気ままに

大船での気ままな生活日誌

東洋陶磁美術館にて

2011-09-24 08:51:00 | Weblog

新大阪を発つ前のひとときを、中之島の大阪市立東洋陶磁美術館ですごした。もう3回目の訪問になるだろうか。安宅コレクションの名品がいつでもみられるのがうれしい。一番のお目当て、国宝、油滴天目茶碗が待っていてくれた。去年、出光で、その前は、三井記念美術館の”安宅英一の眼、安宅コレクション”でもみている。相変わらず、星空のようなうつくしさだった。そして、重文、木葉天目茶碗。葉脈までうつしとった木葉が印象的。

北宋汝窯青磁、水仙盤。ぼくは汝窯と聞いただけでソンケイしてしまう。天青色の楕円形の盆。猫の餌入れだったという説があるが本当だろうか。ぜいたくな猫だ。そして緑釉黒花牡丹文瓶、白磁銹花牡丹唐草文瓶、青花蓮池魚藻文壺と重文がずらり。その他、どれも安宅英一の眼で選んだものだから、すばらしいものばかり。東慶寺のお墓に御礼を言っておこう。青磁は自然の光が一番うつくしいうことで、自然採光展示ケース内に展示されている。

日本陶磁室にはお相撲さんがいた。”色絵 相撲人形 二組”。柿右衛門様式で、輸出用として17世紀後半から有田で生産された色絵磁器だ。濁手(にごしで)とよばれる乳白色の白磁胎と余白を生かした優雅な上絵付が特徴である、とのこと。秋場所開催中でもあるので、記念に絵ハガキでもと思ったが、なかった。

国際交流企画展として”碧緑の華・明代龍泉窯青磁-大窯楓洞岩窯址発掘成果展”を覗き、さらに、特集展:”掌中の美-沖正一郎コレクション鼻煙壺”もみた。これが面白かった。鼻煙壺は、嗅ぎタバコを入れるための小さな容器で、清時代に流行したものだそうだ。陶磁、ガラス、七宝などの材料で、色鮮やかに装飾されている。写真がないのが残念だが、あまりのかわいらしさに、嗅ぎタバコとは女性だけの嗜好品なのかと思ってしまうほどだ。平成20年度に鼻煙壺のコレクターとして著名な沖正一郎氏から1200点のコレクションが寄贈されたそうだ。

中之島の公会堂をみて、あの幼稚園をみて、淀橋駅から地下鉄で新大阪に向った。
。。。。。

北宋汝窯青磁、水仙盤



油滴天目茶碗

 



 

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秋分の日に

2011-09-23 18:47:41 | Weblog

今日は秋分の日。そしてお彼岸のお中日。ふたりでお墓参りに行った。お寺の彼岸花が見頃になっていた。

大銀杏は、一昨日の台風15号の、雨にも負けず、風にも負けず、どんと構えていた。お地蔵さんが散った葉を掃除していた。

帰りに、武蔵小杉駅からバスで川崎市民ミュージアムに。”福田繁男大回顧展”をみた。びっくりするような、面白い作品ばかりだった。そのうち、詳しく紹介します。

相撲は、ぼくのシナリオ通りに動いている(笑)。白鵬が琴奨菊に負け、2敗。稀勢は臥牙丸を破り、3敗組に引き下ろす。明日以降、白鵬と琴奨菊はそれぞれ、あと1敗し、12勝が優勝ラインになる。そして、優勝決定戦で、稀勢が初優勝。また有頂天になってきた(大汗)。明後日の国技館行きがすごく楽しみになってきた。今晩の晩酌もうまいぞ。琴奨菊、よく、やってくれた。これで大関昇進は決まりだろう。

ついでながら、台風15号関係の、(昨日の)かまくら被害調査(汗)の結果をお知らせします。亀ヶ谷切り通しの大きな木が倒れ、通行止めになっています。その他の地域は、大きな被害はありませんでした。海蔵寺の萩をみたい人は、鎌倉駅から歩いた方が無難です。もう、修復しているかな。明日、また偵察に行ってきます(汗)。

