外国語に訳しようがない日本語を、いまだに記者会見などで使っている政治家や「お偉方」がいます。通訳者はほとほと困り果てていますが、通訳のプロとしての誇りから、弱音は吐きません。こういう人々の労をねぎらい、「今日の訳し方は本当によかった」といった言葉をかけるのも、記者会見に出席する我々ジャーナリストの務めだろうと思います。それによって通訳者の皆さんが、励まされたと感じ、さらによい仕事をされるようになってほしいと願って、私は時々励ましの言葉をかけるようにしています。
今日は今までに「これは名訳だ」と感じた例をご紹介したいと思います。
今から38年前のこと。笹川良一さん(日本船舶振興会会長)が、日本外国特派員協会(FCCJ)で講演と記者会見をしました。その時に「私は毎年お盆の時期になると、むかし面倒みた女たちの霊をなぐさめる法要をしています」と言ったのです。問題はこの「むかし面倒をみた女の霊」をどう訳すかでした。最も素朴な訳だと、Souls of the women whom I took care of とでもなりますか? しかしこれでは直訳すぎて、「面倒をみる」という日本語が含む微妙な大人同士の関係を言い表せていません。もっとも今の若い通訳者でしたら、そういう「微妙な」男女の機微などというものが、はじめから分からず、味もそっけもない訳をしてしまう恐れがあります。そうなると、これは翻訳以前の問題で、「そもそも日本語が分かっていない」ということになりますが、今日はそこまでは心配しないことにしましょう。この日の女性通訳者二人は、日本の文化にもよく通じていました。お金も地位もある戦前の日本男子が、「面倒をみた女」といえばどういうことを指すかが十分わかった大人たちでした。
では「むかし面倒をみた女たちの霊」をこのベテラン通訳はどう訳したのでしょうか?
Souls of the ladies whose acquaintances I have enjoyed.
と訳したのです。私の傍にいたフジテレビの山川千秋キャスターと思わず顔を見合わせて、「参った。大したもんだね」という思いをこめてうなずき合ったものでした。少しこの訳に注釈を加えます。最もセンスがあるなと思うのは、「彼女たちとの知己(=ちき acquaintances アククエインタンス)を私が楽しんだ淑女たち」と訳した点です。これで、二号夫人だか三号夫人とかと笹川さんとの関係がはっきりと浮かび上がります。金銭的に面倒をみただけではない。心が通いあうものがあったはずです。自分も彼女たちに会えて楽しかった、という思いがこもった発言でした。今の価値基準が絶対に正しいと思う人は、「正夫人以外の女性たちの面倒をみるというのは許せない」ということになるのでしょうが、ここで私が語っているのはあくまで「翻訳しにくい日本語をいかに原語の味わいを損なわずに英語に訳すか」という問題なのです。分かり切ったことでしょうが、念のために。
廣淵升彦
Masuhiko Hirobuchi