日本の有名人で「競馬」に最も熱心だった人といえば、まず思い浮かぶのは菊池寛でしょう。文藝春秋社を創立し、自由な社風で日本の出版文化に多大な貢献をしました。芥川賞、直木賞をスタートさせたのもこの人です。競馬をイギリスのように「ジェントルマンのスポーツ」として育てたいという願いから、自らも数頭の馬の持ち主になりました。彼の頭の中では、文学と紳士道(ジェントルマンシップ)と競馬が混然一体となっていたようです。
この菊池寛が生きていたら、さぞかし大喜びをしたであろう「快挙(かいきょ)」が起きました。12月2日(日曜日)、中京競馬場、第11レースの「チャンピオンズカップ」においてです。いくつもの栄光ある重賞レースで優勝した実績を誇る15頭が、1800メートルのダートコース(砂のコース)で覇を競いました。一番人気は3歳の牡馬ルヴァンスレーヴで、単勝の予想配当は1.9倍という圧倒的人気でした。騎乗したのは日本に住んで3年目のイタリア人ミルコ・デムーロ騎手です。
期待にたがわず、デムーロは絶妙の手綱さばきでこの馬を御し、2着馬に1馬身以上の差をつけて優勝、1着賞金1億円を獲得しました。
さて私が「菊池寛が生きていたらさぞ大喜びしただろう」と申し上げたのは、騎手のレース全体を見通す能力や、駆け引きの巧みさを褒めたいからではありません。私の賞賛のポイントはただ一つ、愛馬にこの名前を付けた馬主のセンスと教養です。「ルヴァンスレーヴ」という長い名前を聞いて、直ちにこれが何を意味するかが分かる競馬ファンというのは、そうはいないでしょう。たとえ「意味」は分かっても、この言葉が辿ってきた苦難に満ちた20世紀の一時期を具体的に思い浮かべられる人となると、数はさらに激減します。その証拠に、このレースを生中継したフジテレビの解説陣も、だれ一人として「命名の由来」についてしゃべりませんでした。話すべき「知識」がなかったからだと思います。
「ル・ヴァン・ス・レーヴ」という詩は、日本語では「風立ちぬ」と訳されています。作者はフランス人ポール・ヴァレリー。「20世紀最高の知性」と讃えられた人です。作家堀辰雄はこの詩に感銘を受け、「風立ちぬ」という小説を書きました。これで「競馬と文学」がつながったでしょうか?
この菊池寛が生きていたら、さぞかし大喜びをしたであろう「快挙(かいきょ)」が起きました。12月2日(日曜日)、中京競馬場、第11レースの「チャンピオンズカップ」においてです。いくつもの栄光ある重賞レースで優勝した実績を誇る15頭が、1800メートルのダートコース(砂のコース)で覇を競いました。一番人気は3歳の牡馬ルヴァンスレーヴで、単勝の予想配当は1.9倍という圧倒的人気でした。騎乗したのは日本に住んで3年目のイタリア人ミルコ・デムーロ騎手です。
期待にたがわず、デムーロは絶妙の手綱さばきでこの馬を御し、2着馬に1馬身以上の差をつけて優勝、1着賞金1億円を獲得しました。
さて私が「菊池寛が生きていたらさぞ大喜びしただろう」と申し上げたのは、騎手のレース全体を見通す能力や、駆け引きの巧みさを褒めたいからではありません。私の賞賛のポイントはただ一つ、愛馬にこの名前を付けた馬主のセンスと教養です。「ルヴァンスレーヴ」という長い名前を聞いて、直ちにこれが何を意味するかが分かる競馬ファンというのは、そうはいないでしょう。たとえ「意味」は分かっても、この言葉が辿ってきた苦難に満ちた20世紀の一時期を具体的に思い浮かべられる人となると、数はさらに激減します。その証拠に、このレースを生中継したフジテレビの解説陣も、だれ一人として「命名の由来」についてしゃべりませんでした。話すべき「知識」がなかったからだと思います。
「ル・ヴァン・ス・レーヴ」という詩は、日本語では「風立ちぬ」と訳されています。作者はフランス人ポール・ヴァレリー。「20世紀最高の知性」と讃えられた人です。作家堀辰雄はこの詩に感銘を受け、「風立ちぬ」という小説を書きました。これで「競馬と文学」がつながったでしょうか?