 

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チンチン電車で堺の町を

2011-09-23 08:34:09 | Weblog

堺の町にはチンチン電車が走っている。阪堺線という。出発駅は大阪市の南霞町という停車場だが、終着駅は堺市の浜寺駅前である。ぼくは、(生まれて初めて)有名な住吉神社にお参りしてから、住吉鳥居前駅から乗り、我孫子道を通り過ぎ、大和川を渡り、そして堺の旧市街に入って行き、10番目の駅、大小路駅まで乗った。何故、ここで降りたか。ここから次の宿院駅方面に歩くと、与謝野晶子の生誕地や千利休屋敷跡などがあるし、それに司馬遼太郎もこの辺りを歩いていているのだ。”街道をゆく(堺・紀州街道)”で司馬遼太郎が見たものを見てみたいと思った。

さて、与謝野晶子の碑はすぐ見つかった。チンチン電車の走る道沿いにあった。当時の住居跡が図示してあったが、現在の車道部分は当時の宅地で、当時の道は向こう側の歩道分だけだったという。歌碑は”海恋し潮の遠鳴りかぞへては 少女となりし父母の家”と生誕地に相応しい歌が刻まれていた。千利休屋敷跡も当然、この通りにあると思っていたが、だいぶ先に行ってから、そうではなく一本、奥の道であることを地元の人に知らされた。でも途中、向こう側に、司馬らが夕食をとったという、うどん屋さんの美々卯はみつけた。ここのご主人の姓は、耳さんというらしい。みみうどんだ(笑)古い堺人には、一字姓が多いとのこと。昼飯を食べようと寄ったが、定休日だったという蕎麦屋の”ちくま”は、みつからなかった。つぶれたのだろうか。

チンチン電車の御陵前駅近くに、司馬らも寄った、船待神社がある。菅原道真が藤原氏の陰謀で大宰府に流されたが、そのとき船待ちした場所がここだという。ぼくが訪ねたときは、その日の夕方からお祭りが始まるところだったようで、境内に露店がいくつも並んでいた。ここを出て、御陵通りを歩いていると、小雨の中、船待神社の名の入った”だんじり”がこちらに向ってきた。あとで知ることになるのだが、だんじりは岸和田の専売特許ではなくて、大阪府とその近辺に広く、”分布”している。岸和田に次いで、多くのだんじり(60基を超す)をもつのは堺市なのである。そして、堺では、それぞれの町内会(神社)が独自に祭りを行っている。たまたま、船待神社の祭り日に出会ったというわけだ。運が良かった。

少し歩くと、御陵通りをクロスするように比較的細い道が走っているが、旧紀州街道である。そこに入らず、さらに先に行くと、南宗寺(なんしゅうじ)に着く。司馬らが訪ねた時は氷雨で、寺に入っても誰もおらず、かってに入って、千利休のお墓や枯山水の庭園や実相庵などを見ている。ぼくがこの寺に入ったときも、こぬか雨が降っていたが、司馬さんらと違って、幸運に恵まれた。閉門1分前、滑り込みセーフで、ボランティアガイド付きの見学をさせてもらった。実にりっぱなお寺なので、これは、別途、紹介したいと思う。

中世末期に自由都市として栄えた堺というのは、日本史における宝石のような、あるいは当時の世界史の規模からみて大航海時代の潮流を独り浴び続けたという意味において異様としかいいようのない光彩を放っているが、いまはわずかな痕跡を凝視して、よほど大きい想像力をはたらかせなければ、当時の栄華をしのぶことは困難である。

”街道をゆく(堺・紀州街道)”の、冒頭の文章である。ぼくがチンチン電車で通った、そして歩いた堺の旧市街地を、ぼくもありったけの想像力をはたらかせ(旧東海道宿場町などではいつでもそうだ)、中世末期の栄華をしのんだのだった。

チンチン電車 (阪堺線)

住吉神社

 
住吉さんの猫

与謝野晶子生誕地(車道部分まで家屋だった)

