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皇帝に対し命がけのゴマをすった男の運命

2020-03-01 16:09:49 | 世界の歴史を「我が事」として学ぶ
 前回ご紹介した「ならず者の要求に屈して、親分格の股の下をくぐった男」というのは、「韓信(かんしん)」です。これは「韓信の股くぐり」として、有名な事件でした。のちに彼は漢の国王劉邦(りゅうほう)の家臣となり、大軍を率いて漢の宿敵楚(そ)の軍隊を打ち破り国王項羽(こうう)を死に追いやりました。主君劉邦を漢の初代皇帝たらしめるのに大功績のあった人物です。だが彼の晩年は、けっして安泰ではなかった。この上もなく悲惨なものでした。なぜか? それを語る前に、ある日の劉邦と韓信の対話に思いを馳せたいと思います。

 劉邦が聞くきます。
 「朕(ちん=私)が掌握し指揮できる軍隊というのは、どのくらいの数のものかのう?」
 「そうですね、陛下ならせいぜい10万人くらいでしょう」
 「では、その方ならどうじゃ?」
「臣(しん=わたし)の場合は、多々ますます弁ず(多ければ多いほど巧みに処理することができる)、でございます」
 「ほう、大きく出おったのう。それなら聞くが、それだけの大軍を率いられるそちが、10万そこそこの軍隊しか掌握できぬ朕の家臣として使われておるのじゃ?」
 
 ここで韓信は一世一代のゴマをすります。
「陛下、それは違います。臣が率いられるのは、大方が「兵」です。ですが陛下が指揮される10万の軍勢はほとんど「将」たちでございます。臣はそれほど多数の将軍や指揮官たちを束ねるなどはとてもできません。あくまで「兵に将たる器」にすぎません。そこへゆくと陛下は、まさに「将に将たる器」にあらせられるお方です。臣などの遠く及ぶところではございません」
 これも韓信の「命がけのゴマすり」として有名なエピソードです。
 もし劉邦が話の前半だけを聞いて不快感を覚え、そのまま席を蹴って立っていたら、韓信は殺されていたかも知れないのです。韓信は帝王のご機嫌を取るために、あえて劉邦が不快と感じるかも知れないことを冒頭にもってきて、喜びそうな話で締めくくったのです。
 この大バクチは一応成功しました。なにごともなく数年が過ぎました。
 だが腹のそこでは、劉邦はどう思ったでしょうか?
 「にくいことを申しおってーー。だがまことにういやつ((可愛い奴)じゃ」と思ってご機嫌になったでしょうか?
 私の見方はもっと厳しいものです。

 「小才(こさい)のきく男じゃ。あんなお世辞でわしが喜ぶとでも思うているのか。浅はかな奴め。こんな男は信用できない。いつわしを裏切るやも知れん。そういえば昔の股くぐりの一件も、男の誇りを捨てて目先の安全を選んだに過ぎないではないか!」

 私には今般の安倍総理の謝罪は、韓信の股くぐりとあまりにも挙通点が多い気がしてなりません。「予算案を通すために」との理由で、理不尽な要求に屈して謝罪したのと、股の下をくぐって目先の安全を選んだのとは、似過ぎていると思います。もし安倍総理が韓信の逸話を、「我が事」として読んでいたら、世界の歴史からもっと学ぶ訓練をい受けていたら、けっして謝罪はしなかったでしょう。大望を抱く者は、総理としての威厳と誇りを捨ててはいけないのです。韓信と似たことをするなんて、縁起でもない話です。
 このあと韓信の運命に激変が起こります。これ以上の悲劇はない結末です。すべては彼のそれまでの言動の積み重ねによるものです。