私は、同年代の女性の中では、比較的、力持ちだと思っています たぶん、それは「母譲り」のポイントで、今年82歳になる私の母も、私が幼い頃からよく重い荷物を持っていましたし、今でも足元に十分気をつけながらも、それなりに家の中ではモノを運んでいます
我が家では、子ども達が小さな頃から夫は海外出張が多く、粗大ゴミを捨てる・・・古新聞を運ぶ・・・部屋の家具の移動をする・・・などの力仕事も、できる限り自分で完了するようにしていました。
そんなクセもついていますし、力持ちの自分を自負する部分もあり・・・私は年明け早々、箱に詰めた本をトランクルームに運ぶときも、夫を待たずに「自分で終わらせよう」の気分があり、がんばってしまいました
これは、整骨院の先生にお聞きした話ですが、重いものを持ち上げる時には絶対「頭を身体の前に傾けた状態で持ち上げてはいけない」そうです。頭は重いのですって
その重い頭を元の位置に戻すためには、首に大きな負担がかかる・・・首はいつも重い頭を支え、傾いた頭を元に戻すためにがんばっているのだそうです
そうです 私はそんなことを知らず、思いっきり頭を前に倒し、めいっぱい本が詰め込まれたダンボール箱の上にこすりつけるようにして、その箱を持ち上げました。そして、その箱を早足で運び、今度は下ろして車のドアを開け、また持ち上げて積み込む・・・これを4箱分
あくる日の朝、お布団から起き上がることができませんでした。むー・・・馬鹿ですねえ・・・
すでにその日から2週間が経過していますが、なかなかすっきり回復しません
日によって痛い日があったり、ジーンと重い日があったり・・・要するに、辛いのです・・・
痛かったり、重かったりするだけではなく、気分がすっきりせず、滅入ります
「年明け早々馬鹿だなあ・・・」とか「本調子で家事ができない・・・」とか「ランニングやスイミングに復帰できない・・・」とか
現に夫に「腰を痛めたようです」と報告した時、間髪を入れずに返ってきた言葉は「大丈夫?」というヤワな言葉ではなく、「ひや~、痛かったら何にも出来ないやん」という超現実的な、想像通りの言葉でした。ここ1年、トレーニングを止めて、リバウンドしていくにまかせていた私の様子を気にしていた夫。ほんと、その通りです。腰痛では、泳ぐことも、走ることもできません。まいりました
3年前、他界した叔母は長年リウマチを患っていました。
晩年は四肢の痛みがひどく、自力で家事をすることも、自由に移動することもできなくなり、すべて叔父の力を借りての生活でした。
叔父、叔母には子どもがなく、姪である私が最も身近な親戚でしたが、私とは血の繋がりのなかった叔母は、痛みに耐える姿、だんだんと変形していく手足を他人に見せることを何よりも嫌い、私が久しぶりに叔母に会ったのは、他界する3ヶ月前、感染症で入院した時のことでした
病院のベッドの上で、ほんの少し体勢変えるだけでも叔母は痛がり、顔を歪めていました。そんな現実を知った私はとてもショックでした。
ちょうど息子が入院をした時期と同じだったため、思い返しても、ほとんど何もできないうちに息を引き取ってしまった叔母に申し訳ない思いでいっぱいでした
でもね、叔母の長年のリウマチの痛みとは比較できるわけがありませんが、今、私自身が腰の小さな痛みや辛さを実際に経験し・・・叔母の痛さ、辛さは、どんなものだったか・・・初めて身近なものとして、真剣に考えるようになりました。
健康な人は、痛みを持つ人に対し、同情の気持ちを抱きます。自分の生活に実害がなければ、大丈夫ですか?お気の毒に!と思います。
けれど、本当に「痛い」という状態はなかなか想像できないものですねえ・・・そして、実際の痛みだけではなく、そういう状態、そういう状況を心底「辛い」と感じていることは、もっともっと理解できない・・・
椅子から立ち上がる時、お布団を敷く時、「イタタタ・・・」となるたびに、私は叔母のことを思います。
見たこともなかった叔母の生前の生活・・・どんなふうに痛みを堪えてお手洗いに立っていったのだろうか?テーブルから転がってしまったお箸を拾っていたのか?食べた食器を流しに運ぶとき、少しでも痛さを軽減するために、どんな工夫をしていたのか?
