先日、教室の帰りの、夕方の駅での出来事です。
改札口の前は、K大生でごったがえしていました 帰るために改札に入っていく学生達、何かの集まりに参加するためか、その時間に大学にやってくる学生達・・・そこに、いっぱんの乗客が混ざり、本当に人がいっぱいでした。
H駅は、学生の乗降を考慮してか、郊外の駅にも関わらず、自動改札機の数が多く、とても広い改札口ですが、その日のその時間は、どの改札機も常に人が通っている状態。思わず「おー・・・すごい人だあ・・・」と声に出して言ってしまいそうなほど、人の数に驚いたものです
私が改札に向かって歩いていると、すぐ前に幼稚園入園前に見える男の子とお母さんが、やはり改札のほうに歩いていました 雑踏の中、後ろから見ていても、その男の子が「一生懸命に歩いている」ということが感じられ、思わず笑みがこぼれました
ふっと見ると、その親子の行く手に定期券と思しきものが落ちていました。きっと、雑踏の中で定期券をバッグかポケットにしまおうとして、落ちてしまったのでしょう
その定期券に気づいたママは、すぐにそれを拾い上げました。そして、こうおっしゃったのです。
「〇〇ちゃん、何か落ちたねえ」
私は「?」と思いました。「あれ?この人が落としたんだっけ?・・・おかしいなあ、もともと、そこに落ちてたんじゃなかったかな?むー・・・いや、やっぱり落ちてたよね、あなた達がそこに行く前にすでに・・・」と心の中でつぶやきました。
でもやっぱり、そのママは繰り返し、言いました。
「何か落ちた、落ちた 〇ちゃん、駅員さんのところに持っていってあげよう !はーい、これ落ちましたよーって、届けてあげよう」
このママは、とっても親切な良い方、なんですよね
何度も子どもに声をかけ、笑顔で接していらっしゃいます。そして、目の前にあった落し物をそのままにせず、ちゃんと子どもと一緒に、駅員さんに届けようとされている・・・本当に、素敵な方です
でも
日本語が、おかしいです。本当ならば、「何か落ちていたね」「これ、落ちていました」と言うべき、ですね。それが正しい日本語です。
私は、「あ、もしかしたら、この方は外国人なのかもれない」と思いました。中国の方、韓国の方、フィリピンの方・・・日本で暮らしていても、まだまだ言葉に慣れていない外国人のママかもしれません。
でも、聞こえてくる言葉を聞いていると、残念ながら?!その言葉はとても流暢で、たどたどしいところは微塵もありませんでした
何だか私はすっかり気になってしまい、改札口から少し離れて、どの親子を眺めてしまいました。
その親子は、駅員さんのところに向かわてました。拾った定期ケースを手に持っていた男の子は、一度ママのほうを振替し、ニコッと笑って、そして、背伸びをして駅員さんに定期ケースを手渡しました
「すみませーん これ、落としました」
さすがの私もこれ以上、秘かにとはいえ、この親子を見ているとストーカーだなあと思いましたし、この後の展開も見えるようで(きっと、男の言葉を理解できなかった駅員さんはママを呼び、ママの説明を求めるのでしょうが、またまたチンプンカンプン・・・)改札内に入りました。
これから、この子の日本語はどうなっていくのでしょう?
こんなに素敵な心を持ったママです 人の役に立つことが自然にできるこのママに育ててもらい、その男の子は幸せだと思います けれど、それでも尚、言葉は大事なんですねえ・・・
子どもの言葉は、幼稚園や保育園が始まり「みずから自分の世界で、自然に覚えてくるまで」は、ほぼ100%、両親の言葉を耳から聞き、それを覚え、次に自分の言葉として話すようになり、身に着けていきます。そういう意味では、幼児期の言葉は、「親が使っている言葉のコピー」と言っても過言ではありません。
この男の子の場合、「正しい言葉を話す」という点では、かなり不安のあるお母様の言葉を毎日耳にして、それを学習していることになります。もしかしたら、お母さんのボキャブラリーの中で、「拾う」「落とす」だけがおかしい、ということであれば良いですが、やはり、実際にはそういうことは考えられません。たぶん、他にも、間違った言葉、不確かな言葉づかいがたくさんあるのではないか、と思われます。このお母様が、本当にすばらしい心の持ち主だったからこそ、残念に思えてなりませんでした
言葉の面だけで言えば、この男の子は「正しい言葉に触れ、学び、自分のボキャブラリーを増やしていく」にはベストの環境とは言えないでしょう。
今までも「言葉」については何度もブログの中で触れ、テーマとして選び、いろいろな観点から話してきましたが、今日も改めていいましょう
国際化の叫ばれる中、外国語教育に熱心になるご家庭が増えてきています。素敵なことですね。しかし、決して日本語の教育をなおざりにしてはいけません
その人の言葉の土台を築く幼年期。一つでも多く語彙を増やし、自分の思い、願い等を表現するための、たくさんの表現方法を学ばなければならないのはこの時期です。そのことをしっかりと認識していなければ、二兎追うものは一兎を得ず、になりかねません
そして、どうぞ「わが子の言葉の先生は両親である」という認識を持ってください
