イランについて、しばらく固くてやや疲れかねない情報をお伝えしてきました。今日は一転して、まったく思いがけない角度からこの国の横顔に迫りたいと思います。
ここ数年で日本人の「食」に対する慎重さ・感度・常識は数段の進歩を遂げました。最大の要因は外国人観光客の急増です。今まではなじみの薄かったイスラム教徒(ムスリム)やヒンズー教徒に対する気配りと、彼らが「食べてよい」食品であることを示す権威ある証明書の存在が、テレビを通じて広く知られるようになりました。どういう店に行けば、そういう食品が買えるかということも、大方の当事者は知っています。こういうふうにはっきりと「食べてよい」という食べ物と「食べては駄目」という食べ物の場合は、迷う人もいないでしょう。しかしその中間には「異教徒(仏教徒やキリスト教徒)がうまそうに食べているが、はたして我らムスリムが食べてはいけないのか?」と迷う食べ物もあるのです。
それが「ウロコのない魚」たちです。有名なところでは、ウナギ、カニ、エビ、タコなどがこれに当ります。これはムスリムたちがほぼ等しく憎み、軽蔑するユダヤ教徒たちが、イスラム教などが生まれるはるか以前から「食べてはいけない」としてきたものたちです。ではその「禁」はどこに書かれているのか? それはユダヤ教徒たちの聖典のひとつ『旧約聖書』の「レビ記」に書いてあります。私も漠然と「『旧約』のどこかに書いてあると聞いたが、そう神経質になって調べることもあるまい」とのんびり構えていたのですが、友人に恐るべき博学で、探求心もただ者ではない男がいて、得意の検索能力で原点を洗い出してくれたのが、2年ほど前でした。
さて、話はイランに戻ります。問題は「サメ」です。サメは長い間、ムスリムたちから「ウロコのない魚」とされてきました。敬虔なムスリムたちはこれを食するなどとはもってのほかと思い込んでいました。だが、イランにも中国人がだいぶ入り込み、実にうまそうに「フカヒレスープ」などを味わっているではありませんか。そういえば、この魚を手で触ってみるとなにやら、ざらざらごわごわしています。「こりゃあ、こいつらにもウロコがある証拠ではないか」と疑い出す輩が出てきました。そこで現代科学の力を借りて「はたしてサメにウロコがありやなしや」を調べる動きとなりました。
しかしいくら現代科学が「ウロコあり」と断じても、宗教が科学より優先するイランでは、そんな理屈は通用しません。「最高実力者の聖断」を仰がねばならないのです。どうしてもサメを食べたい輩は、この国の最高位の聖職者ハメネイ師の聖断を仰ぐところまで漕ぎつけました。
ハメネイ聖断は「サメにウロコあり」と決まりました。これが10年ほど前のことです。
サメたちはさぞ驚いたことでしょう。いままで人間共に捕獲されることもなく、のんびりとペルシャ湾で遊弋(ゆうよく)していたのが、恐るべき人間たちの食欲のために、ぴりぴりと緊張して生きて行かねばならなくなったわけですから。
ニュースには固い話も、まったく考えもしなかった出来事もあるという見本のひとつです。
ここ数年で日本人の「食」に対する慎重さ・感度・常識は数段の進歩を遂げました。最大の要因は外国人観光客の急増です。今まではなじみの薄かったイスラム教徒(ムスリム)やヒンズー教徒に対する気配りと、彼らが「食べてよい」食品であることを示す権威ある証明書の存在が、テレビを通じて広く知られるようになりました。どういう店に行けば、そういう食品が買えるかということも、大方の当事者は知っています。こういうふうにはっきりと「食べてよい」という食べ物と「食べては駄目」という食べ物の場合は、迷う人もいないでしょう。しかしその中間には「異教徒(仏教徒やキリスト教徒)がうまそうに食べているが、はたして我らムスリムが食べてはいけないのか?」と迷う食べ物もあるのです。
それが「ウロコのない魚」たちです。有名なところでは、ウナギ、カニ、エビ、タコなどがこれに当ります。これはムスリムたちがほぼ等しく憎み、軽蔑するユダヤ教徒たちが、イスラム教などが生まれるはるか以前から「食べてはいけない」としてきたものたちです。ではその「禁」はどこに書かれているのか? それはユダヤ教徒たちの聖典のひとつ『旧約聖書』の「レビ記」に書いてあります。私も漠然と「『旧約』のどこかに書いてあると聞いたが、そう神経質になって調べることもあるまい」とのんびり構えていたのですが、友人に恐るべき博学で、探求心もただ者ではない男がいて、得意の検索能力で原点を洗い出してくれたのが、2年ほど前でした。
さて、話はイランに戻ります。問題は「サメ」です。サメは長い間、ムスリムたちから「ウロコのない魚」とされてきました。敬虔なムスリムたちはこれを食するなどとはもってのほかと思い込んでいました。だが、イランにも中国人がだいぶ入り込み、実にうまそうに「フカヒレスープ」などを味わっているではありませんか。そういえば、この魚を手で触ってみるとなにやら、ざらざらごわごわしています。「こりゃあ、こいつらにもウロコがある証拠ではないか」と疑い出す輩が出てきました。そこで現代科学の力を借りて「はたしてサメにウロコがありやなしや」を調べる動きとなりました。
しかしいくら現代科学が「ウロコあり」と断じても、宗教が科学より優先するイランでは、そんな理屈は通用しません。「最高実力者の聖断」を仰がねばならないのです。どうしてもサメを食べたい輩は、この国の最高位の聖職者ハメネイ師の聖断を仰ぐところまで漕ぎつけました。
ハメネイ聖断は「サメにウロコあり」と決まりました。これが10年ほど前のことです。
サメたちはさぞ驚いたことでしょう。いままで人間共に捕獲されることもなく、のんびりとペルシャ湾で遊弋(ゆうよく)していたのが、恐るべき人間たちの食欲のために、ぴりぴりと緊張して生きて行かねばならなくなったわけですから。
ニュースには固い話も、まったく考えもしなかった出来事もあるという見本のひとつです。