ここ数年、日本人の英語学習法について、今までとは違う意見が多数派になりつつあるように見えます。その一つは
1.「文法は必要ない」というものであり、さらには「小むずかしい英文法なんかは、話 せる英語を身につけるには『有害だ』」とまで言うものです。
2.こうした「説」や「論」を唱える人たちは、大体「英語は聞き流すだけでよい。勉強しようなどと考えずただ聞いていれば、自然とできるようになる。という「信仰」を抱いているようです。
このグループの人々を、とりあえず「楽して成果を挙げられる」派と呼ぶことにします。
ところがビジネスの第一線で活躍し、人一倍努力して、英語力を磨き知的な外国人たちと「交渉」した経験を持つ実務家たちの見方はこれとは全く違います。
この人たちは「英文法は絶対に必要」「文法は英語のルールが身につく最も能率的な近道」と信じています。みずから英語をマスターし、ハーバードやコロンビアで経営学修士(MBA)や、博士号(PhD)を取った実績があるだけに、この人々の「論」には説得力があります。
この人々を「正統派の努力家」と呼びましょう。
さて、問題は、今の日本で、この2グループのうちのどちらが多数を占めつつあるかです。
あと2,3回はこの問題について書いていきたいと思っています。できるだけ楽しい実例を挙げながら、物事の核心に触れていきます。
1.「文法は必要ない」というものであり、さらには「小むずかしい英文法なんかは、話 せる英語を身につけるには『有害だ』」とまで言うものです。
2.こうした「説」や「論」を唱える人たちは、大体「英語は聞き流すだけでよい。勉強しようなどと考えずただ聞いていれば、自然とできるようになる。という「信仰」を抱いているようです。
このグループの人々を、とりあえず「楽して成果を挙げられる」派と呼ぶことにします。
ところがビジネスの第一線で活躍し、人一倍努力して、英語力を磨き知的な外国人たちと「交渉」した経験を持つ実務家たちの見方はこれとは全く違います。
この人たちは「英文法は絶対に必要」「文法は英語のルールが身につく最も能率的な近道」と信じています。みずから英語をマスターし、ハーバードやコロンビアで経営学修士(MBA)や、博士号(PhD)を取った実績があるだけに、この人々の「論」には説得力があります。
この人々を「正統派の努力家」と呼びましょう。
さて、問題は、今の日本で、この2グループのうちのどちらが多数を占めつつあるかです。
あと2,3回はこの問題について書いていきたいと思っています。できるだけ楽しい実例を挙げながら、物事の核心に触れていきます。