このタイトルをご覧になって「だがーー」のあとに、どういう言葉を持ってきたらよいと思われますか? かつての日本の学校では、先生方の多くが授業中に雑談の形で話されたり、この考えをテーマにして熱のこもった授業を展開されたものです。学生や生徒の約7割方は一度は耳にしたのではないかと推測します。マスコミの本質について、自由や民主主義のあるべき姿について、これほどずばりとかつ短く語った言葉はないと言ってもよく、これを聴いた理想に燃える若者たちは、感動したものでした。
さてこの前段に続く下の句(?)は、何でしょうか?
それは「だが、君が僕とは全く違う意見を言う自由だけは、僕は死んでも守る」です。
なんとすばらしい言葉ではありませんか! 論敵あるいは政敵をおとしめ、かげにまわって彼の悪口を言い、場合によっては彼の発言の場さえ奪おうとする卑劣な者たちと、この発言者の精神の出来具合の、何たる違いでしょうか! この名せりふを、あえてここに持ってきたのは、今の日本でこうした哲学がいかに衰退し、無力化しているかを目のあたりにしているからです。その現状がどれほどひどいものかは、具体例をお見せしないと分からないでしょうが、今日はその惨状の「指摘」だけにさせていただきます。
私が教育を受けたのは、言論統制がきつく人々が「自由」に飢えていた戦争が終わって、「さあ、これからはもっと楽しく明るい世の中になるぞ」という希望が見えてきた時代でした。教わることのほとんどが楽しく輝いて見えたと言っても過言ではありません。そうした時代背景の中で、この名言はひときわ強く胸を打ちました。これを語ったのは、18世紀のフランスの「百科全書家」のひとり、博学多識で鳴るディドローだったと覚えています。「原文」を読んだことはありません。
今の複雑すぎる世界の中で、無事に生きて行くためには、世界に通用する「常識」しかありません。ディドローの名言がその一つであってほしいと願っています。