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View of the World

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この時期、「臆病者」になれるのが「真の勇者」だ

2020-04-23 11:16:10 | 社会時評
 ひと月ほど前のこと。トランプ大統領が嘆いていました。「コロナウィルスの感染を防ぐ策をいろいろ打出しているが問題はアメリカの若者の意識だ。自分は健康でタフだからそんなものには感染しないと過信している。こうした過信が一番危ないのだと悟ってほしい」。
 
 このコメントの後だったか、あるいは他の局のニュースだったか忘れましたが、マイアミビーチにいる水着姿の若者が映し出されました。健康に日焼けした褐色の肌が印象的でした。彼は言いました。「俺たちはこの瞬間瞬間を生きているのだ」と。それが生き甲斐であり、州の規制なんかに縛られてたまるか」という憤懣をぶちまけているのでした。片手に酒の入ったグラスを持ち、傍らの女友だちにキスをしていました。
 「ああこれではアメリカの感染者が急増するのも無理はないな!」と私は思いました。とにかく為政者に反抗するのが若者であり、それを行動で示すのがカッコイイと思っているのです。そこへゆくと日本では、いかに上からの要請や指示が気にいらなくとも、これほどあからさまに当局への反抗姿勢を示す若者は少ないだろうと私はいままで思ってきました。
 しかし4月も20日が過ぎたころ、湘南の海や房総の海岸で、サーフィンをする若者たちがニュースに登場するに及んで、「これは重大な問題だ。従来の若者観を変えなきゃいけないかも知れない」と思うようになりました。
 
 彼らは一般の視聴者の反感を買うような刺激的なコメントをしているわけではありませんが、心のどこかで、多くの人がウィルスに脅え怖がっているのに比べ、「自分たちはそんな臆病者とは違う。勇気ある若者だ。青春を謳歌(おうか)しているのだ。」というおごりの気分があっての行動ではないか、という疑念が生まれてきたのです。マイアミのマッチョを気取ったアメリカ青年ほどではないにせよ、「臆病者と思われたくない。勇気ある若者と思われたい、という気持ちがどこかにあっての行動ではないだろうか?」と思うのです。

 だが、この時期、大多数の人が不自由に耐えて自粛しているさなかに、サーフィンをするなどというのはけっして勇気ある行動ではありません。「臆病者とみなされることを怖れず慎重な行動を取り、世間に迷惑をかけない者こそが真の「勇気ある人々」です。もっと分かりやすく言えば、「こういう時期にあえて「臆病者」になれるのが、「真の勇者」です。おたがい共に「誇り高き臆病者」になろうではありませんか。

いま欲しいのは「しんと静まったスタジアム」

2018-07-23 17:22:26 | 社会時評
 ピンクレディが歌った曲に「サウスポー」というのがありました。
 「背番号1のすごい奴が相手 フラミンゴみたいにちょいと一本足で」で始まるヒット曲です。スーパースターのお出ましに、ベンチのサインは敬遠だけど、この左利きの少女投手はあえて「勝負」を挑みます。世紀の勝負を見守る観衆も両チームのナインも、思わず息をのみます。一瞬の静寂が球場を包みます。それを作詞家阿久悠さんは「しんと静まったスタジアム」と表現しました。

 さて、この「しんと静まった」スタジアムというものが、いまの日本からほとんど消滅しているのを、ご存知でしょうか? 一度プロ野球のテレビ中継をご覧になってみてください。応援団長とおぼしき男が、ゲームの開始から終了まで、のべつ幕なしに太鼓をたたいています。世界に誇るべき日本文化の美点である、「間」とか「沈黙の価値」といったものを知らず、理解しようともしない、知性のかけらも感じさせない顔をしている手合いが多い。自分一人が、ひいきチームに入れ込んでいるだけならまだしも、困るのは彼のひきいる配下の者たちが、一般の観客に感動を強いることです。観客は本来、自分が拍手したい時に拍手し、声援を送りたい時に声を出したいはずです。他人に「ここで拍手、ここで声援!」というふうに強制されたくはない、もっと自然体でゲームを楽しみたいのではないでしょうか? しかし最近の観客は羊のように従順です。みんな同じようなメガホンを打ち振り、セミプロと化した応援団の指揮に従っています。「個性」が強く「自分」というものをしっかり持っている人間には耐えられないような「全体主義」が球場を支配しているのです。戦争の悲惨さを身をもって体験した私のような世代にとって、一番の恐怖は「全体主義」です。異見を認めず、自分たちの価値観で大衆をリードしようとする者たちがのさばる社会です。
 
 多様な意見や、多様な感動が許されるようなスタジアムが蘇ってほしい。参考までに申し上げますと、アメリカ大リーグの観客はもっと自由に、のびのびとゲームを楽しんでいます。各球団は、暴力的応援団の跳梁(ちょうりょう)を抑える努力をしてほしい。それによって、応援団の独裁(?)に嫌気がさして球場に足を運ばなくなった私のような観客が、また必ず帰ってくると信じています。中長期的に見た場合、球団の経営もこういう観客を大切にしたほうが、はるかに安定するのではないでしょうか?