過去2回にわたり小泉進次郎発言の、「セクシー」という英語を基に、「リベラル」という英語の盛衰(せいすい)ぶりを見てきました。ところが職場や個人生活の場で「リベラル」派がいかに影響力を持ち、それといかに戦ってきたかの経験を持たない人には、「そんな話には興味がない」と受け取られたかも知れません。無理もないことです。しかし「リベラル」という語は、私たちの生活や思想・政治的行動を決める上で大きな影響力を持ってきましたし、それは今も相当続いています。
この言葉になじみ、その功罪をよく知ることは、日本の政治経済を大きく変える力になりうるものです。ではかつてあれほど羽振りのよかったリベラル派が、なぜ力を失ってきたのか?
彼らの言うことが「古くなってきた」からです。
乱暴な言い方をすれば、「リベラル」という語は、「もはやセクシーではない」からと言ってほぼ間違いないと思います。
この言葉になじみ、その功罪をよく知ることは、日本の政治経済を大きく変える力になりうるものです。ではかつてあれほど羽振りのよかったリベラル派が、なぜ力を失ってきたのか?
彼らの言うことが「古くなってきた」からです。
乱暴な言い方をすれば、「リベラル」という語は、「もはやセクシーではない」からと言ってほぼ間違いないと思います。