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View of the World

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ウクライナ国内の「反ロシア感情」

2022-03-20 11:35:46 | 超日常的な事への想像力
「日本のマスコミは、相変わらず日本人の価値観でしかロシアのウクライナ侵攻を伝えていない」--という批判が、マスコミの内部からも起こっています。自分を謙虚に客観的に見ることができる記者が、内部にいる会社は、それを誇りに思ってほしいものです。
WSJなどのアメリカのメディアは、ウクライナ内部の「反ロシア感情」を伝え、彼らがいかにロシア人を嫌い、侮蔑しているかを具体的に報じています。日本人には想像もつかない苦境の中にあっても、侵略者をあざ笑う精神があることを知るだけでも、この戦争の行方を見る上で大きな参考になります。こうしたウクライナの「世論」は、ロシア内部にも伝えられているそうです。


「自由」・「人権」・「民主主義」等のいずれもない国語

2022-03-09 14:13:08 | 超日常的な事への想像力
 前2回にわたり、「羊」という言葉がアラビア語にはないらしいと書き、さらに「タイ」「ヒラメ」「ニシン」といった魚の区別もなく、泳ぐものはすべて「魚」で一括されるそうだーーと書きました。しかしいくらなんでもこれは行き過ぎかも知れないと思い、中東特派員経験者に問い合わせました。彼は「真偽のほどはわからない」といいました。こんなことで日が経つうちに、きわめて重要なことに気付きました。いくつかの国の国語には、表記見だしに掲げたような言葉は、そもそも初めからないのではないか。それを忘れて、「某国では自由も人権もない」と怒る国々があるけれど、それは「無い物ねだり」というものではないのか?

 ということです。

 言葉に規制がなく、自由に物が言える文化圏に生まれた幸せを、もっと噛みしめたいものです。ウクライナに侵攻した国の民や兵士の頭の中身について、もっと知りたいものです。

アラビア語に「羊(ひつじ)」という言葉はない(?)

2022-02-09 11:43:18 | 超日常的な事への想像力
 ずいぶん昔の話です。テレビ局のヨーロッパ支局(ロンドン)勤務中ですから、50年ほど前のこと。レバノンの首都ベイルートへ取材に出かけました。日本赤軍が各地で暴れており、その一派が日航機をハイジャックし、リビアまで飛行させました。次はどこへ向かうのかだれにも分かりません。ベイルートは、中東の情報が集まるところで、文化程度(民度)も高く、英語もフランス語も通じる都市として有名でした。パリやロンドン、デュッセルドルフ(西独)から、多くの日本人特派員が招集されて、ベイルートに集まりました。ここは地中海の東の果て、食べ物もうまく、お酒も自由に飲めるし、酒場ではきれいなお姐さんたちがサービスしてくれました。
ベイルートは「中東の小パリ」というニックネームにふさわしく、平和で落ち着いた快適な都でした。

 集まった特派員のほとんどは、「中東は初めて」という人たちでした。もちろんアラビア語の話せる人はまずいません。少しでも現地の事情に通じた人の語ることは貴重な情報でした。しかし中には「どうも怪しい。うぶな記者たちを、ひとつひっかけてやろうという魂胆が見える気がする」と思えるものも混じっていました。ま、記者の大部分は「どうせ暇なんだ。一刻のエンターテインメントと思えばいいじゃないか」という大人の対応ができる集団でした。
 さて、与太話かそれとも貴重な情報なのか、いまだに決めかねていることが一つあります。「アラブ圏では、日本語の羊に当る言葉がない」というのです。我々は大体の羊のイメージを頭に描いており、会話の中で「ひつじ」といえばまず誤解なく、一発でこちらの意図したヒツジのイメージが聴き手の頭の中にも浮かびます。誤解が生じる怖れはまずありません。だが遊牧の民として何百年も羊と共に暮らし、いろいろな種類の羊を家族のように感じてきた多くのアラブ人たちにとって、「ヒツジ」という呼び名は「情がこもっていない」と感じられるのだそうです。よそよそしく「他人行儀」だというのです。何十種類もあるヒツジを、種類で分けて呼んでいるのだと言います。これを話してくれた記者は、「そうか、そういうものかも知れないな。異文化圏同士のコミュニケーションというのは、よほど慎重でなければならないな」と相槌を打っている他社の記者たちの反応に、悪乗りしたのかどうか分かりませんが、もう一つ「付録(おまけ)」を付け加えました。
 「アラブではタイやヒラメやニシンのように、個々の形状によって魚の呼び名を変える「芸の細かい文化はない。普通に泳いでいるのはすべてサカナだ。これはまあ、サカナ音痴といった方がよいのかも知れないけどね」と、我々を安心(?)させてくれました。
しかしこの情報も少し怪しい気がします。ほどほどに聞いて役立ててください。


