国(Mughal)の”ムガル”が訛ったものとする定説がありますが、本裂はまさにムガル帝国全盛期の17世紀のインドで織られ、紅毛船・唐船等の交易船により日本に渡来した上手のモールと考察されます。

花卉文様を構成する絹糸は色によっては腐蝕脱落し、銀モールも剥がれて黄色の芯糸が覗く部分が多く、製作当初とは相当異なる姿になっていると思われますが、それでもここまで力強く瑞々しい美の生命を宿し続けていることに感動を覚えます。

17世紀当時のインドのモール織り入れブロケードが、ここまで糸遣い・織りが細密かつ巧緻であることに驚かされるとともに、様々な視点から鑑賞の愉しみが尽きることのない一枚です。

















(光学顕微鏡による画像)










インド 17-18c 古渡り”算崩し文様”唐桟留裂

2022-04-11 07:37:00 | 染織




製作地 インド
渡来地・使用地 日本
製作及び渡来年代(推定) 17-18世紀 江戸時代初中期
素材/技法 木綿、天然染料(茜・藍) / 経緯とも双糸、平地・格子織
サイズ 横幅(緯)34cm、縦(経)69cm

経緯とも二本引き揃えの”双糸(そうし)”の木綿が赤青白の三色で配され、圧倒的な細密ぶりで”算崩し”の文様が織り上げられたインド舶来の古渡り木綿織物。

この”唐桟留(とうざんどめ)”と呼称された織物は、同じくインド舶来の”古渡り更紗”とともに、木綿を素材とする未知の次元の高度な技巧が加えられた染織として、戦国・安土桃山~江戸初中期の大名・貴族・茶人等の数寄者を大いに魅了したことが資料・文献及び彼らが製作した裂帖等により伺うことができます。

そしてこれらの渡り木綿に対する憧れから国産木綿の生産及び和製木綿織物の発達が促され、江戸中後期の庶民文化の中で”嶋物(縞木綿)”がもてはやされるに至った、まさにその原初のもののひとつという見方ができるように思います。

今では失われし素材感と手技のもの、近世海洋交易の時代に心誘われる一枚です。




















(光学顕微鏡による画像)



●目盛は1mm単位