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View of the World

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「こじつけ裁判」の挙句の死刑

2019-08-19 12:52:13 | 知られざる悲劇はまだまだ多い
 捕虜(ほりょ)たちの食事に出したゴボウを「木の根っこをたべさせられた。明らかな人権無視であり人種差別だ」と騒ぎ立て、日本人の看守が「そんなことは絶対にない。日本人も何百年も食べ続けてきた、ゴボウという『野菜』だ」といくら説明しても聞く耳を持たなかった歴史的事実をご紹介しました。収容所側を一方的に断罪した白人の捕虜たちは、戦後になって戦勝国の仲間入りしたことから、白人優先思想をますます募らせ、この収容所の看守を裁判にかけました。日本文化および日本食についてまったく「無知な」裁判官たちは、きわめて狭い視野しか持たず、「人権」とか「人種差別」といった観念用語に簡単に乗せられるような、単細胞な人物だったようです。

 自分たちとは異質の文化圏には、それぞれに伝統がはぐくんだ価値観も習慣もあるのだという、「当たり前のこ」にさえ思いいたらない、頭脳の持ち主たちでしたが、彼らの下した決定は、この看守の有罪であり、あろうことか「死刑」でした。前回私は「劇団四季」のミュージカルで観たことはたしかだ、と書きましたが、万が一まちがっていてはいけないと思い、本日四季の本部に問い合わせました。劇団側はミュージカルの題名は「南十字星」であり、筋書きもほぼ私の記憶どおりであることを確認してくれました。
 悲劇の舞台となったのは、南十字星の見えるエリアであり、記憶もだんだんよみがえってきました。あの大戦で、日本に対して最も敵意と恨みを抱き、なんとかして復讐をしたいと思っている国はどこだと思われますか? それはオランダです。300年以上にわたり、インドネシアを植民地として支配し、富を収奪してきたのが、日本軍ゆえにめざめた現地人たちのために、一挙にその富の源を失ったのですから。ここにご紹介した原告と裁判官たちの中に、どのくらいオランダ人がいたのかは、まだ調べがついていません。しかし、世界には我々の考えの及ばぬことがいっぱいあるのだということだけは、頭に入れておきたいものです。

捕虜にゴボウを食べさせて戦後有罪・死刑になった日本人

2019-08-15 13:10:46 | 知られざる悲劇はまだまだ多い
 上記の見出しを見て「その話なら知ってる」とお思いの方も多いでしょう。この捕虜収容所がどこにあり、犠牲になった若者が何という名前だったかは、私も即座には思い出せません。しかし複数の活字メディアと劇団「四季」のミュージカルで、目にしたことはたしかです。それらを全部調べあげて、精緻な記事に仕上げるよりも、令和で初めての終戦記念日に間に合うようなブログ記事としてお目にかけるほうがより大切との思いから、拙速を承知で書かせていただきます。
 
 時は1942年から45年ごろ。日本と戦った、米、英、仏、オランダ等の兵士の何人かは日本軍の捕虜(ほりょ)となりました。日本は、日清、日露戦争の昔から捕虜に対してもけっして居丈高に振舞ったり、「お前たちは捕虜なのだから身の程を知れ」というような、戦勝国面はしない国として知られてきました。しかし戦争が長引き、内地でもインドネシアなどの捕虜収容所でも食料事情は日ごとに悪化してきました。ある時、給食のおかずの手当てに窮した収容所の若い看守は、牛蒡(ゴボウ)をおかずにした食事をだしました。これをみた何人かの捕虜が騒ぎだし、「なんだ、これは木の根っこじゃないか!」こんなものを俺たちに食わせるというのか!」と詰め寄りました。看守はこれはけっして差別なんかじゃないのだ。日本人もとくに整腸効果があるとして何百年間も食べてきたのだ」といくら説明しても、彼らは言うことを聞きませんでした。元々なにか騒ぎを起こす種はないかと狙っていた可能性もあります。
 彼らに対して、一挙に状況を変えさせるような、ユーモアをまじえた説得力のあるコミュニケーション能力がこの若い看守にあるわけがありません。やがて大戦は終結を迎え、捕虜たちは恨みを抱いたまま故国に帰って行きました。この騒ぎは日本文化に対する無知と、看守らのコミュニケーション能力の不足が招いたものです。しかし捕虜たちは、自分たちが無知なるがゆえに、罪のない日本人の命を奪うことになったとは考えませんでした。白人特有の思い上がりと人種差別が根底にあった可能性もあります。
 次回は彼らが主導した国際裁判についてお伝えします。