まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

何か変です・・・

2007年04月05日 | う゛う゛ー
 ある休日の電車の中でのこと
2歳にはまだあと少し・・・と見える男の子が、両親と一緒にシートに座っていました 
 男の子の手には絵本 ちらりと覗いてみるとカラフルな絵に、英語の単語が書かれてあります。
 両親の真ん中にちょこんと座った子どもは、何かを指差し、「スタ」「スタ」と言います 若いご両親は歓喜
   「すごい すごいじゃあん 覚えてるよ、この子
   「そうだよねえ そうそう、星はスター、だよねえ 天才
 するとその男の子は、ニコニコしながら・・・
   「おし おし おししゃま」と言います。
 げげげ どうも、おししゃまは、「おほしさま」のことらしい・・・
 意地の悪い私は、心の中で思わず、「天才じゃなーい」と叫びました。
 いえいえ、もちろん、微笑ましい親子の様子、幸せそうな親子の時間です 見ていて、心が和みます。幼児虐待のニュースを見たあとで、この光景を見れば、それはそれは「ハッピーな家族」です

 でもね、やっぱり違うだろう、と思いました
二兎追うもの一兎を得ず、です。1歳児として、彼がまず覚えるべき言葉は「ほし」です お空でキラキラと瞬いているあれは、「おしちゃま」ではありません
 「おししゃま」幼児語だということもわかります。「さ」の音が発音しにくい音であることも充分に承知です
 でも、やっぱり1歳児のわが子に、親がまず、しっかりと教えるべきものは「ほし」ではないでしょうか。

 外国に駐在中の日本人家庭に子どもが生まれ、当分の間、現地で暮らすことがわかっているような場合、きっとその子は、「現地の子どもの世界」の中で暮らしていく上で必要不可欠な言葉は、その国の言葉であり、自分が生きていく上での手段として、たとえ子どもでも、外国語である現地の言葉を覚えなければならないでしょう そんな場合は、母国語は二の次、です。
 しかし、このような特殊な事情がない限り、子どもが生まれれば、親はまずは正確な母国語である日本語を教え、正しく発音できるようにリードすべきです
 どんなに世の中の国際化が進んでも、自国語をまともに話せないようでは、国際語である英語を話せたとしても、実際には話す言葉は内容の乏しい、ぬけがらの「音」でしかありません
 それに・・・実際には、この子の発音した「スタ」は、「star」でも「ほし」でもなく、今のままでは、「スタ」も「おし」も、どちらも言葉として通用するものではなく、単なる「音」以外の何ものでもありません

 その親子の様子を見ていた、私の前に座っていた15,6歳と思しき女の子が二人。中学を卒業した頃に見えました。
 あどけなさを残した顔にばっちりアイメイクを施し、虫さされとすリ傷の跡の残った素足にミュールを履いていました。精一杯の「おとな」の演出です
 一人の女の子が・・・
   「あの前の子さあ、バリかーわいいー スタだってさ。オメーより英語知ってんじゃねーの?ははは、ほんとにかーわいー 私さあ、子ども好きなんだよねえ すっげー子ども欲しいんだ」と言うと、もう一人が、何と
   「産めばいいじゃん
 と応えました。
 えーっ と思って聞いていると、
   「もうウチら16なんだからさあ、結婚だってできるんだよってことはあ、子ども産んだっておかしくないってことだよねえ
   「そうだねえ、かわいいもんねえ 出来ちゃったら、産めばいいねえ」・・・

 英語の絵本といい、この女の子たちの会話といい、私は発狂しそうになりました やめろてー、やめろー、やめてくれー こんなに変な世界はいやだあー

 どこかが少しずつ狂ってきて、だんだん狂ってきている、ということの認識がないまま、微妙に常識や良識が変化しつつあるのです
 日本の国際化の中において、幼い頃からの英語教育は国をあげて奨励され、少子化対策が叫ばれる中、単に「人口、プラス1」が歓迎される???
 それは違いますよね・・・

 最近、テレビのクイズ番組で流行のテスト。
1風景(自然でも、人がいても良い)の映像の一部が、5秒から10秒間それを凝視していた人が、どの部分が変化したのか?を答える、というテストです。ご存知でしょうか?
 そのテスト。確かに風景の一部はは大きく変わっているのに、なぜかじっと目をこらしていても、ちっともどこが変化したのか?がわからないことが多々あります そして、結果的に回答者も「わかりません!ギブアップです!」ということがよくあるのです。
 その後、じつは変化したのはここですよ、と教えられ、確認のために再度映し出される映像を見て、やっと「おおおおお 確かに、変化している」とわかる・・・んです。

 私は、現代の日本社会の微妙な少しずつの変化は、まるでこの映像変化のテストのようだ・・・と思えてならないのです
 少しずつ少しずつ、でも、確かに変化していっているのに、実際にはほとんど気づかない・・・
 人の良識も、人の言語力も、人の子育ての力も、すべてに変化があり・・・それもみな、マイナス方向への変化です

 こういうことを憂いているのは、私だけなのでしょうか・・・

コメント
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