船待神社

船待神社のだんじり

旧紀州街道

南宗寺

 

 

 

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稀勢、全勝白鵬に土

2011-09-22 18:02:11 | Weblog

稀勢の里が堂々の”横綱相撲”で全勝の白鵬に土をつけた。8連勝し、そのあとが、よもやの3連敗、稀勢フアンとしてはうつうつした3日間だった。そのもやもやが一気にすっ飛んだ勝利だった。それも辛勝とか逆転勝ちなどではなく、完勝で、どちらが横綱だかわからない相撲だった。この白星で、昨日までの3連敗は帳消しにしてあげます(笑)。

残り全勝なら、大関に上げてもいい、と解説の舞の海さんが言っていたが、優勝ラインが12勝まで下がり、優勝でもしなければ無理だろうな。でも・・・白鵬があと、2敗する可能性はゼロでない。両大関と琴奨菊にがんばってもらいたい。2敗組は全員、あとひとつは負ける。そうすると、ぼくが両国に観戦に行く、千秋楽に大変なことが起きる。3敗4力士で優勝決定戦。そして、ななななんと、稀勢の里が勝ちぬき、初優勝。そして大関昇進が。

また、楽しみが復活した。そのためにも、明日の臥牙丸戦も”横綱相撲”で勝利してほしい。

がんばれ稀勢の里

 

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たった一人で貸切フラワーセンター

2011-09-22 07:02:37 | Weblog

台風15号が近づく、21日午前中、まだ風雨もほとんどなかったので、ぶらりと大船散歩に出掛けた。駅の西口側に出た。新しく出来た歩道橋を渡りながら、下を流れる柏尾川をのぞいた。もう濁流になっていた。むかし大船は水害の町として有名だった。柏尾川の水量が多くなると、支流の梅田川、小袋谷川、そして砂押川(うちの近くを流れる)が流れ込めず、逆流を起こし、溢れてしまう。そして、さらに水かさが増した柏尾川が氾濫し、お椀のような盆地状の地形の大船は、水浸しになってしまう、そういう構図だった。現在は、それぞれの川の護岸工事も進み、水害は起こりにくくなっている。

歩道橋を降りて、少し歩くと、鯵の押寿司やサンドイッチ弁当で、100年以上前から有名な大船軒の本社の前に出る。ぼく好みのレトロな建物だ。最近、ここに喫茶室ができたことを新聞で知ったが、たしかにあった。コーヒーなどのほか、鯵の押寿司も食べられるらしい。入ってみようと、近づいたら、11時オープンということでまだ閉まっていた。

そのあとの行き先は決めていなかったが急にフラワーセンターを思いついた。こんな日に植物園に行く人はいないだろう、もしかしたら、”たった一人で貸切フラワーセンター”なんてことになるかもしれない。急にわくわくどきどきしてきた。いや、こんな日は閉園しているかもしれない、と一瞬不安がよぎった。

門は開いていた。ほっ。入場券を買い、入り口の係りの人に券を渡す。ぼくが聞こうとしたら、向こうが先に言ってくれた。今日、初めてのお客さんです。ななななんと、自分史においてもフラワーセンター一番乗りは、初めてである。真冬の朝のシモバシラ見学のときも、3,4番目くらいだったし。夏の蓮の早朝花見でも一番はとれなかった。

園内は誰もいない。う、ううれしい。さるすべりの花も、むくげの花も、ふようの花もダリアも、みんな一人占め。たった一人で貸切フラワーセンターなのだ。こんな幸運、めったにあるものではない。しばらく、殿様のような気分で、のんびりと花見をしていた。ちこうよれ、むくげの”大徳寺花笠”嬢よ。などなど好き勝手なことをしていた(汗)

