このタイトルの後に続くのは「いま他国の調略に対してなぜかくも無防備なのか?」という嘆きです。戦国時代、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)などは調略の名人と呼ばれ、狙いをつけた城に間者を放って説得工作を仕掛け、戦わずして城全体を味方の陣営に引き入れることに成功しました。城に総攻撃を加えて攻め落とすというのは、一見華々しく見えますが、これだと味方の損傷も大きく、けっして褒められたものではありませんでした。そこへ行くと一発の弾丸を放つこともなく、一兵を損なうこともなく、敵の城がまるまる手に入るメリットははかり知れないほど大きかったのです。まさに孫子の兵法にいう「上兵は謀を討つ」でした。
ところがこれだけの伝統と、調略の成功例についての知識の蓄積があるはずの日本で、いまの政治家の間に「国を守るいろはとしての、調略」という価値観がほぼ全くないのはどうしてでしょうか? 日本が他国に対して調略を仕掛けるべきだ」といっているのではありません。「日本の政治家の無知・ナイーブさに付け込んで、他国の情報機関がどれほどの謀略を仕掛けてきているのかについて、もっと想像力を用い、アラートになりましょうよ」と言っているのです。こういう視点から、国政選挙や与党の総裁選を見直せば、今まで見えていなかった真実が数多く見えてくるでしょう。そのことが我々の安全に直結することを願っています。
ところがこれだけの伝統と、調略の成功例についての知識の蓄積があるはずの日本で、いまの政治家の間に「国を守るいろはとしての、調略」という価値観がほぼ全くないのはどうしてでしょうか? 日本が他国に対して調略を仕掛けるべきだ」といっているのではありません。「日本の政治家の無知・ナイーブさに付け込んで、他国の情報機関がどれほどの謀略を仕掛けてきているのかについて、もっと想像力を用い、アラートになりましょうよ」と言っているのです。こういう視点から、国政選挙や与党の総裁選を見直せば、今まで見えていなかった真実が数多く見えてくるでしょう。そのことが我々の安全に直結することを願っています。