じつは昨日と今日、5日と6日、私は2006年の「親孝行はじめ」でした
すでにブログでも何度か書いていますが、35年間、大阪の郊外に住んでいた私の両親が4月、大阪駅そばに出来た超高層マンションに引っ越しを控えています 今回の帰省は、その新居のガスの開栓、電話の設置、その他諸々の準備のためでした
今日のお昼、マンションのすぐそばにある、私にとっても懐かしい「阪急三番街」という地下街でご飯を食べました。私は一人でランチをする時はいつも、まわりの人達を静かに観察して、あれこれ考えたり、感じたりしながら楽しみます 今日はK○Kという関西では有名なとんかつ屋さんに入りました。
私の前のテーブルには、ちょうど私と同じくらいの年齢の女性と、そのお嬢さんとおぼしき高校生くらいのお嬢さんが、二人で和やかに(賑やかに?)お食事をしていました 最近、関東のとんかつ専門店では、キャベツ用に梅味のさっぱりドレッシングなどが用意される店が増えたように思います。カツのような脂っこいものを食べる時、お口直し的に、さっぱり味でキャベツをどうぞ!という配慮でしょうか。
しかし、そのK○Kでは、キャベツ用にはドロ~リとしたサウザンドアイランド系のドレッシングが用意されていて・・・さーすがー、大阪。「こてこて」にプラス「こてこて」で、エネルギッシュにがんばりまひょ!って事やねえ、と、思わず私はニンマリとしてしまいました
その親子、にぎにぎしく食べているかと思ったら、お店の人のほうにパッと手を挙げ、「すいませーん、キャベツとおみそ汁のおかわりくださーい!・・・あっ、ついでにお茶もください!」と言いました。「おまちどおさまでした!」と山盛りのおかわりキャベツ登場。するとお母さん、たーっぷりとドレッシングをかけ、おいしそうに食べ始めました。どちらかと言えば体格の良いお母さん。もしCMに起用されるならば「お刺身定食」よりも、「とんかつ定食」が似合うだろうな、というお母さん。いやー、その親子、とっても「おいしそうに」ご飯を食べられるのです。大事なことですよね、本当に。「食を楽しく、おいしく」は、基本です。そのお二人を見ていて、私まで、幸せになる食べっぷりでした
キャベツは終わり、お嬢さんもおかわりのおみそ汁を食べ終わったのに、「お茶」は来ません。どうもお店の方は忘れてしまったらしい・・・
お二人は、しきりに「お茶、遅いなあ。」「お茶、忘れたんちゃうかあ?」と話しています しびれを切らしたお母さん、再度お店の方に「すいません、お茶、くださーい!」と声をかけました。すると、やっと急須を持ったお店の方がやってきました。「お待たせしました!すみません」そう言うと、間髪を入れず、そのお母さんがニマッと笑って応えました
「いやー、待った待ったあ。長い間待ったぶん、その間にきっとものすごーおいしいお茶になってるんやろなあ?!」
するとお店の人もそれに対して「いやー、そんなん言われたら、お茶入れる手、震えますわあ。おいしなってなかったら、どーしょー!(おいしくなっていなかったら、どうしましょう)」と何度もお辞儀しながらお茶を入れる・・・
大阪特有の「ことばの遊び」だなあ、とにんまり。
たんに「お茶、まだですか?お願いしてから、かなり長い間、待ってるんですけど・・・」と言ってしまうと、身も蓋もありません。当然、言って然るべきことですし、正しい言葉ではあるのですが、それでもなお、こんな言葉では、雰囲気に潤いがありません。
もちろん、今日のこの会話は、お母さんもお店の人も、双方とても機知にとんだ、ユーモアのセンスのある人だったから、このように聞いていて小気味よかったわけであり、とても楽しかったのです
言葉って、本当に大切ですよね。今回のことは、多少、地方色もありますので、これが常に良い例であるかどうかはわかりませんが、少なくとも、言葉は「命令や伝達、説明」だけの道具ではなく、「人の心や空気」を伝える大切なものです。
昨夜、新しいマンションですべきことを終えて実家に行きました。そして、年末の入院の話や仕事の話などをした後、引っ越しのために次にすべきこと、そして次回はいつ帰省出来るか、と話していると、持病のパーキンソンのため、現在は話すことが非常に不自由になっている父が突然、「すまんなあ・・・(すまないねえ)」と私に言ったのです。私は驚きのあまり、咄嗟に上手く受け答えができませんでした。
なぜなら、父は私が幼い頃から、孤高の人?超ワンマンであって、怒鳴ったり、命令したりすることはあっても、絶対に妻や子供には詫びたり、頼んだりはしない人でした。その父の「すまんなあ」のひとこと・・・30数年前に、もし父が昨夜のように私に相対してくれていたら、もしかしたら私と父の関係は、ぜんぜん違ったものになっていたでしょう
言葉のもつ魔法、魔力、魅力・・・伝達の道具としてだけではなく、もっと深い意味を持つ言葉。そんなすべてを、上手に次の世代を担う子供達に伝えていきたい、あらためてそう感じました
