今回の「10万円一律支給」の決定をめぐって、安倍首相は「自分の決断が遅すぎたために遅滞(ちたい)をまねいた。国民の皆さまに深くお詫びを申し上げたい」と語りました。少し「お詫び」のしすぎです。いま国民が求めているのは、穏やかに摩擦なく、八方をまとめてゆく調整型の「無難な首相」ではありません。多少の軋轢(あつれき)があろうが、轟轟(ごうごう)たる反対意見が巻き起ころうが、「自分はこれをやるのだ。しばらく黙って成果を見てもらいたい」という信念をずばりと語れる「強い、頼り甲斐のある宰相」です。安倍総理に決定的に欠けているのは、こうした強さであり迫力です。いまは非常時です。平和時にいて通用し、有効であった政治姿勢はもはや通用しません。むしろ有害です。この潮の流れの劇的な変化を、総理は読めていません。自分の政治哲学の欠陥も分かっていないのです。ですから時代錯誤のコメントを繰り返し、そのたびに「失望感が生む政権への支持率の低下」を呼んでいるのです。
安倍さん、思い切って政治哲学を変えてください。「自分はピントはずれかも知れない」と思い直してください。このままだと貴方も国民も、益々不幸になります。発想を変える歴史的名せりふをご紹介します。
時は中世のスペイン。まだスペインという統一王国が生まれていない時代です。アラブから入ってきたイスラム教徒のムーア人と先住民のキリスト教徒が、戦いを繰り広げていました。しかしキリスト教徒の国王は凡庸な人で、弟との政権争いに夢中になっていました。ために民衆は耐えがたいほどの苦難に直面していました。
国王に仕えていたビヴァールの騎士ドン・ロドリゴは、王がにもっと民衆のことを考えるように誠心誠意努めますが、王は聞く耳を持ちませんでした。しかし事態が切迫し、危険が我が身にも及ぶに及んで彼はこの忠臣に言います。「余が悪かった。あまりにも愚かであった。明日は国民に詫びようと思う」これを聞いたロドリゴは言います。「君主は誰にたいしても頭を下げてはなりません」。いままで王の暗愚さゆえにさんざ煮え湯を飲まされてきた彼が、「一国の最高責任者はけっして詫びたりしてはならない。そんなことをすれば、王の権威に傷がつき、国内は益々混乱する」として、王の謝罪を思いとどまらせるのです。このシーンを扱った映画は感動的でした。
ロドリゴはイスラム教徒たちからも尊敬され「シッド」の尊称で呼ばれていました。、国民の敬愛を一身に集めていましたが、自らは王になるなどという野心はいっさい持ちませんでした。ヨーロッパの全歴史を通じても最大の英雄の一人でした。私が何度も観た映画は「エル・シド」で、主演はチャールトン・ヘストンでした。
もちろん時代も背景も違う日本で、シッドの名言が通用するとは思いません。しかし総理大臣が参考にすべき金言であることはたしかでしょう。検討してみてください・
安倍さん、思い切って政治哲学を変えてください。「自分はピントはずれかも知れない」と思い直してください。このままだと貴方も国民も、益々不幸になります。発想を変える歴史的名せりふをご紹介します。
時は中世のスペイン。まだスペインという統一王国が生まれていない時代です。アラブから入ってきたイスラム教徒のムーア人と先住民のキリスト教徒が、戦いを繰り広げていました。しかしキリスト教徒の国王は凡庸な人で、弟との政権争いに夢中になっていました。ために民衆は耐えがたいほどの苦難に直面していました。
国王に仕えていたビヴァールの騎士ドン・ロドリゴは、王がにもっと民衆のことを考えるように誠心誠意努めますが、王は聞く耳を持ちませんでした。しかし事態が切迫し、危険が我が身にも及ぶに及んで彼はこの忠臣に言います。「余が悪かった。あまりにも愚かであった。明日は国民に詫びようと思う」これを聞いたロドリゴは言います。「君主は誰にたいしても頭を下げてはなりません」。いままで王の暗愚さゆえにさんざ煮え湯を飲まされてきた彼が、「一国の最高責任者はけっして詫びたりしてはならない。そんなことをすれば、王の権威に傷がつき、国内は益々混乱する」として、王の謝罪を思いとどまらせるのです。このシーンを扱った映画は感動的でした。
ロドリゴはイスラム教徒たちからも尊敬され「シッド」の尊称で呼ばれていました。、国民の敬愛を一身に集めていましたが、自らは王になるなどという野心はいっさい持ちませんでした。ヨーロッパの全歴史を通じても最大の英雄の一人でした。私が何度も観た映画は「エル・シド」で、主演はチャールトン・ヘストンでした。
もちろん時代も背景も違う日本で、シッドの名言が通用するとは思いません。しかし総理大臣が参考にすべき金言であることはたしかでしょう。検討してみてください・