goo blog サービス終了のお知らせ 

View of the World

世界と日本をつなぎあなたと世界を近づける

英語学習もう1つの「信仰」-ネイティブ万能論

2018-08-08 11:04:51 | 疑い深さのすすめ
 昨日は「英語学習についての全く異なる見方」をご覧いただきました。第一のグループに属する人々は、「英文法不要論」を信じ、「英語は聞き流すだけでよい。楽しく聞いていれば、自然にヒヤリング能力が身につく」ということを自らも信じ、この思想をメディアを通じて広めようとしています。第二のグループは、「英文法は絶対に必要かつ有益」と信じ、「リーディングの力がなければ英語は絶対に身につかない」ということを、自分の著作でも語り、この考えを広めようとしています。この「リーディング能力不可欠論」については、昨日は述べる時間がなかったので、ここであらためてご紹介させていただきます。

 さてこうした異なる論に加えてここ数十年日本を覆っているもう一つの「信仰」について触れなければなりません。それは「英語のネイティブスピーカーを盲信しすぎること」です。テレビなどに登場する人は、実に気軽にネイティブの英語を礼賛し、「生まれた時から英語に浸っていれば、わざわざ『勉強する』必要はない」としばしば語っています。さらにアメリカやオーストラリアなどに「自称」1年間も『留学』すれば、英語なんかペラペラになる」ということを友人たちに言いふらしています。この「現地優先主義」「ネイティブとの会話万能論」を唱える人たちは結構影響力が大きく、彼らに洗脳(せんのう)されて「海外留学」する者たちがあとを断ちません。裕福な親をその気にさせて、何百万円かを援助させ、あちらで英語の真似事をして遊んでいるのが常です。
 あまり辛辣(しんらつ)でもなく、ごくごく穏やかな常識人である私の友人は、「大体日本で英語ができない者が、海外に行って英語ができるようになるわけがない」と言っています。これは彼の言葉の中では最も厳しいものですが、最もするどく真実を言い当てたものだと思います。英語の基礎は日本でちゃんと身につけ、海外へはそれを確認しにゆくくらいの心構えが必要だというのです。

 私がこういうブログを書いているのは、論争をするためではなく、愚論を日本中に広める危険な人物たちをやっつけたいからでもありません。世界の平和をひたすら願い、地道にまじめに生きている方々が、穏やかに暮らしていっていただきたいからです。我々がいくら平和を望んでも、日本人をひたすら侮辱し、嘘で固めた日本人像を世界に広めようとしている国がいくつかあります。そういう人たちは、国を挙げて若者に英語を学ばせ、海外留学に力を入れています。ハーバードやエール、プリンストン、コロンビアなどの一流大学で学ぶこうした国々からの留学生の数は、日本からの学生の数十倍に達しています。彼らは論争(ディベイト)も得意で、修辞法(レトリック)にも秀でています。彼らの論争の場を実際に見た日本人は、日本の前途に対して、暗澹(あんたん)たる気分になると言います。日本の若い留学生たちが、彼らと論争すれば決定的な敗北を喫することは明らかだと見えるからです。

 日本人の英語能力不足は、いまや日本の安全をゆるがし、日本の存立そのものを脅かしつつあるというのが、英語力の緊急な向上を唱える有識者たちの一致した願いなのです。
 しかし現実はどうでしょうか? 
 何のために英語を学ぶのか分からず、「英語ができたらカッコイイから」とか「女の子にもてるだろうからなあ」といった、きわめて稚(おさな)い考えから、英語に手を染めている人々が大半です。しかも「努力はしたくない」ので、ひたすら「楽をしながら英語ペラペラになりたい」と願う人々と、彼らの「楽したい願望」につけこんで、「英文法は必要ない」とか、「ネイティブに習えば短時間で上達する」といった、洗脳キャンペーンがはびこっているのが実情です。
 野党の皆さんは、日本がそんな危機におちいっているといった認識は全く持っていず、政府に対策を促す国会質問など聞いたことがありません。
 理想論を唱えることは控えたいと思いますが、もう少し「世界平和と日本の安全のために不可欠な英語を学ぶのだ」といった、「志(こころざし)を抱いて」英語を学ぶ人がふえてほしいものです。私のブログは、世界がいかに脆弱(ぜいじゃく)な基盤の上に立っているかを、もっと認識してほしいとの願いを込めて書いています。しかし読者の方々に「苦痛」と感じさせるものではいけない。楽しいことも希望もまだまだあるという基盤に立って書いています。今後ともよろしくお願いします。

