8月21日、北京郊外で行われた日・中・韓3国の外相会談をテレビで見ていて、ある種の「違和感」を覚えた人は私だけではなかったと思います。3人のうち、河野太郎外相だけがカメラに向かって大きく笑っていたからです。あの会談の前にも後にも、最中にも「笑い」が必要な要素は皆無でした。3人ともそれぞれ国益を代表して出席しているのです。彼らの背後にある3か国の内で、「外相よ、笑って来い。あまり深刻そうな顔をするな!」と思っている首脳がいたでしょうか? 断じていなかったと思います。個人的にはこの会合をどう思うかはべつとして、ここはお芝居でもよいから苦虫を噛み潰したような表情で臨むべきでした。実際、中国の王毅外相にしても、韓国の外相にしても、終始厳しい表情で臨んでいました。独り河野氏だけが、何を勘違いしたのか、破顔一笑しており、これがなんともいえない「不自然さ」に映りました。会談の本質から見ても、今後に予測される韓国のどうしようもない言いがかりを考えても、ここは仏頂面を貫いてほしかった。少なくとも、「日本は怒っているのだ」ということを、韓国代表にははっきりと見せつけるべきでした。
大物は喜怒哀楽を表に出さない
外交というのは、ほとんどの場合腹の内を見せてはならないものです。本心を相手に読まれるようでは、「外交不適任」と見られても仕方がないでしょう。河野氏はまだ若く将来もある人だと日本の政治ジャーナリズムの一部では見られています。もし本当に大きな夢が彼にあるのなら、外相たちの間で「河野という男は何を考えているのか本心が読めない。気味が悪い」という評判が立つくらい、人間としての「奥行の深さ」を感じさせる人物になってほしい。そういう人材が今の日本にきわめて少ないからです。外相に必要なのは明るさや「フレンドリーさ」ではありません。四六時中国益を考えていることから自ずと滲み出る「凄み」です。
悲劇のヒーローに捧ぐ
次は甲子園球児の「笑いすぎが招いた敗北」についてです。本人も周囲もうすうす気づいていることだと思いますし、十分に傷ついているはずですから、ここで彼の笑いについて語ることは少々残酷な気がしますが、どうしてもお伝えしたいことです。
決勝戦での星稜対履正社の試合の前も、最中も星稜のエース奥川君は何度もにこにこと笑っていました。私は「これは危ない」と直感しました。笑う理由がない場面で彼が笑っていたからです。「なにか心に不安があり、それを打ち消すために笑っているのだろうと思いました。「ここは真剣勝負の場なのだ。もっと闘志を燃やし、噛みつきそうな迫力を見せてほしい」と願ったものです。結果は残念なことになりました。「奥川君、新しい明日に向かって歩め!」と励ましたいです。
大物は喜怒哀楽を表に出さない
外交というのは、ほとんどの場合腹の内を見せてはならないものです。本心を相手に読まれるようでは、「外交不適任」と見られても仕方がないでしょう。河野氏はまだ若く将来もある人だと日本の政治ジャーナリズムの一部では見られています。もし本当に大きな夢が彼にあるのなら、外相たちの間で「河野という男は何を考えているのか本心が読めない。気味が悪い」という評判が立つくらい、人間としての「奥行の深さ」を感じさせる人物になってほしい。そういう人材が今の日本にきわめて少ないからです。外相に必要なのは明るさや「フレンドリーさ」ではありません。四六時中国益を考えていることから自ずと滲み出る「凄み」です。
悲劇のヒーローに捧ぐ
次は甲子園球児の「笑いすぎが招いた敗北」についてです。本人も周囲もうすうす気づいていることだと思いますし、十分に傷ついているはずですから、ここで彼の笑いについて語ることは少々残酷な気がしますが、どうしてもお伝えしたいことです。
決勝戦での星稜対履正社の試合の前も、最中も星稜のエース奥川君は何度もにこにこと笑っていました。私は「これは危ない」と直感しました。笑う理由がない場面で彼が笑っていたからです。「なにか心に不安があり、それを打ち消すために笑っているのだろうと思いました。「ここは真剣勝負の場なのだ。もっと闘志を燃やし、噛みつきそうな迫力を見せてほしい」と願ったものです。結果は残念なことになりました。「奥川君、新しい明日に向かって歩め!」と励ましたいです。