goo blog サービス終了のお知らせ 

View of the World

世界と日本をつなぎあなたと世界を近づける

安心感に満ちた日々は突然終わる。きみは忽ち大人になる

2018-07-22 11:07:51 | 純文学
 「安心とは車の後ろの座席で眠ることさ!」「きみは何にも心配しなくていい。お母さんとお父さんは前の座席にいる、そして心配ごとはぜんぶ引きうけてくれる。何もかも面倒みてくれる」と少年は言います。
 少女はうっとりとした表情で「ほんとにすてきね!」と返します。前回はここまでお話ししました。
 不安に駆られあれこれと心配している少女に対して、こういう目に見えるような形で「安心」のイメージを語れるというのは大したものです。だが少年チャーリー・ブラウンの人生に対する見方はもっと鋭く、現実的です。うっとりしている少女ペパーミント パティに向かって彼は言います。
 「でもこれはいつまでもつづかないよ! 突然きみは大人になる、そしてもう二度とこういう具合にはいかなくなるのさ!」
 「突然それは終りになる、きみは二度と後ろの座席で眠れなくなる! もうけっして眠れないのさ!」
 「もうできないの!」
 「絶対にできないよ!」
 急に不安にかられたペパーミント パティはいいます。
 「私の手をしっかりにぎって!」

 両親が自分の不安や悩みをぜんぶ吸収し、引き受けてくれた夢のような日々は長くはつづかない。人間は大人になる。そして前の座席に行かなければならない。悩みや心配ごとを引き受ける側に回らねばならない。これは避けることのできない運命(さだめ)であり、後ろの座席で眠ることは「もう絶対にできない!」と少年は言うのです。

老年にとっての「安心」とは

 これはチャーリー・ブラウンやスヌーピーが活躍するマンガ『ピーナッツ』の中でも最高傑作の一つとされている長編です。日本でいつまでもスヌーピーたちが、「可愛い」だけのキャラクターとしか見られていないこと、これではアメリカ人および世界の知的な人々とのコミュニケーションは不可能だと思った私は、1993年に『スヌーピーたちのアメリカ』(新潮社)を書きました。幸い多くの人々の支持を得て、9年間に15刷りを数えました。その中の一つに、この「安心について」が入っています。当然のことですが、私の本では、『ピーナッツ』の紹介だけではなく、自分の実体験や意見も加えてあります。
 「安心について」というからには、安心を最も欲している、老年の安心についても触れねばなりません。私の母は、88歳で永眠しましたが、晩年はいろいろなことを心配していました。母にとっての安心とは、たまにお風呂に入れてもらい、あたたかいバスタオルにくるまれて、寝床まで運んでもらうことであり、近所の犬の鳴き声でした。さらに母にとっての安心は、息子(私)が朝仕事に出かける靴の音であり、夕食後にテレビを見ながら笑っている私の笑い声でした。「よう笑うね」と私の妻に話しかけていました。人格円満といえない息子が、喧嘩をして会社を辞めてしまうのではないか、とまでは考えなかったと思いますが、老いたる母にとっての安心は、「今日も昨日と変わらない生活」だったようです。それを悟るのに、どれだけ長い時間がかかったことか。なんと感性のにぶい息子だったことか、と悔やんでいます。
 このとおりではありませんが、おおむねこのようなことを私は自分の本に書き加えました。
 
この文章が高校の国語教科書に載っています

 2003年になって、教科書を製作する最大手の出版社東京書籍が、この「安心について」を高校の国語教科書『新編現代文』に掲載したいので、著者の許諾を得たいと申し出てきました。大変名誉なことであり、私は快く「使用許可」とさせていただきました。こういう作品に触れて育つ若者は、デリケートな神経を養い、人を思いやる心をはぐくむことだろうとの期待を込めてでした。翌2004年から今日まで、「安心について」は14年間同社の教科書の中で、錚々(そうそう)たる大家の文章の末席を汚させていただいています。
 このことは若干の気恥ずかしさもあって、親しい友人や編集者にも語ったことはありません。これが初めてです。錚々たる大家とは、ご参考までに申し上げますと、次の方々です。
  
 夏目漱石(こころ) 森鴎外(最後の一句) 太宰治(富岳百景) 安部公房(公然の秘密) 宮澤賢治(永訣の朝) 萩原朔太郎(竹) 井伏鱒二(山椒魚) 吉本ばなな(みどりのゆび) 中原中也(サーカス) 俵 万智(さくらさくらさくら)

安心とは車の後ろの座席で眠ること 

2018-07-21 14:58:34 | 純文学
 今回の豪雨による被災地の皆様に心よりお見舞い申し上げます。これを読んでくださっている読者の皆様も同じ気持ちだろうと思います。炎熱の下、くれぐれもご無理をなさらないでください。

 小学校も夏休みに入りました。子供は子供で、いろいろな悩みや心配事を抱えていますが、そうしたものを吹き飛ばし、和らげてくれるお話をしましょう。私のオリジナル作品ではありませんが、何年たっても鮮度を失わない名作です。

 少年と少女が大きな木の幹に背をもたせかけて、話しをしています。木の下には草が生えていて、おしゃべりをするには絶好の場所です。二人とも小学校の4,5年生くらい。少女が言います。「私このごろなんにでもくよくよしてるみたいなの。安心って何だと思う?」
 「安心ねえ?」
 「安心ってのは車の後ろの座席で眠ることさ!」
 「きみは小さな子供で、お母さんやお父さんといっしょにどこかへ遠出したとする、あたりはもう夜だ、きみたちは車でうちへ帰るところさ、その時きみは後ろの座席で眠れる」
 「きみは何にも心配しなくていい。お母さんとお父さんは前の座席にいる、そして心配ごとはぜんぶ引き受けてくれる。何もかも面倒みてくれる」
 「ほんとにすてきね!」

 少女はうっとりとした顔になります。安心しきって、もう何の心配もないという表情です。それにしても、安心というものを、誰もがまぶたに浮かべられるように描き出すこの物語の作者の力量というのは、大変なものだと思います。不安に駆られている少女に、たとえ束の間とはいえ安心感を与え、これを読んだ読者を納得させる力量の持ち主というのは、そう多くはありません。作者の名はチャールズ・シュルツ。少年はチャーリ・ブラウン。少女はペパーミント パティ。少年は白いビーグル犬スヌーピーの飼い主です。

 さて我らがチャーリー・ブラウンは、こういう幸福感と安心感に満たされた人生だけを見ているわけではありません。人生はもっと苛酷であり、現実は甘いものではないということを、さらりと言ってのけます。その話の急展開の仕方がまたみごとですが、それは次回のお楽しみということにしてください。