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View of the World

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サンマは目黒 松茸はアルジェ?

2018-10-14 16:59:49 | グルメは結構世界を見ている
松茸の話だけを3回も続けたにもかかわらず、多くの方にお読みいただき恐縮しています。

 「アルジェのアラブ首脳会議を取材せよ」という命令が、本社から届いた時、日本のメディアのパリ特派員たちは、すでに『アルジェの松茸はうまいのだ』という情報を掴んでいました。さすがはフランスに駐在する記者たちで、フランスの旧植民地アルジェリアについての知識は正確でした。そうした特派員たちが、アラブの首脳会議のあまりの単調さに飽きて、名にしおうご当地の松茸を食べにゆこうと誘ってくれたのですから、我らうまいもの情報にはうといロンドン特派員も、もろ手を挙げての賛成しました。
 アルジェには「松の木クラブ(クリュブ・ド・パン)」と呼ばれる建物があり、その周囲には松の木が豊かに生い茂る林があります。松茸が生えるには絶好の環境のようでした。そこへタクシーを連ねた日本人記者団が乗り付けました。フランス語に堪能な記者たちの代表格が、松茸を採取している現地の親父さんたちと掛け合い、大量の松茸を仕入れてきました。値段は忘れましたが、きわめてリーズナブルだったことはよく覚えています。一同から集めた会費は、驚くほど安いものでした。幹事役はこれを、「焼いてくれ」と交渉しました。
 あつあつに焼けたきのこに、なんと持参の「醤油(しょうゆ)と、レモン汁をかけて頬ばるのは、まさに「至福」のひとときでした。そんなに手回しよく、醤油が用意されていたとは! と驚かれると思いますが、用意周到なパリ特派員たちは、あの魚の形をした小さなプラスチックに入った醤油(駅弁なんかに入っているやつです)をしこたま持ってきていたのです。
 落語に出てくる殿さまは、目黒の農家で食べたサンマの味が忘れられず、家来たちに「サンマは目黒にかぎるぞ」とのたまったそうですが、我々もまた「松茸はアルジジェにかぎるよ」と言いたい心境でした。

 「グルメ評論家でもあるまいに、なぜそんなに松茸に力こぶを入れるのだ?」とお思いでしょうが、これにはわけがあります。中東はたえず戦闘が続き、イスラエルに対する憎悪が渦巻いている地域です。国のトップリーダーたちには、民を豊かにし、国を富ませ、ハイテクなどで国を発展させようという、理念もヴィジョンもありません。ひたすら憎悪を煽り、闘争を奨励しています。しかし有力な産業はなく、国も民もいつまで経っても貧しいのが現状です。そこでせめてアルジェリアだけでも松茸の対日輸出などを試みてはどうか。あるいはヨーロッパ在住の日本人相手に「松茸狩りツアー」などを企画してはどうかと、そのころ私は真剣に考えたものでした。そのためには「平和」が絶対の条件になります。残念ながらアラブ一帯は安全からほど遠く、私の夢は夢のままに終わりそうです。
 

松茸と戦争

2018-10-11 14:37:11 | グルメは結構世界を見ている
 前回はアメリカで美味しい松茸(まつたけ)が採れる町として、西海岸はワシントン州のシアトルをご紹介しました。ここの松茸は、我ら味の素人としては十分に日本国産品と張り合えるもので、私もニューヨークに住んでいたころは、大いに楽しんだものです。そのシアトルが、天才ビル・ゲイツが創立したマイクロソフト社の本拠地であり、アマゾン、グーグルなど他人が思い付かないビジネスが軒を連ねている町だと知れば、松茸(これは日本人が何百年も前から食べているもの)とベンチャー企業(こちらは超新しい)との対比ということで、けっこう想像力が刺激されるのではないかと考えた次第です。