ところが、突然、ぱらぱらと雨がそしていきなり篠突く雨に。これはいかん、と雨宿りのつもりで、押し花絵の展示室に飛び込んだ。にっこりと二人の受付嬢(だいぶ年を重ねていますが)が迎えてくれた。ありがとうございます。初めてのお客さんです。本当にうれしそうな顔をしていた。これで、ぼくが行ってあげなかったら、彼女たちは、今日、いったい何しにきたの、と悩み、それがきっかけで慢性頭痛肩こり樋口一葉にならないとも限らない。ぼくは人助けをしてあげたのだ。

小雨になったので、外に出た。もう、これくらいでいいだろう、と出口に。こちらが聞きたいことを、またもや、係りの人が笑いながら言ってくれた。そのあとお客さんはきていません。なななんと、一時間余りのたった一人で貸切フラワーセンターが認定されたのだ。ぼくは、こう言って、係りの人に同意を求めた。これから台風が上陸し、ひどくなるばかりだから、お客さんはもう来ないでしょうね、と。係りの人は、大きくうなずき、午後はきっと閉園でしょう、と言ってくれた。ということは、この日はフラワーセンターにとっても、入場者たった1名の歴史的な日になるのである。その1名が、なななんと、ぼくなのである。天にも昇る気持ちだった。(いつ昇天してもいいけど:爆)。

こんなアホなことを考えついて、実行し、かつ成功させた自分をほめてあげたい、この歳で。

誰もいないフラワーセンター

 

 

 

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岸和田は次の朝ドラ、カーネーションの舞台

2011-09-21 09:26:41 | Weblog

井上真央ちゃん主演の朝ドラ”おひさま”もいよいよ最終盤だ。そのあと、10月からは、尾野真千子さん主演の”カーネーション”が始まる。舞台は、だんじりの岸和田だ。だんじり祭りで賑わう、岸和田の街を歩いていると、あちこちに、”カーネーション”のポスターや関連の展示物が現れてくる。

一番、驚いたのは、駅前のアーケード街の中程でみたある光景である。多くの人が、商店街の、あるお店の二階にいる人物にカメラを向けている。誰かが、ボクサー出身の赤井秀和だ、と叫んでいた。よくみると、確かに浪速のロッキーだ、ぼくもカメラをそちらに向けた(汗)。そして、そのお店の看板をみて、あっと思った。”洋裁コシノ”と、ある。それも書き順が逆の右側からだ。”カーネーション”は確か、ファッションデザイナー、コシノ三姉妹のお母さんの物語と聞いている。そうだ、ここがその洋裁店なのだ、偶然、そのお店をみつけて、ぼくは有頂天になってしまった(汗)。隣りのあの人は監督ではないか、という声も聞こえた。そのうち、女優さんみたい人も顔をのぞかせた、ひょっとして尾野真千子さん?ちょっと違うようだ、三姉妹の方かもしれない。赤井さんがひっこむまで、有名人好きなぼくは二階の窓を見上げていた。

帰ってから図書館で週刊新潮をみていたら、岸和田の”洋裁コシノ”は、コシノ(小篠)家の歴史ギャラリーに改装し、オープンする予定だという記事をみつけた。赤井さんはそのために来ていたのかもしれない。ここをロケに使ったのか、赤井さんも出演したのかどうかも不明だ。十月からの放映を楽しみにしたい。とにかくオープニングはだんじり祭りだそうだから待ち遠しい。

さて、物語は、小篠綾子さんをモデルにした、大正から昭和、平成までを”だんじり魂”で駆け抜けた92年の生涯である。綾子さんの人生は、だんじりの、豪快なやりまわしのように”体当たり”の人生だった。”どうして男だけが好きなことできんの?女だって自由に生きたい”と言い、それを実行した綾子さん。”針とはさみをうまく使えば女は美しく見える。それが女たちに喜びを与え、生きる力になる” そう気付いた時からファッションに魅せられ、夢をふくらませていく(NHKの番組紹介から一部抜粋)

さて、小篠綾子さんが住んだ岸和田の街。大正・昭和の時代を想わせる旧紀州街道の街並みや、城下町の風情の残る武家屋敷風住宅街、そして少しレトロな商店街などなど、写真に撮ってきました。もしかしたら、これらもロケ場所になっているかもしれませんね。




