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View of the World

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孫悟空、安禄山、ドン・キホーテ

2020-03-22 12:19:59 | 読み方で変わる文化への理解
フィクションとは言え猿でも姓を持つ文化があるのか? 

 孫悟空らが大活躍するのは明(みん)の時代に書かれた「西遊記(さいゆうき)という小説の中でです。作者は呉承恩。この小説は奇想天外、想像力のおもむくまま、自由自在に書き上げたもので、「中国の四大奇書の一つ」とされています。まさか高僧の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が、ほんとにサルやブタを引き連れてインドまでお経を手に入れに行ったとはだれも思わないでしょう。この小説は、あくまでエンターテインメント(娯楽)だということを、読者も分かった上で楽しんでいるのですが、それにしても江戸時代の日本では武士や富裕な商人、農村では代々続く徳望の高い庄屋さんくらいしか許されていなかった名字帯刀(みょうじたいとう)を、サルにも許す文化が中国にはあったのかーーという素朴な疑問を私は抱いたものでした。少し生真面目(きまじめ)すぎますね。

 しかしこの疑問はけっして無駄ではなかった。そこから連想は次々に広がって行ったのです。
 そんごくう孫悟空(そんごくう)の「孫」は、明らかに「姓(苗字)]です。日本では「そんごくう」と続けて読んでしまい、我々は孫が姓で「悟空」が名前(ファーストネイム)だなんてことは、考えてもみません。しかし岩波の「広辞苑」では、「そん・ごくう」と切って読むべきだということが、はっきりと示されています。「コロナのニュースでこの忙しいさなかに、猿の名前をどう読もうと、そんなことはどうでもいいじゃないか」とお思いでしょうが、実は彼の名前をどう読むかで世界はかなり違って見えてくるというのが、私の実感です。はっきり言えば、世界がより正確に見え、それによって得るプラスはかなり大きいのです。
 
 高校生のころ、国語の時間だったか漢文の時間に、白楽天の「長恨歌(ちょうごんか)というのを習いました。実に面白かった! 唐の玄宗皇帝と楊貴妃(ようきひ)のロマンスと悲劇を扱った長編叙事詩です。二人の悲劇の始まりは、安禄山(あん・ろくざん)という節度使(せつどし)が反乱を起こし、ついには玄宗の失脚にまで至る内乱のためでした。先生は玄宗と楊貴妃のなれそめから、破局に至るまでを目にみえるように生き生きと語ってくれました。こういう方に世界的な古典を教わったことは、一生の宝でした。
 だがただ一つ戸惑ったのは、先生が安禄山を「安・碌山」と切って発音されなかったことです。それによって、私は安禄山というのは、地方にある山の名前かなにかかも知れないと、しばらく勘違いしていました。節度使というのが、どのくらいの兵力を持ち、どのくらいの経済力を持っていたのかも語られ
ませんでしたので、出来の悪い高校生としては、反乱の具体的なイメージを掴むのにだいぶ苦労をしたものです。
 もし先生が、「この男の姓は安で、名が碌山というのだ」と一言言ってくだされば、私の理解はぐんと深まったと思います。

「蒋介石」と「ドン・キホーテ」
   
 さて月日は流れて、この時から40年ほどが経ちました。私はテレビ局の社員で、ニューヨークとロンドンの支局を開設し、国際ニュースのキャスターも務めた古参でした。7,8歳若い社員で、今後ますます「伸びる」可能性を秘めた男が、ある時私に言いました。「この間、蒋介石を「しょう・かいせき」と切って読んだら、Xさんにひどく叱られました。「しょうかいせき」と続けて読まなきゃだめだ!」というのです。Xさんというのは、報道局きっての超ベテランで、だれも逆らえないほどの雰囲気を備えた人でした。私より5歳ほど年上です。彼と論争する気は全くありませんでしたが、私は即座に言いました。
 「そりゃ、君の読み方の方が正しいよ。中国大陸の人も、台湾の人も姓と名の間に心持ちワンポーズ置いて発音しているはずだ。このワンポーズの置き方を、日本人はどういうものか嫌がる。中国人や韓国人の名前もそうだけれど、西洋人の名前も「切り方」がおかしい。
 
 たとえば「ドン・キホーテ」だ。書くのは正確に「ドン・キホーテ」と書けるけれど、しゃべる時はまず99パーセントの日本人が、「ドンキ・ホーテ」と言っている。アクセントの置き方は、「のんき おやじ」といった発音の仕方に似ている。「ドン」というのは、スペイン語圏やイタリア語圏などで、騎士階級以上の男子につける敬称だ。そこを知っておかないと、欧米人とのコミュニケーションはうまくいかないと思う。でもXさんには逆らうなよ。黙って仕事の場では区切って読むことだ」
 この若手がその後どうなったか? 順調に昇進を続けたところを見ると、どうやら事を荒立てずにすんだようです。

 なぜ数ある西洋人の名前の中から「キホーテ卿」だけを取り上げたかと言いますと。ミュージカル「ラ・マンチャの男」についての大多数の日本人の理解の度合いが薄すぎると思うからです。この劇に描かれた「キホーテ」は、けっして頭がおかしくなった老人ではありません。20世紀の欧米人の精神に多大な影響を与えた存在です。主題歌の中の、「勝てそうもない敵を破り、不可能な夢を夢見る」心の持ち主です。この夢多きチャレンジ精神が、月に人間を送り込み、不可能と思われた病魔に勝ってきたのです。今、コロナウイルスと戦っている医師も看護師も為政者も、心の底ではラ・マンチャの男と同じ思いを抱いているはずです。   
 この劇についてもう一言付け加えますと、映画ではピーター・オトウールが主演し、日本では市川染五郎が帝劇の舞台で主役を務めて超ロングランを成功させました。しかし欧米人との会話で、話題がこの劇に及んだ際に、彼らと対等の気の利いた感想を語れる人は少ないと思います。
 あまり気負って無理をするのは考えものですが、もう少し「ドン・キホーテ」についてくらい正確な理解をしたいものです。中国のサルの話から、スペインの不思議な頭脳を持った「騎士気取り」の男の話へと、時代と距離をいささか越え過ぎたようです。折があれば、また続編を書かせていただきます。