 さて前回アメリカ以外の外国で、美味しい松茸が採れる国として、アルジェリアがあるということをちょっと予告しました。ここはアフリカ大陸の最北部に位置し、アラブもここで終るとされる国です。「日の沈む所」、「西」を意味する「マグレブ」と呼ばれる諸国の中のひとつです。地中海に面し、この海をひとまたぎすれば、そこはもうヨーロッパ。首都アルジェから船に乗って最初にたどり着なんとアフリカ大陸の北岸、アラブもここで終るとされ、「日の沈む所」、「西」を意味する「マグレ、ブ」と呼ばれる諸国の中のひとつ、アルジェリアなのです。地中海に面し、この海をひとまたぎすれば、そこはもうヨーロッパ。首都アルジェから船に乗って最初にたどり着くのは、フランスの港町マルセイユです。アルジェリアは長い間フランスの植民地でした。第二次世界大戦後独立し、公用語はアラビア語ですが、フランスの影響は今も残っていて、フランス語のできる国民がたくさんいます。
 私はこの国の首都アルジェで、美味しい松茸をたらふく食べた経験があります。それは第4次中東戦争が終わった直後のことでした。
  
 1973年10月6日、エジプトはシリア、ヨルダンと組んでイスラエルを急襲しました。もちろん「勝てる!」という確信があったからです。この戦争にはのちにイラクも参加しました。世にいう「10月6日戦争」「第4次中東戦争」の始まりです。圧倒的なアラブ連合軍の攻撃を受けて、今度ばかりはイスラエルも負ける、と思った人が日本のマスコミには多く、緒戦の戦況から「アラブ側有利」といった報道がなされていました。しかしイスラエルは途中から態勢を建て直し、最後はイスラエルの完勝でした。
 問題はこのあとです。この戦争をどう終結させるかをめぐって、国際会議が開かれました。「アラブ首脳会議」というもので、そ会場に選ばれたのが、アルジェだったのです。
 
 私がアルジェの松茸に出会ったのは、あまりにも自己宣伝が多く、中身の少ないアラブ各国の首脳の長時間に及ぶ演説に辟易した、パリ支局の日本人特派員たちのお誘いを受けてのことでした。「ここ4、5時間じゃ何も決まらないよ。気分直しに旨いものを食いに行こう」という誘いにたちまち20人くらいのパリおよびロンドンから来た記者たちが賛同したのですが、この続きはまた次回とさせていただきます。

松茸(まつたけ)で見る国際事情

2018-10-09 10:33:56 | グルメは結構世界を見ている
 秋が深まっても、一般の日本人はもはや昔ほど「松茸を食べたい」とは思わなくなりました。値段が高すぎるからです。聞くところによると、数年前から北朝鮮の松茸が「韓国産」と称して輸入されているとか。召し上がった方もいらっしゃるでしょう。食べ物に政治が絡んでくると、あまり楽しくないですし、せっかくの味が台無しになってしまいますが、そんなことは気にしない、タフな神経をお持ちの方は大いにこの季節の味をエンジョイしてください。

 さてここで視点をがらりと変えて、「一体世界の国々で松茸を愛好する国民というのはどのくらいいるのか」をちょっと考えてみたいと思います。その前段として、日本人がいちばん多く住んでいる国外の町はどこかです。北京・上海かも知れませんが、まずはニューヨークでしょう。この町の日本人は食べることに熱心です。調理師の免許の取得や、営業資格を手に入れるのが非常にむずかしい「ふぐ料理」を、海外の日本料理店で最初に始めたのも、この町の「日本レストラン」でした。店主の情熱とサービス精神、日本料理への愛情と敬意、客の飽くなき「旨いもの嗜好」が生んだ快挙でした。非常に困難を伴うフグ料理だって実現させてしまう和製ニューヨーカーですから、「この広いアメリカのどこかに旨い松茸はないか?」と考えるくらいはお安いご用です。
 ありました。西海岸のシアトルです。

 イチローがマリナーズで活躍するだいぶ前の話で、全米一の大金持ちになるビル・ゲイツもまだ有名になる前のシアトルが、実に旨い松茸の産地だったというのは、ちょっと愉快ではないですか?
 「それはいいとして、早く国外の「松茸国」を紹介しろ」というお声が聞こえて来そうです。
 それがなんと、「カスバの女」でおなじみの「アルジェリア」なのですが、今日はここまでで失礼します。長時間パソコンに向かうことを、医師に禁じられていますのでーー。