ひと月ほど前のこと。トランプ大統領が嘆いていました。「コロナウィルスの感染を防ぐ策をいろいろ打出しているが問題はアメリカの若者の意識だ。自分は健康でタフだからそんなものには感染しないと過信している。こうした過信が一番危ないのだと悟ってほしい」。
このコメントの後だったか、あるいは他の局のニュースだったか忘れましたが、マイアミビーチにいる水着姿の若者が映し出されました。健康に日焼けした褐色の肌が印象的でした。彼は言いました。「俺たちはこの瞬間瞬間を生きているのだ」と。それが生き甲斐であり、州の規制なんかに縛られてたまるか」という憤懣をぶちまけているのでした。片手に酒の入ったグラスを持ち、傍らの女友だちにキスをしていました。
「ああこれではアメリカの感染者が急増するのも無理はないな!」と私は思いました。とにかく為政者に反抗するのが若者であり、それを行動で示すのがカッコイイと思っているのです。そこへゆくと日本では、いかに上からの要請や指示が気にいらなくとも、これほどあからさまに当局への反抗姿勢を示す若者は少ないだろうと私はいままで思ってきました。
しかし4月も20日が過ぎたころ、湘南の海や房総の海岸で、サーフィンをする若者たちがニュースに登場するに及んで、「これは重大な問題だ。従来の若者観を変えなきゃいけないかも知れない」と思うようになりました。
彼らは一般の視聴者の反感を買うような刺激的なコメントをしているわけではありませんが、心のどこかで、多くの人がウィルスに脅え怖がっているのに比べ、「自分たちはそんな臆病者とは違う。勇気ある若者だ。青春を謳歌(おうか)しているのだ。」というおごりの気分があっての行動ではないか、という疑念が生まれてきたのです。マイアミのマッチョを気取ったアメリカ青年ほどではないにせよ、「臆病者と思われたくない。勇気ある若者と思われたい、という気持ちがどこかにあっての行動ではないだろうか?」と思うのです。
だが、この時期、大多数の人が不自由に耐えて自粛しているさなかに、サーフィンをするなどというのはけっして勇気ある行動ではありません。「臆病者とみなされることを怖れず慎重な行動を取り、世間に迷惑をかけない者こそが真の「勇気ある人々」です。もっと分かりやすく言えば、「こういう時期にあえて「臆病者」になれるのが、「真の勇者」です。おたがい共に「誇り高き臆病者」になろうではありませんか。
このコメントの後だったか、あるいは他の局のニュースだったか忘れましたが、マイアミビーチにいる水着姿の若者が映し出されました。健康に日焼けした褐色の肌が印象的でした。彼は言いました。「俺たちはこの瞬間瞬間を生きているのだ」と。それが生き甲斐であり、州の規制なんかに縛られてたまるか」という憤懣をぶちまけているのでした。片手に酒の入ったグラスを持ち、傍らの女友だちにキスをしていました。
「ああこれではアメリカの感染者が急増するのも無理はないな!」と私は思いました。とにかく為政者に反抗するのが若者であり、それを行動で示すのがカッコイイと思っているのです。そこへゆくと日本では、いかに上からの要請や指示が気にいらなくとも、これほどあからさまに当局への反抗姿勢を示す若者は少ないだろうと私はいままで思ってきました。
しかし4月も20日が過ぎたころ、湘南の海や房総の海岸で、サーフィンをする若者たちがニュースに登場するに及んで、「これは重大な問題だ。従来の若者観を変えなきゃいけないかも知れない」と思うようになりました。
彼らは一般の視聴者の反感を買うような刺激的なコメントをしているわけではありませんが、心のどこかで、多くの人がウィルスに脅え怖がっているのに比べ、「自分たちはそんな臆病者とは違う。勇気ある若者だ。青春を謳歌(おうか)しているのだ。」というおごりの気分があっての行動ではないか、という疑念が生まれてきたのです。マイアミのマッチョを気取ったアメリカ青年ほどではないにせよ、「臆病者と思われたくない。勇気ある若者と思われたい、という気持ちがどこかにあっての行動ではないだろうか?」と思うのです。
だが、この時期、大多数の人が不自由に耐えて自粛しているさなかに、サーフィンをするなどというのはけっして勇気ある行動ではありません。「臆病者とみなされることを怖れず慎重な行動を取り、世間に迷惑をかけない者こそが真の「勇気ある人々」です。もっと分かりやすく言えば、「こういう時期にあえて「臆病者」になれるのが、「真の勇者」です。おたがい共に「誇り高き臆病者」になろうではありませんか。