前回の「女性の容貌をほめてはいけない」という記事の続きです。カイロ大学でアラビア語とヘブライ語、それに中東地域の歴史と文化を学んだ日本人留学生がいました。K君と言います。刻苦勉励したおかげで優秀な成績で卒業できることになりました。気分は高揚し、希望に満ちた未来が見えていました。ある時、街で同じ年格好のMという男と知り合い、しばらく話しているうちにすっかり意気投合しました。Mは「これから俺の家へ来い。もっといろんなことを話そう」と言います。アラブでは初対面の相手でも、気が合えば自宅に連れて行く習慣があります。K君は喜んで同行しました。家について驚きました。「家内です」と紹介された新妻は、抜群の美貌の持ち主でした。すっかり動転したKは、しどろもどろになり、何をしゃべっているのか自分でも分からないくらいでした。まもなく夫人は中座して台所へ向かいましたが、Kは「きれいな奥さんだね。どこで仕留めたんだい。この色男!」といった調子で、習い覚えたばかりのアラビア語を駆使してMにお世辞を言いました。だがMの顔色は見るみる青ざめ、不快感が表にみなぎってきました。なんともいえない苦悩の色も浮かんでいました。やがて彼は中座しました。しばらくして包丁を研ぐ音が聞こえてきました。「しまった!」とKは
気がつきました。あいさつもそこそこに「大声で「さよならっーー」と叫び表へ飛び出しでいきました。まさに間一髪! 命がけの脱出でした。
Mは明らかに自分を殺すために包丁を研いでいた! アラブでは物でも人でも軽々しく褒めてはいけないのだった。褒められた方はそれに応えなければならない。「どうぞお持ち帰りください」といってプレゼントする習慣もあるそうだ。花瓶や茶器の場合はまだいい。中には大富豪の車をほめて自動車一台をまるごと貰ったやつもいると聞く。「褒める」というのは、ここでは「おねだりする」のと同じ意味を持ってくる。では褒める対象が人間の場合にはどうなるのか? とくに女性の場合には! 自分は「彼女に興味がある」といっただけではすまないだろう。「彼女に性的野心がある」と同義語になってくる。俺はなんとバカなことを口走ったのだろう」という悔恨の念と、危うく殺されそうになった恐怖感があらためてKの胸にこみ上げてきました。
ここに書いたことは、けっしてアラブ世界だけに当てはまる話ではありません。むしろ世界の大多数の文化圏で通用する話です。しかし大半の日本人はそのことに気付いていません。日本的基準や価値観が世界のどこにでも通用すると思い込んでいます。それが、どれだけ危険なことなのかを、分かっていないのです。自分たちが日常信じ込んで疑いもしない習慣や発想を、一度総点検してみませんかと言いたいです。このブログは、そうした願いを基にして生まれたものです。でもあんまり固く理屈っぽいものにはしないつもりです。
気がつきました。あいさつもそこそこに「大声で「さよならっーー」と叫び表へ飛び出しでいきました。まさに間一髪! 命がけの脱出でした。
Mは明らかに自分を殺すために包丁を研いでいた! アラブでは物でも人でも軽々しく褒めてはいけないのだった。褒められた方はそれに応えなければならない。「どうぞお持ち帰りください」といってプレゼントする習慣もあるそうだ。花瓶や茶器の場合はまだいい。中には大富豪の車をほめて自動車一台をまるごと貰ったやつもいると聞く。「褒める」というのは、ここでは「おねだりする」のと同じ意味を持ってくる。では褒める対象が人間の場合にはどうなるのか? とくに女性の場合には! 自分は「彼女に興味がある」といっただけではすまないだろう。「彼女に性的野心がある」と同義語になってくる。俺はなんとバカなことを口走ったのだろう」という悔恨の念と、危うく殺されそうになった恐怖感があらためてKの胸にこみ上げてきました。
ここに書いたことは、けっしてアラブ世界だけに当てはまる話ではありません。むしろ世界の大多数の文化圏で通用する話です。しかし大半の日本人はそのことに気付いていません。日本的基準や価値観が世界のどこにでも通用すると思い込んでいます。それが、どれだけ危険なことなのかを、分かっていないのです。自分たちが日常信じ込んで疑いもしない習慣や発想を、一度総点検してみませんかと言いたいです。このブログは、そうした願いを基にして生まれたものです。でもあんまり固く理屈っぽいものにはしないつもりです。