コシノ洋裁店はこのアーケードの中程にある  





紀州街道筋

カラーマンホール


岸城神社

お城と武家屋敷の風情

 

 

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岸和田だんじり祭り

2011-09-20 10:30:38 | Weblog

一度は行ってみたいと思っていた、岸和田のだんじり祭り。この17日(土)に、ようやく実現した。まず春木地区で午前9時半から始まる、春木駅前のだんじりパレードを見学した。各町内会のだんじり(地車)が次々とは現れ、そろいの法被を着た曳き手たちの掛け声と共にコースを駆け巡っていく。

だんじりの大屋根の上には大工方(だいくがた)がいて、走っている間、その上で、両手に団扇をもち踊っている。転倒すれば、大怪我だ。そして、見どころは、祇園祭でいえば、山鉾の辻回し。でも、こちらは全速力で四つ角を回っていく、”やりまわし”。かじ取りは、だんじり前方の前梃子(まえてこ)と後方の後梃子(うしろてこ)が行うが、相当な技術がいるだろう。お神輿よりむづかしいと思う。一歩間違えば、事故につながる。実際、ぼくの観ている時間帯に、二台の救急車がきた。現場に駆けつたら(汗)、気を失った男が倒れていた。大工方ではなく、だんじりの横に乗っていた人らしい。大事にならなければいいが。

一方、観る方も気をつけなければならない。いつだんじりが、突っ込んでくるか、わからないし、混雑する見物人同士のぶつかり合いもある。ぼくは、午後に行った岸和田駅前のアーケード街の駆け抜けパレードで危ない思いをした。カメラを構えていたら、前の人は倒れかかってきて、顔面にカメラが少し当たってしまった。傷がなくて済んだのは幸いだった(汗)。

こうしてちょっぴり危ない思いをしながら、みるのが、この祭りの醍醐味だ。また祇園祭の山鉾は、動く美術館と讃えられるが、だんじりも負けてはいない。さまざまな美術工芸品で飾られた山鉾の華やかさに比べると地味だが、だんじりの彫刻は素晴らしい。動く前のだんじりをみさせてもらったが、源平合戦、戦国武将など戦いなどの模様が詳細に彫られていた。こちらは”走る彫刻品”だ。ひとつのだんじりをつくるのに、2億円近くもかかるらしい。70年振りに新装したというだんじりが、前日、地元のテレビ局で放映されていた。

実際、その場でみないとだんじり祭りの雰囲気が伝わらないが、へたな写真で、ちょっぴりでも味わってみてください。
。。。。。

だんじりの曳き手と大屋根の上の大工方、梃子(まえてこ)と後方の後梃子(うしろてこ)。

 

 

大工方

走る!



やりまわし 四つ角を走って廻る

男は度胸 女は愛敬

岸和田駅前アーケード 走り抜け

夕方は駒形提灯。これはだんじり会館の展示品の写真

だんじりの彫刻

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群れない 慣れない 頼らない 堀文子画伯

2011-09-20 06:24:02 | Weblog

以前、ぼくのブログで記事にした”堀文子展 平塚美術館”(’10・10・10)に、今朝、随分、高い閲覧数が示されていた。何故だろう、と頭を巡らしたら、敬老の日の、昨日放映された、NHKヒューマンドキュメンタリー”命の画家・堀文子/93歳”のせいではないかと思った。大磯の自宅で、友人の作家、戸井十月氏によるロングインタビュー番組で、ぼくもみていた。

”群れない 慣れない 頼らない” の堀さんの言葉が一番、印象に残った。堀さんの若いときからのモットーだが、93歳の一人暮らしの今でも、実践されているという。すごいことだと思う。