すでにブログでも何度か書いていますが、35年間、大阪の郊外に住んでいた私の両親が4月、大阪駅そばに出来た超高層マンションに引っ越しを控えています 今回の帰省は、その新居のガスの開栓、電話の設置、その他諸々の準備のためでした
今日のお昼、マンションのすぐそばにある、私にとっても懐かしい「阪急三番街」という地下街でご飯を食べました。私は一人でランチをする時はいつも、まわりの人達を静かに観察して、あれこれ考えたり、感じたりしながら楽しみます 今日はK○Kという関西では有名なとんかつ屋さんに入りました。
私の前のテーブルには、ちょうど私と同じくらいの年齢の女性と、そのお嬢さんとおぼしき高校生くらいのお嬢さんが、二人で和やかに(賑やかに?)お食事をしていました 最近、関東のとんかつ専門店では、キャベツ用に梅味のさっぱりドレッシングなどが用意される店が増えたように思います。カツのような脂っこいものを食べる時、お口直し的に、さっぱり味でキャベツをどうぞ!という配慮でしょうか。
しかし、そのK○Kでは、キャベツ用にはドロ~リとしたサウザンドアイランド系のドレッシングが用意されていて・・・さーすがー、大阪。「こてこて」にプラス「こてこて」で、エネルギッシュにがんばりまひょ!って事やねえ、と、思わず私はニンマリとしてしまいました
その親子、にぎにぎしく食べているかと思ったら、お店の人のほうにパッと手を挙げ、「すいませーん、キャベツとおみそ汁のおかわりくださーい!・・・あっ、ついでにお茶もください!」と言いました。「おまちどおさまでした!」と山盛りのおかわりキャベツ登場。するとお母さん、たーっぷりとドレッシングをかけ、おいしそうに食べ始めました。どちらかと言えば体格の良いお母さん。もしCMに起用されるならば「お刺身定食」よりも、「とんかつ定食」が似合うだろうな、というお母さん。いやー、その親子、とっても「おいしそうに」ご飯を食べられるのです。大事なことですよね、本当に。「食を楽しく、おいしく」は、基本です。そのお二人を見ていて、私まで、幸せになる食べっぷりでした
キャベツは終わり、お嬢さんもおかわりのおみそ汁を食べ終わったのに、「お茶」は来ません。どうもお店の方は忘れてしまったらしい・・・
お二人は、しきりに「お茶、遅いなあ。」「お茶、忘れたんちゃうかあ?」と話しています しびれを切らしたお母さん、再度お店の方に「すいません、お茶、くださーい!」と声をかけました。すると、やっと急須を持ったお店の方がやってきました。「お待たせしました!すみません」そう言うと、間髪を入れず、そのお母さんがニマッと笑って応えました
「いやー、待った待ったあ。長い間待ったぶん、その間にきっとものすごーおいしいお茶になってるんやろなあ?!」
するとお店の人もそれに対して「いやー、そんなん言われたら、お茶入れる手、震えますわあ。おいしなってなかったら、どーしょー!(おいしくなっていなかったら、どうしましょう)」と何度もお辞儀しながらお茶を入れる・・・
大阪特有の「ことばの遊び」だなあ、とにんまり。
たんに「お茶、まだですか?お願いしてから、かなり長い間、待ってるんですけど・・・」と言ってしまうと、身も蓋もありません。当然、言って然るべきことですし、正しい言葉ではあるのですが、それでもなお、こんな言葉では、雰囲気に潤いがありません。
もちろん、今日のこの会話は、お母さんもお店の人も、双方とても機知にとんだ、ユーモアのセンスのある人だったから、このように聞いていて小気味よかったわけであり、とても楽しかったのです
言葉って、本当に大切ですよね。今回のことは、多少、地方色もありますので、これが常に良い例であるかどうかはわかりませんが、少なくとも、言葉は「命令や伝達、説明」だけの道具ではなく、「人の心や空気」を伝える大切なものです。
昨夜、新しいマンションですべきことを終えて実家に行きました。そして、年末の入院の話や仕事の話などをした後、引っ越しのために次にすべきこと、そして次回はいつ帰省出来るか、と話していると、持病のパーキンソンのため、現在は話すことが非常に不自由になっている父が突然、「すまんなあ・・・(すまないねえ)」と私に言ったのです。私は驚きのあまり、咄嗟に上手く受け答えができませんでした。
なぜなら、父は私が幼い頃から、孤高の人?超ワンマンであって、怒鳴ったり、命令したりすることはあっても、絶対に妻や子供には詫びたり、頼んだりはしない人でした。その父の「すまんなあ」のひとこと・・・30数年前に、もし父が昨夜のように私に相対してくれていたら、もしかしたら私と父の関係は、ぜんぜん違ったものになっていたでしょう
言葉のもつ魔法、魔力、魅力・・・伝達の道具としてだけではなく、もっと深い意味を持つ言葉。そんなすべてを、上手に次の世代を担う子供達に伝えていきたい、あらためてそう感じました