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堺屋太一・『官僚たちの夏』・ノブレスオブリージュ

2019-02-12 10:06:12 | 昨今の官僚の「教養レベル」
「官僚が威張りすぎている」 

 堺屋太一さんに最後にお会いしたのは、10年ほど前の文藝春秋社の忘年会ででした。忘年会といっても、ホテルオークラの平安の間を借り切っての大規模なもので、出席者総数は500人を優に越えていたと思います。互いに「お久しぶりです」などという月並みな挨拶はしません。堺屋さんは超有名人で、皆が話しかけたがっている方ですから、長く「独占(?)する」などというのは、こういう集いの暗黙のルールに反します。私も挨拶抜きで、いきなり「どうですか、最近は?」と聞きました。「どうですか」と聞かれても、慎重な人なら「何がですか?」などと聞き返すとことでしょう。だが堺屋さんは、きわめて短く鋭く「官僚が威張りすぎていますね」と答えられました。
 エリート官僚の大先輩である堺屋さんの目にも、官僚たちの「威張り方」は目に余る(腹に据えかねる)ものがあったのでしょう。その威張り方は、明らかに国益を害するところまで来ているーーということを、具体例をいくつもお持ちの堺屋さんは憂えておられた。官僚たちの独善ぶりと、品性の卑しさは許しがたい、と感じるがゆえの発言だったと思います。
 文春のS副社長もご一緒でした。私たち3人はそれからしばらく「官僚がもっとシャイであった日」について語りあいました。

城山三郎著『官僚たちの夏』

 戦争が終わって間もなくのころ、官僚たちの使命感とビジョンについて最も生き生きと語った本は、城山三郎氏の『官僚たちの夏』だったと思います。舞台は通商産業省(現在は経済産業省)。登場人物の主役のモデルは実在した事務次官佐橋滋氏です。戦争により壊滅に近い打撃を受けた日本の産業をどう建て直し、新しい希望に満ちた産業をどのように育成するかを、熱く論じ合い、幾晩も徹夜で語り合う官僚たちの姿は、多くの日本人の共感を呼んだものでした。彼らには「私」の利益をはかろうといった料簡はなく、ひたすら「日本国」がどう生き延びて行くべきかという基本に立っていました。まさに「ノブレスオブリージュ(貴人の義務)」という価値観を実践によって示していたと言ってよいでしょう。
 この小説の中に、若き日の堺屋太一が登場したかどうかはよく分かりません。登場するには彼は少し若すぎたと思います。しかし当時の通産省の「企業文化」の香りを存分に吸い込んだ彼が、後年大きな仕事をするための土台の役割を、通産省が果たしたことは確かだと思います。

 それにしても昨今の中央官庁のエリート官僚と呼ばれる徒輩の志の低さ、品性の下劣さはどうでしょうか? 文部事務次官が「私の信条は面従腹背(めんじゅうふくはい)です」などと言うに及んでは、「何おか言わんや」です。10年前の堺屋さんは、その辺の処も十分に読んでおられたのだと思います。

 次回は「官僚がもっとシャイであった日」と題して語らせていただきます。