民族の性格についての大実験

2018-07-27 17:13:06 | 疑い深さのすすめ
 人々はどうしても昔ながらの「思い込み」に縛られて、他国民や民族を判断しがちです。そして一度思い込んだら、どんなに状況が変わろうが、この「思い込み」を修正できないのが常です。たとえばイタリア人はいつも恋愛のことしか考えていない、イタリアの男は、女性と見れば、すぐに口笛を吹いてお茶に誘う。ドイツ人は理屈っぽく、事実よりも理屈を重んじすぎる傾向がある、等々です。こうした思い込みの中には、当たっているものもあれば、外れているものもあります。
 さて多くの人々が「こうだ!」と信じ込み、当人たちもあまりそれを疑わない見方の中に、「イギリス人は沈着冷静で、物事を現実的に見ることにすぐれている」というのがあります。外交問題でも、けっして「国民感情」などに溺れて大局を見誤ったりしない。クールに国益を追求できる国民だというのです。
 ところが、この見方に疑問を抱いたイギリス人の大学教授がいました。「この見方はちょっと買いかぶりすぎではないか。我々ははたして、それほど冷静沈着だろうか?」と彼は思いました。
 こういう疑問が湧いてきたからには、それを実証してみなければ気がすまないのがイギリス人です。彼はまず30人のイギリス人を、暑くて強い酒をあおることで有名なメキシコに連れて行きました。そして確か半年、そこに住まわせました。
 結果はどうだったか? 冷静沈着なはずのイギリス人たちは、ちょっとしたことに腹を立て、すぐに喧嘩はするは、怒鳴り合うはで、紳士の国の住民の面目は丸つぶれになったそうです。「気候風土の影響を考慮に入れない民族論ははなはだ危険だ」というのが、教授の結論でした。

 この話には続きがあります。今日はこれから出かけなければならないことが生じましたので、ここで失礼します。後編は明日(28日)書かせていただきます。  
   廣淵升彦

統計の嘘にだまされないで!Don't be tricked by statistics

2018-07-26 18:27:21 | 疑い深さのすすめ
 世には統計を用いて純真な人々をたばかり、自分たちの利益を得ようとする不逞(ふてい)の輩(やから)がいます。騙されないように、くれぐれも気をつけましょう。面白いのは、そういう統計による嘘をしっかり分類し、一冊の本にまとめ上げた苦労人がいることです。ダリル・ハフというアメリカ人ですが、まずは彼の本の中で一番私の記憶に残っているものをご紹介しましょう。

 ずっと昔の話。アメリカ東部のさる名門大学が男女共学に踏み切ることになりました。創立以来100年以上も男子学生だけでやってきたのですから、この決定が大きな話題になったのも当然でした。大学新聞も地元の新聞も特集を組むなどして、話題は「今度入ってくる女子学生というのは、どういうことを考えているのか? 趣味は? 恋愛観は? 興味ある分野は? 将来の希望は?」といったことについて、先走りすぎた取材を試みた記者もいたようです。さて入学式もすんだころ、ある新聞に一つの記事が出ました。

 それは「今度入学してきた女子学生の内の33・3パーセントが、入学前に同じ学部の男子学生と結婚していることが分かった」というものでした。この記事は関係者の間で大きな衝撃を呼びました。「今どきの女子は進んでいるとは聞いていたが、それにしても33・3%もがすでに結婚いていたとは!」という驚きの声がしばらくキャンパス内で交わされ続けました。

 しかし世の中には、こういう数字なんかには恐れ入らない臍(へそ)曲がりもいました。この男はまず33・3%という数字に注目しました。33・3%というのは、抽象化された数字です。「実際の数字は何なのか?」彼は関係者を訪ねて、このパーセントの根拠になっている数字を掴もうとしました。明らかになったのは、実際に入学してきた女子学生は3人で、そのうちの1人が結婚しているに過ぎないーーということでした。

 たしかに3人に1人は全体の33・3%です。しかし3人に1人というのと、「33・3パーセントが結婚していた」というのとでは、読者に与える印象はまるでちがいます。私たちの周囲には嘘とまではゆかずとも、真実ではないこの手の数字がいっぱいあります。狡猾な官僚の中には、こうした数字を巧妙に混ぜ合わせて、自分の属する省庁の利益を追求している者たちもいます。彼らを上回る悪知恵の持ち主が増えてほしいものです。
 廣淵升彦

 "How to tell a lie with statistics" is a legendary famous book in America dealing with statistical lies.