改札口の前は、K大生でごったがえしていました 帰るために改札に入っていく学生達、何かの集まりに参加するためか、その時間に大学にやってくる学生達・・・そこに、いっぱんの乗客が混ざり、本当に人がいっぱいでした。
H駅は、学生の乗降を考慮してか、郊外の駅にも関わらず、自動改札機の数が多く、とても広い改札口ですが、その日のその時間は、どの改札機も常に人が通っている状態。思わず「おー・・・すごい人だあ・・・」と声に出して言ってしまいそうなほど、人の数に驚いたものです
私が改札に向かって歩いていると、すぐ前に幼稚園入園前に見える男の子とお母さんが、やはり改札のほうに歩いていました 雑踏の中、後ろから見ていても、その男の子が「一生懸命に歩いている」ということが感じられ、思わず笑みがこぼれました
ふっと見ると、その親子の行く手に定期券と思しきものが落ちていました。きっと、雑踏の中で定期券をバッグかポケットにしまおうとして、落ちてしまったのでしょう
その定期券に気づいたママは、すぐにそれを拾い上げました。そして、こうおっしゃったのです。
「〇〇ちゃん、何か落ちたねえ」
私は「?」と思いました。「あれ?この人が落としたんだっけ?・・・おかしいなあ、もともと、そこに落ちてたんじゃなかったかな?むー・・・いや、やっぱり落ちてたよね、あなた達がそこに行く前にすでに・・・」と心の中でつぶやきました。
でもやっぱり、そのママは繰り返し、言いました。
「何か落ちた、落ちた 〇ちゃん、駅員さんのところに持っていってあげよう !はーい、これ落ちましたよーって、届けてあげよう」
このママは、とっても親切な良い方、なんですよね
何度も子どもに声をかけ、笑顔で接していらっしゃいます。そして、目の前にあった落し物をそのままにせず、ちゃんと子どもと一緒に、駅員さんに届けようとされている・・・本当に、素敵な方です
でも
日本語が、おかしいです。本当ならば、「何か落ちていたね」「これ、落ちていました」と言うべき、ですね。それが正しい日本語です。
私は、「あ、もしかしたら、この方は外国人なのかもれない」と思いました。中国の方、韓国の方、フィリピンの方・・・日本で暮らしていても、まだまだ言葉に慣れていない外国人のママかもしれません。
でも、聞こえてくる言葉を聞いていると、残念ながら?!その言葉はとても流暢で、たどたどしいところは微塵もありませんでした
何だか私はすっかり気になってしまい、改札口から少し離れて、どの親子を眺めてしまいました。
その親子は、駅員さんのところに向かわてました。拾った定期ケースを手に持っていた男の子は、一度ママのほうを振替し、ニコッと笑って、そして、背伸びをして駅員さんに定期ケースを手渡しました
「すみませーん これ、落としました」
さすがの私もこれ以上、秘かにとはいえ、この親子を見ているとストーカーだなあと思いましたし、この後の展開も見えるようで(きっと、男の言葉を理解できなかった駅員さんはママを呼び、ママの説明を求めるのでしょうが、またまたチンプンカンプン・・・)改札内に入りました。
これから、この子の日本語はどうなっていくのでしょう?
こんなに素敵な心を持ったママです 人の役に立つことが自然にできるこのママに育ててもらい、その男の子は幸せだと思います けれど、それでも尚、言葉は大事なんですねえ・・・
子どもの言葉は、幼稚園や保育園が始まり「みずから自分の世界で、自然に覚えてくるまで」は、ほぼ100%、両親の言葉を耳から聞き、それを覚え、次に自分の言葉として話すようになり、身に着けていきます。そういう意味では、幼児期の言葉は、「親が使っている言葉のコピー」と言っても過言ではありません。
この男の子の場合、「正しい言葉を話す」という点では、かなり不安のあるお母様の言葉を毎日耳にして、それを学習していることになります。もしかしたら、お母さんのボキャブラリーの中で、「拾う」「落とす」だけがおかしい、ということであれば良いですが、やはり、実際にはそういうことは考えられません。たぶん、他にも、間違った言葉、不確かな言葉づかいがたくさんあるのではないか、と思われます。このお母様が、本当にすばらしい心の持ち主だったからこそ、残念に思えてなりませんでした
言葉の面だけで言えば、この男の子は「正しい言葉に触れ、学び、自分のボキャブラリーを増やしていく」にはベストの環境とは言えないでしょう。
今までも「言葉」については何度もブログの中で触れ、テーマとして選び、いろいろな観点から話してきましたが、今日も改めていいましょう
国際化の叫ばれる中、外国語教育に熱心になるご家庭が増えてきています。素敵なことですね。しかし、決して日本語の教育をなおざりにしてはいけません
その人の言葉の土台を築く幼年期。一つでも多く語彙を増やし、自分の思い、願い等を表現するための、たくさんの表現方法を学ばなければならないのはこの時期です。そのことをしっかりと認識していなければ、二兎追うものは一兎を得ず、になりかねません
そして、どうぞ「わが子の言葉の先生は両親である」という認識を持ってください