毎日伸びてゆく東京タワーの向こうに未来を見ていた日々

2022-01-29 12:07:14 | 超日常的な事への想像力
 「今の日本の若者の最大の悩みは、自分が一体何をしたいのかが分からないことだ」と言われ出してから、ずいぶん日が経ちます。かれこれ20年は過ぎているでしょう。マスコミは若者に取材してそう伝えますし、そうしたマスコミ報道に接した若者はまたその影響を受けて「やっぱりそうか。自分だけじゃないんだな」と納得しています。こうしたあきらめというか、変な納得が社会に広がる結果、「何が何でも現状を打破して見せる。自分が「これだ!」と思える未來を切り開くのだ」といった夢や野心を抱く若者は、昔に比べるとうんと少なくなっています。一方、中国の若者などは「大金持ちになって見せる」と本気で思い込み、夢を現実にした成功例が周囲にいるだけに「元気がいい」と見る人が多いようです。

 「無気力に陥った者の悩みや苦しみは当事者でなければ分かりません」。軽々しく物を言いたくはありませんが、「参考までに」解決法の一つ二つを申し上げます。一つは「近親者(両親や祖父母)を徹底的に幸せにすることが自分の使命であり、それが自分の幸せに跳ね返ってくる」と割り切り信じきること。私の教え子の一人は、就職してから間もなく結婚し、たちまち三人の子供をもうけました。両親の家の敷地は広く、ここに若夫婦向けの家を新築して住んでいます。孫の成長ぶりを毎日見るのが最大の幸せと感じる祖父母の愛をいっぱい身に受けて育つ3人の子供たち。彼らへの責任感から、パパの会社での仕事も充実しているようです。毎年もらう年賀状を見るとそれが分かります。

 もう一つの例は、日常から離れた遠い未来を見ることです。20代のころ、私はどうしてもテレビ局員になりたくて、入社試験をうけました。定員は50人。筆記試験の受験者はたしか4000人でした。そのころ翌年に開局を控えた2つの新局は、新しく完成する東京タワーから電波を発信することが決まっていました。タワーは毎日少しずつ伸びてゆきました。「あのタワーが完成すれば、自分はそこからほど近い六本木のテレビ局で働くのだ」という思いが胸に満ちて来た日々でした。タワーがくれた自己催眠の効果に、今もかぎりない感謝の念を抱いています。

英悟上達の秘法ーー語られざる決め手

2022-01-25 11:29:37 | 超日常的な事への想像力
 前回は、会話という英単語の元々の意味は「韻文(いんぶん=詩)を共にする」ことにあるーーと申し上げました。こういう着眼は、あるいはすでに誰かが発表しているかも知れず、今さら大発見のごとく口にするのもはばかられるとの思いから、ずいぶん控え目な記事になりました。すると「筆者がこれほどへりくだった言い方をしているのだから、大した記事ではないのだろう」と思う人が出てくるのは当然です。読者数は私の予測をだいぶ下回っていました。

 やはりこういう着眼は、もっと堂々と胸を張って、「あなたの長年の思い違いを一気に正す発見」とか、「外国語(欧米語)の達人は日本や中国の詩歌(しいか)からも多くを学んできた」「方針を変えて英語の詩歌を丸暗記したことで、英語の達人となった大学教授」といった具合に、具体的に目に見える成果を語るだけの「強さ」も必要だと痛感したしだいです。自分の体験を語れば、いままで日本及び外国の詩歌について、全くの無知・無関心だった女子学生が、心機一転して詩集などを読み
始めた結果、一流のテレビ局の入社試験に無事に合格した例があります。「語るからには堂々と、迫力ある語り方をせよ」というのが、この時に学んだ教訓でした。