”群れない”とは、いわゆる画壇に属さず、グループにも属さず、自分自身の意志決定だけで行動する。人にどう評価されようとかまわない。

”慣れない”とは、同じような環境にいると、感受性が鈍ってきて、同じような絵ばかり描くようになる、進歩がない。そういうときは、外国に行き、気分転換する。そうすることで、新しい感性が芽生えてくる。イタリア、トスカーナ地方に長期滞在したり、ペルーやブラジルにも出掛ける。82歳で、ブルーポピーを捜しにヒマラヤに行く。

そして、誰にも”頼らない”。

”群れない 慣れない 頼らない” 組織人間には、なかなか出来ないことだが、今のぼくなら出来る。これからの人生のモットーにしよう。

堀文子さんがヒマラヤで描いたブルーポピー。そしてミジンコなどの微生物。堀文子さんは科学者になりたかったが、当時、女性を受け入れる学校がなく、女子美に入学した。卒業後、東大農学部に就職し、作物の形態図を描く仕事をしていた。その後、独立、絵本を描き始め、本格的な画家へのスタートをきる。

 

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やせ蛙負けるな一茶 ここにあり

2011-09-19 20:46:33 | Weblog

今日の大相撲秋場所9日目の取り組みで、めったにみられない対戦がありました。
まず、身長は同じで、体重差が100キロある、隆の山と臥牙丸戦。やせ蛙(体重98キロ)は、隆の山。稀勢の里の付け人をしていました。5連敗後、3連勝し、勢いがついてきましたが、結果は・・

そして、もう一組の対戦。身長差が38センチもある対決。芳東対磋牙司(身長166cm)。結果は・・・

やせ蛙負けるな一茶 ここにあり

結果は、とほほ

負けても、チェコ出身の痩せ蛙に大きな拍手

ノッポとチビ対決

こちらはチビ太の勝ち。

今日一番の大勝負。稀勢の里対把瑠都戦。稀勢、惜敗、9連勝ならず。思い通りにいかないのが世の中。明日の琴奨菊戦は是非、勝って、優勝の芽を残してくださいね。

 

 

 

 

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稀勢の里 破竹の8連勝

2011-09-19 09:52:18 | Weblog

岸和田のだんじり祭りから帰ってきました。無事、怪我もなく(笑)。その記事をまず書くべきと思うけれど、どうしても、稀勢8連勝の快挙についてまず書いておきたい。初日から負けなしで中日で勝ち越しを決めるなんて、稀勢も初めてのことであるし、それに、(琴奨菊が負けて)白鵬と並び、優勝戦線のトップを走るのだから、大変なことなのだ。

ぼくは、堺に二泊し、だんじり祭りを見学に行ったが、必ず、午後5時にはホテルに戻り、相撲見物した。だから、稀勢の6、7連勝はテレビでみている。そのあと気分よく、町に飲みに出た。南海電鉄の堺東駅前は大きな飲み屋街があり、賑わっている。ぼくの入った居酒屋は、刺身も、ほかに頼んだ二、三品のおつまみもとてもおいしかったし、その上、安い。さすが大阪だと思った。1500円の、お刺身盛り合わせなんか大船の二倍もあって食べきれないほどだった。ここで稀勢の祝勝会をひとりでやった。それも酒がおいしかった理由だろう。

昨日の八連勝は、新幹線の中で知った。WIFEに結果を知らせるように、メールしておいたのだ。午後6時前、メールが入る。”きせかつ、ことしょうまける”。電報のようなメールを、掛川通過頃、受け、ぼくは歓喜して缶ビールを飲み干したのだ(汗)。

これからは、横綱、大関戦が組まれるが、今の稀なる勢いの、稀勢に相手になれるのは白鵬しかいない。今日の把瑠都も一蹴だろう。全勝優勝か、わるくても14勝の準優勝。ルンルン気分でいたら、いつも稀勢を無視している(オコっているノダ)、朝日新聞が珍しく、稀勢をほめてくれた。14勝なら大関昇進の声が上がるだろうとまで言ってくれた。落ちぶれたとはいえ、朝日の一言は大きい。これで、14勝で大関の流れができた。

稀勢の里 がんばれ

朝日新聞記事

不思議な写真(相撲とは関係ない風景と人物が)

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