まだまだ叔母のことを思い出す生活は続きそうです。
我が家では、子ども達が小さな頃から夫は海外出張が多く、粗大ゴミを捨てる・・・古新聞を運ぶ・・・部屋の家具の移動をする・・・などの力仕事も、できる限り自分で完了するようにしていました。
そんなクセもついていますし、力持ちの自分を自負する部分もあり・・・私は年明け早々、箱に詰めた本をトランクルームに運ぶときも、夫を待たずに「自分で終わらせよう」の気分があり、がんばってしまいました
これは、整骨院の先生にお聞きした話ですが、重いものを持ち上げる時には絶対「頭を身体の前に傾けた状態で持ち上げてはいけない」そうです。頭は重いのですって
その重い頭を元の位置に戻すためには、首に大きな負担がかかる・・・首はいつも重い頭を支え、傾いた頭を元に戻すためにがんばっているのだそうです
そうです 私はそんなことを知らず、思いっきり頭を前に倒し、めいっぱい本が詰め込まれたダンボール箱の上にこすりつけるようにして、その箱を持ち上げました。そして、その箱を早足で運び、今度は下ろして車のドアを開け、また持ち上げて積み込む・・・これを4箱分
あくる日の朝、お布団から起き上がることができませんでした。むー・・・馬鹿ですねえ・・・
すでにその日から2週間が経過していますが、なかなかすっきり回復しません
日によって痛い日があったり、ジーンと重い日があったり・・・要するに、辛いのです・・・
痛かったり、重かったりするだけではなく、気分がすっきりせず、滅入ります
「年明け早々馬鹿だなあ・・・」とか「本調子で家事ができない・・・」とか「ランニングやスイミングに復帰できない・・・」とか
現に夫に「腰を痛めたようです」と報告した時、間髪を入れずに返ってきた言葉は「大丈夫?」というヤワな言葉ではなく、「ひや~、痛かったら何にも出来ないやん」という超現実的な、想像通りの言葉でした。ここ1年、トレーニングを止めて、リバウンドしていくにまかせていた私の様子を気にしていた夫。ほんと、その通りです。腰痛では、泳ぐことも、走ることもできません。まいりました
3年前、他界した叔母は長年リウマチを患っていました。
晩年は四肢の痛みがひどく、自力で家事をすることも、自由に移動することもできなくなり、すべて叔父の力を借りての生活でした。
叔父、叔母には子どもがなく、姪である私が最も身近な親戚でしたが、私とは血の繋がりのなかった叔母は、痛みに耐える姿、だんだんと変形していく手足を他人に見せることを何よりも嫌い、私が久しぶりに叔母に会ったのは、他界する3ヶ月前、感染症で入院した時のことでした
病院のベッドの上で、ほんの少し体勢変えるだけでも叔母は痛がり、顔を歪めていました。そんな現実を知った私はとてもショックでした。
ちょうど息子が入院をした時期と同じだったため、思い返しても、ほとんど何もできないうちに息を引き取ってしまった叔母に申し訳ない思いでいっぱいでした
でもね、叔母の長年のリウマチの痛みとは比較できるわけがありませんが、今、私自身が腰の小さな痛みや辛さを実際に経験し・・・叔母の痛さ、辛さは、どんなものだったか・・・初めて身近なものとして、真剣に考えるようになりました。
健康な人は、痛みを持つ人に対し、同情の気持ちを抱きます。自分の生活に実害がなければ、大丈夫ですか?お気の毒に!と思います。
けれど、本当に「痛い」という状態はなかなか想像できないものですねえ・・・そして、実際の痛みだけではなく、そういう状態、そういう状況を心底「辛い」と感じていることは、もっともっと理解できない・・・
椅子から立ち上がる時、お布団を敷く時、「イタタタ・・・」となるたびに、私は叔母のことを思います。
見たこともなかった叔母の生前の生活・・・どんなふうに痛みを堪えてお手洗いに立っていったのだろうか?テーブルから転がってしまったお箸を拾っていたのか?食べた食器を流しに運ぶとき、少しでも痛さを軽減するために、どんな工夫をしていたのか?
まだまだ叔母のことを思い出す生活は続きそうです。