前回の記事でご紹介した85歳でフルマラソンに挑み、世界の大都市で走り続ける元商社マンについての続報です。K.K.さん(スーパーランナー)の独白という構成にしましたが、文責はあくまで取材者(筆者)にあります。
初めはジョギング。77歳の時だった。
商社の幹部社員から、日英合弁の通信会社の社長になり、無事責任を果たし終えたのが70代の半ばだった。暇ができたし、体力も十分余っていた。そこで健康を維持するために、初めてジョギング大会とやらに参加した。77歳だった。実に気分爽快で、走ることがこれほど楽しいものかということに目覚めた。江の島や鎌倉など、魅力あるジョギングコースが多かった。
「走る距離を伸ばしてみるか」という思いからマラソンへ
しかし、欲深いというか好奇心が旺盛だったというべきか、もう少し走る距離を伸ばしてみようという気になり、「いっそフルマラソンに挑んでみるか」と思うようになった。ジョギングという堅実で地道な体力維持法から、いきなり42・195キロのフルマラソンへと頭が回るというのは、少数派もいいところだろうが、この着想を妨げる人物は周囲には誰もいなかった。まさに「自由は何物にも代えがたい」との思いだった。
「途中で歩いてもいいから、とにかくゴールまで」がルール
とはいえ、フルマラソンのコースを完走するというのは容易なことではない。そこで主催者は「途中で歩いてもいいから完走してくれ」というルールを設けた。柔軟な思考の持ち主たちがいるものだ。私もこれで気分が軽くなり、年に2回ほど欧米の大都市での大会に参加している。最近のニューヨークでの大会では、80歳をすぎての完走者(もちろん「歩き」を含む)は、私一人だった。トップでゴールインした人に比べると、数倍の時間がかかったが、主催者も観客の多くも、辛抱強く私のゴールインを待っていてくれた。ハグと握手を多くの人に求められ、生涯でも最も幸せな日のひとつとなった。
こういう催しに参加することを、安易に人には薦められない。しかし「よし、ひとつ自分もやってみるか」というお気持ちのある方には「どうぞ試みて下さい」と言いたい。今までとまったく違う風景が見えてくるし、他国の人々との新しい絆も生まれてくる。とくに若い方々に薦めたい。脳が適度の刺激を受け、世界がいちだんと広く鮮やかに見えてきますから。
初めはジョギング。77歳の時だった。
商社の幹部社員から、日英合弁の通信会社の社長になり、無事責任を果たし終えたのが70代の半ばだった。暇ができたし、体力も十分余っていた。そこで健康を維持するために、初めてジョギング大会とやらに参加した。77歳だった。実に気分爽快で、走ることがこれほど楽しいものかということに目覚めた。江の島や鎌倉など、魅力あるジョギングコースが多かった。
「走る距離を伸ばしてみるか」という思いからマラソンへ
しかし、欲深いというか好奇心が旺盛だったというべきか、もう少し走る距離を伸ばしてみようという気になり、「いっそフルマラソンに挑んでみるか」と思うようになった。ジョギングという堅実で地道な体力維持法から、いきなり42・195キロのフルマラソンへと頭が回るというのは、少数派もいいところだろうが、この着想を妨げる人物は周囲には誰もいなかった。まさに「自由は何物にも代えがたい」との思いだった。
「途中で歩いてもいいから、とにかくゴールまで」がルール
とはいえ、フルマラソンのコースを完走するというのは容易なことではない。そこで主催者は「途中で歩いてもいいから完走してくれ」というルールを設けた。柔軟な思考の持ち主たちがいるものだ。私もこれで気分が軽くなり、年に2回ほど欧米の大都市での大会に参加している。最近のニューヨークでの大会では、80歳をすぎての完走者(もちろん「歩き」を含む)は、私一人だった。トップでゴールインした人に比べると、数倍の時間がかかったが、主催者も観客の多くも、辛抱強く私のゴールインを待っていてくれた。ハグと握手を多くの人に求められ、生涯でも最も幸せな日のひとつとなった。
こういう催しに参加することを、安易に人には薦められない。しかし「よし、ひとつ自分もやってみるか」というお気持ちのある方には「どうぞ試みて下さい」と言いたい。今までとまったく違う風景が見えてくるし、他国の人々との新しい絆も生まれてくる。とくに若い方々に薦めたい。脳が適度の刺激を受け、世界がいちだんと広く鮮やかに見えてきますから。