まりっぺの平凡日記

毎日平凡に生きれるって幸せなんだ。でもその平凡っていうのは意外と難しい。

悩んだ結果

2013-01-24 00:00:00 | Weblog

大学の同期NからYの危篤を知らせる連絡があってから、果たして駆けつけようかどうか悩みまくりました。若かりし頃、楽しい青春を共に過ごし、卒業旅行も一緒に行ったY。最後に会いたいという気持ちはあるものの、数年にわたる闘病生活で、変わり果てたであろう彼女の姿を見る勇気がない(;_;)

最後に会ったのは5年程前の同窓会。その数年後、電話やメールでのやりとりで再発したことを知りました。癌になった当初(10年程前)はよく彼女を訪ねたのですが、再発してからは会いたくないという彼女。だから私たちの中では5年程前の同窓会の姿が思い出となっています。

だから今の彼女を見てしまったら、これから私は彼女の弱りきった姿が強烈過ぎて、きっと彼女を思い出す度に、その姿が鮮明に脳裏に焼き付けられてしまうのではないか…と思って、怖いのです。だから会いたいけど、会いたくないというのが正直な気持ち。

でも…もし彼女が会いたいと言ってくれたら、飛んでいくべきではないか?と別の私がささやきます。

では彼女の意思やご家族のご意向を確認するには家族に連絡すべきだろうと思い、ふと電話を手に取るが、連絡をくれたNはYの仕事関係の人から内密にYの状況を聞いたらしいことを思い出しました。

内密ということは彼女のことをあまり家族が周りに知らせていないということだろう

私自身、母が癌になった時、周りにあまり知らせようとは思わなかった。知らせる元気さえなかった。でも親しい極僅かの知り合いに知らせたら、瞬く間に母のことが皆に知れ渡り、沢山の方々が心配して連絡をしてきました。

心配して連絡してくれたのはよくわかるのですが、治療や今後のことでいっぱいいっぱいだった私や母は、正直、皆さんに何度も状況を説明するのが辛かった。それに何人もの電話で時間を取られるのもきつかった。それに母自身、弱った姿を見せたくないと言っていたし、私だって、日に日に痩せ、髪が抜ける母を人の目に晒すのは嫌だった。母が会いたいと言えば、別ですが…

そして心配して下さる皆さんが経過を知らせて欲しいと仰ってくださっていたけれど、一日を終え、疲れきって帰ってきてから、人に電話をすることがどれほどしんどいことだったか…

このような自分の状態とYのご家族を重ね合わせると、電話をするのは憚られる。

では、何も知らない振りして「Y,その後、調子はどうですか?暖かくなったら、気晴らしにご飯でも行こうね!」と彼女の携帯の留守電にでも入れようか?とも思った。そうしたら、家族がそれを聞いて連絡をくれるのではないか?と悩んでいたら、今年、彼女に年賀状を出したことを思いだします。

そして私が出した結論…

年末に彼女が救急搬送されたらしいとNは言っていた。

ならば、年明けの彼女宛の年賀状はご家族が目にしているはず。

ご両親にも、旦那さんにも何度も私はお目にかかっているので、私の年賀状を彼らが見て「あ~そういえばまりっぺにも知らせて、会わせたい」と思えば、私に連絡をくれるはず。

でも連絡がないということはそう思わなかったということであろう。

必要なら連絡があるはずだ。

だから、R同様、Yに関しても、ひたすら私は待つしかないんだと思う


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