まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

秋を感じてみませんか?

2010年09月16日 | にこにこ
 今年は本当に残暑が厳しかったですね いやいや、もしかしたら、まだ「残暑が厳しいですね」と、現在進行形で書かなければならない日が突如、やってくるかもしれません
 9月に入っても、つい2、3日前までは、モワーッと暑くて湿度の高い日や、刺すような陽射しが夏と何ら変わらない、という日が続きました。9月に入ってからの暑さは、夏バテした身体に堪えました

 でも・・・そんなふうに残暑が厳しくても、やっぱり夜になると、「秋の虫の声」が次第に賑やかになってきていたものです スズムシ、コオロギ・・・我が家のベランダ前の桜の根っこの下草からも、反対側のケヤキの根っこの下草からも、9月に入ると秋の虫の大合唱が聞こえていました。
 今年はね、8月26日の夜、初めて秋の虫が鳴き出したのですよ

 このブログを始めて、幾度となく「秋のおとずれを感じていますか?」と書いたことを覚えています。
日本には四季があります。今年のように、ラニーニャ現象で「いったい、地球はどうなっているのだろう!」と、真剣に議論されている中でも、やっぱり秋の虫が鳴き始めるのですよね
 日本の四季・・・その季節、季節でおいしい実りがあり、目にうるわしい木々、花々があり、北から南まで、さまざまな行事がニュースで放映されます そういうものを、本当にみなさんは見落としてはいないでしょうか?

 まどか先生ったら、ホント、毎年、同じことばっかり書くんだから・・・老化じゃない?などと言う声が聞こえてきそうですが、やっぱり今年も言いたいのです
 私は8月の終わりから約1ヶ月、9月、10月の出願を控え、お父様やお母様が一生懸命に書かれた願書を見せていただいています。
 願書には、名前と住所を書くだけの、まるでお役所で住民票を取るときの事務的書類のようなものがあるかと思えば、何日間もご両親で過去数年間の子育ての日々を振り返り、いろいろと思い出したり、考えたりしなければ書き上げられないような一大巨編的な願書もあります しかし、極々一般的な願書の場合は、質問の定番は「志望理由」と「家庭教育の中で大切にしてきたこと」この2つでしょうか。

 この2大質問について答える時、必ずと言ってよいほど使われる言葉に「感性豊かな子ども(人)」というものがあります。そうですね・・・我が子が幼い頃、もし「どんな子どもに、どんな人に育って欲しいか?」と問われれば、きっと私自身も答えたと思いますねえ・・・「はい、人の痛みのわかる、感性豊かな人に育って欲しい・・・」と 
 先ほど書いた質問が、2大質問だとするならば、この「人の痛みのわかる」と「感性豊かな」の二つは、2大答え、と言えるでしょう
 でも・・・人の痛みがわかるようになるためには・・・感性豊かになるためには・・・いったい、どういうことをしてやれば、そういう子どもになるのでしょうね。
 きっと、学校の先生方は、本当は「そこの部分」をお聞きになりたい、と思っているだろうなあ・・・と、私は毎年、苦笑しながら考えます

 おっと失礼!お話しが、脱線してしまいました
人の痛みのわかる・・・については、また別の機会にお話しをするとして、「豊かな感性」を育てるために必要なことの一つに、私は「日本の貴重な季節を五感で感じる」というものがある、と思っています。
 では、いったい、感性とは何か?を、漠然としてではなく、もっと知りたい!と思い、辞書を引いてみました
すると、こんなふうに書かれていましたよ。

  1. 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。「―が鋭い」「豊かな―」
  2. 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。
 むー、1番は理解できますが、2番は私の頭では無理なようです ということで、ここでは、「感性とは・・・物事を心に深く感じ取る働き。感受性」として理解しましょう
 とすれば、この「物事を心に・・・」の「物事」のところに、いろいろな言葉を入れれば良いわけですね。例えば、「花々を心に深く感じ取る働き」「吹く風を心に深く感じ取る働き」「季節の恵みを心に深く感じ取る働き」etc. etc.
なるほど 何だかわかってきましたよね。

 幼い我が子が、さまざまな事象や、さまざまなものを心に深く感じ取るためには、間違いなく、子どもが感じ取れるような働きかけ、言葉かけをしないといけませんよね じゃあ、常に子どもの身近なところにいる親こそが、「物事を心に深く感じ取れないといけない」ということでしょう

 空の高さ、雲の形、八百屋さんの店先(スーパーであっても、季節の恵みは、前面に出ているものですよね)、花屋さんのバケツの中・・・そんな生活の中に、普通にあることに目も気も留めず、ひたすら知育やお稽古事にばかり躍起になる・・・私は違うと思うのですよねえ・・・

 そういう私も、子どもの頃は大のお稽古好きで、小学校1年生の頃は、「月曜日はピアノ」「火曜日はお勉強」「水曜日はお絵描き」「木曜日はお習字」「土曜日は英語」そして、毎日そろばん教室に通っていました
 ただね、自慢をしてしまいますが、私の母は、とても素敵な女性だったのです
 祖母や叔父、叔母との大所帯のお台所を切り盛りしながら、父の会社の経理をするという八面六臂の活躍ぶりで、もちろん、私の母として、学校の役員なども引き受けてくれていました。そして何より、玄関だけではなく、小さな出窓やお手洗い、ちょっとしたスペースには、季節、季節の小物を飾り、一輪挿しには花が生けられ、食卓にはその時々の実りが並びました
 
 多忙を極めた母は、残念ながら大きくなった私を相手にも、わざわざ時間を割いて何かを教えてくれる、ということはありませんでしたが、私はいつも「母を見て」育ったのでした
 超高層マンション暮らしになった両親の鉢やお皿には、庭の葉っぱや花が添えられることはなくなりましたが、今でも季節を感じられるお献立が並び、そういう話題には事欠きません。そうそう・・・思えば、最近の母の話題には、「母が見習ったという素敵な女性、祖母の姿」もよく登場します
 
 ああ・・・子どもは、親の背中を見て育つ、というのは、本当だなあ、と実感します。(どうしましょう・・・私の娘は、私の走る姿や、パソコンに向かっている姿だけを見ていたら・・・

 感性豊かな子どもに育てるために・・・まずは、秋を感じてみませんか?
コメント
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