あまり大きなテーマは「自分には関係がない。そんなことを言われたって、自分にはどうすることもできない。天下国家の大事は、昔は知らず、今の庶民は預かり知らぬことだ」と思っている人が多いでしょう。しかし、「無関心派」の貴方および似たような方の多数が、世界の運命に関心を抱き、身近な国会議員選挙やメディアの報道に対して意見を述べるようになれば、日本および世界の運命は大幅に変わります。それもよい方向に変わります。それを信じていただきたいと願ってこのブログを続けている次第です。
まずは、第二次世界大戦において、フランスの運命を劇的に変えたシャルル・ドゴール准将の演説について。
ドゴールはフランス陸軍の超エリートでしたが、組織の大勢に従い、自分の立身出世のみを考えるような、並みのエリートとは全く違う哲学の持ち主でした。彼はヒットラーの率いるドイツ軍の、怒涛の進撃に屈し、戦わずして首都パリを明け渡した自国の首脳部(将軍たち)の行為を「国民に対する重大な裏切り」と見て、これを許さず、ロンドンに亡命政権を樹立することを決意、直ちに軍用機で英国に脱出します。1940年6月のことです。
英国政府(首相はチャーチル)との交渉の結果、公共放送BBCの電波を借りることにしたドゴールは、6月18日、BBCのラジオ波を使ってフランス国民に呼びかけます。ドイツの技術的・軍事的優勢を認めつつ、世界を広く見渡す視野から、この戦争の意義を強調、これは全世界を巻き込んだ「大戦」なのだと言います。
そして「だがフランスは独りではない。彼女(フランスは女性名詞)は独りではない。彼女は独り」ではない」と繰り返します。その根拠として、フランスの背後には今もドイツと戦い続け、制海権を握る大英帝国と、巨大な工業国アメリカがついていることを挙げ、我らはなならず敵にまさる技術力でドイツを打ち破るだろう。自由フランス万歳!」と締めくくります。
このコメント原稿は、彼自身が書いたものです。私は若き日にドゴールを接遇したBBCの幹部から、朱入りの原稿をもらい、この演説のほぼ全文を自著「メディアの驕り(おごり)」(新潮新書)で紹介しています。感動を誘う名文です。ぜひご一読ください。
フランスにもしドゴールがいなっかたら、彼女はまちがいなく「敗戦国」になっていたでしょう。もしドゴールにこれだけのコメント力がなかったら、彼の演説に奮い立つフランス国民はおらず、対独レジスタンス(抵抗)運動は失敗したでしょう。まさにコメント力は一国を敗戦から救い、フランスの自由と独立を守ったのです。
次回はコメント力と個人の運命について書きます。
まずは、第二次世界大戦において、フランスの運命を劇的に変えたシャルル・ドゴール准将の演説について。
ドゴールはフランス陸軍の超エリートでしたが、組織の大勢に従い、自分の立身出世のみを考えるような、並みのエリートとは全く違う哲学の持ち主でした。彼はヒットラーの率いるドイツ軍の、怒涛の進撃に屈し、戦わずして首都パリを明け渡した自国の首脳部(将軍たち)の行為を「国民に対する重大な裏切り」と見て、これを許さず、ロンドンに亡命政権を樹立することを決意、直ちに軍用機で英国に脱出します。1940年6月のことです。
英国政府(首相はチャーチル)との交渉の結果、公共放送BBCの電波を借りることにしたドゴールは、6月18日、BBCのラジオ波を使ってフランス国民に呼びかけます。ドイツの技術的・軍事的優勢を認めつつ、世界を広く見渡す視野から、この戦争の意義を強調、これは全世界を巻き込んだ「大戦」なのだと言います。
そして「だがフランスは独りではない。彼女(フランスは女性名詞)は独りではない。彼女は独り」ではない」と繰り返します。その根拠として、フランスの背後には今もドイツと戦い続け、制海権を握る大英帝国と、巨大な工業国アメリカがついていることを挙げ、我らはなならず敵にまさる技術力でドイツを打ち破るだろう。自由フランス万歳!」と締めくくります。
このコメント原稿は、彼自身が書いたものです。私は若き日にドゴールを接遇したBBCの幹部から、朱入りの原稿をもらい、この演説のほぼ全文を自著「メディアの驕り(おごり)」(新潮新書)で紹介しています。感動を誘う名文です。ぜひご一読ください。
フランスにもしドゴールがいなっかたら、彼女はまちがいなく「敗戦国」になっていたでしょう。もしドゴールにこれだけのコメント力がなかったら、彼の演説に奮い立つフランス国民はおらず、対独レジスタンス(抵抗)運動は失敗したでしょう。まさにコメント力は一国を敗戦から救い、フランスの自由と独立を守ったのです。
次回はコメント力と個人の運命について書きます。