F1も短いシーズンオフが終わり、開幕戦が今度の週末には行われます。冬の間は前回まで紹介した書籍なども読んでいましたが、それ以外にも読んでいた本のことをご紹介します。
1 「ひとりぼっちの風雲児 私が敬愛した本田宗一郎との35年」 中村良夫著 山海堂
こちらは冬に古書で買いました。本書はホンダの創業者・本田宗一郎氏の没後、第一期F1活動の監督でもあった中村良夫氏が版元からの依頼を受け、著者を通して見た「ボス」である本田宗一郎の実像についてつづった内容となっています。「敬愛する」という言葉のとおり、技術論争をしても不思議な人間的魅力があったと述べていますし、通産省(当時)が貿易振興と国内産業の保護を目的に企図した「特定産業振興臨時措置法」が通過してしまうとホンダが四輪車の製造に参入できないと知るや、通産省に一升瓶を片手に乗り込み、官僚たちを一喝したという話を聞き「本田宗一郎さんだからこそ、それができたのであり、余人ができる芸当ではない」とも記しています(結果としてこの法案は廃案となり、ホンダは世界的な自動車企業になったわけですが)。
しかし、四輪車に関する技術的な知識は1920年代のままだったと手厳しい評価をしていますし(初期の乗用車がチェーンドライブを採用していましたね)、空冷か液冷かという論争に関しては、本人の意思というより外部から焚きつけられて空冷にこだわったのでは、と指摘しています。このあたりが「本田宗一郎信者」にとっては耳の痛いところかもしれません。
人間ですから長所も短所もあるわけですが、それでも著者の家族が入院していれば気遣う一面もありますし、著者にとってもぶつかることはあっても、ボスとして尊敬していたというところでしょう。ただ、世間で語られる「本田宗一郎像」というのが、本田技研が飛躍するためにナンバー2であった藤沢武夫氏によって鋳込まれた虚像という指摘もまた、著者だからこそ言えることなのでしょう。
F1との関わりについても、空冷マシンが持ち込まれたことで1968年シーズンをフイにしてしまったことを(本書が書かれた)四半世紀後でもかなり悔やんでいますし、世間で言われるところの「潔く身を引いた」はずの本田宗一郎氏が第二期F1参戦時も中村氏を呼び出して「君から現場にこう指示してくれ」というような「介入」もあったようです。中村氏はそれに応えず、ボスの認識の誤りに対しては長い時間かけて説得したこともありました。
そして、前回のベッテルが「神がデザインした」鈴鹿サーキットについては「日本のクルマ社会のためにも、誰かがコースを作らなければならなかった」と述べています。それもまた、本田宗一郎、藤沢武夫という名コンビがいたからこそ、ということなのでしょう。今となっては入手が難しい本ではありますが、機会がありましたらぜひ読んでいただきたいと思います。
2 いつかはF1 (中嶋悟著 日経BP)
本書は2021年に日経新聞の「私の履歴書」に掲載の内容に加筆したもので、生い立ちからレース活動、引退後の日々、自動車、モータースポーツへの思いなども綴られています。特に生い立ちからF1のデビュー年あたりまでは、海老沢泰久著「F1走る魂」にも詳しいのですが、本書では本人提供の写真なども多いですし「走る魂」ではあまり触れられていないところも含めて記載がありました。また、日経新聞らしく(?)お金の話についてもところどころ記載があります。国内F2ドライバー時代の収入のことや、F1引退後に運営することになったF3000チームの懐事情など、知らなかったこともずいぶんありました。また、語るには生々しいのか言葉を濁してはいますが、引退後にホンダの第三期参戦と並行して持ち上がったティレルチームの買収話についても触れています。
「私の履歴書」というと「誰それさんにはお世話になった」みたいな記述が必ずあるわけですが、ここではセイコーエプソンとの関係が語られています。もともとF2時代のスポンサーの一つだったのですが、ネスカフェのCMにカーデザイナーの由良卓也氏が出演した際に、氏がデザインしたマシンを中嶋が駆るシーンがありました。そこにエプソンのロゴが入っていたので、ブランドイメージの向上に一役買ったということで、エプソンにとってもありがたかったようです。YouTubeでこのCMを見ることができますが、中嶋本人も出演しています。
現役時代のことも興味深く読みましたが、シューマッハの登場を「レースはフィジカルな競技であることを前提に、若いころから計画的にそれに見合う用意をしてきた「アスリート・レーサー」」の先駆けと評しています。90年代以降、今に至るまで、暑かろうが長丁場だろうが、ゴールしても涼しい顔で表彰台の上で飛び跳ねる余力があるほどのドライバーが増えています。昔はチェッカーを受けるとヘロヘロになっていたり、表彰台でぐったりしているようなドライバーも多かったのですが、今は若いうちからみんなトレーニングの重要性を理解し、実践しているということでしょう。
レースのことだけでなく、F1時代に過ごしたイギリスでの暮らし、子供たちのこと、ヨーロッパの道のドライビング、これからのレースの在り方、さらには故・本田宗一郎氏のことなど、さまざまな話題に触れています。時に鋭い指摘もありますが、それぞれがとてもよくまとまっていますので、読みやすい好著となっています。それから、本書のタイトル「いつかはF1」ですが、著者が1978年のイギリスGPの前座で行われたF3レースに参戦し、後方からスタートした直後に事故に巻き込まれ、派手なクラッシュを演じた際に(こちらも動画で見ることができます)、いつかはここでF1に、という思いをいだいたことに由来します。この時に同じレースに出ていたのが後にチームメイトとなるネルソン・ピケですが、ピケから中嶋のクラッシュの原因になった事故の驚きの真相が語られます。そのあたりのことも、本書に触れられています。
このところモータースポーツ関連の記事が続きましたが、次回からはまたそれ以外の乗り物の話になると思います。
1 「ひとりぼっちの風雲児 私が敬愛した本田宗一郎との35年」 中村良夫著 山海堂
こちらは冬に古書で買いました。本書はホンダの創業者・本田宗一郎氏の没後、第一期F1活動の監督でもあった中村良夫氏が版元からの依頼を受け、著者を通して見た「ボス」である本田宗一郎の実像についてつづった内容となっています。「敬愛する」という言葉のとおり、技術論争をしても不思議な人間的魅力があったと述べていますし、通産省(当時)が貿易振興と国内産業の保護を目的に企図した「特定産業振興臨時措置法」が通過してしまうとホンダが四輪車の製造に参入できないと知るや、通産省に一升瓶を片手に乗り込み、官僚たちを一喝したという話を聞き「本田宗一郎さんだからこそ、それができたのであり、余人ができる芸当ではない」とも記しています(結果としてこの法案は廃案となり、ホンダは世界的な自動車企業になったわけですが)。
しかし、四輪車に関する技術的な知識は1920年代のままだったと手厳しい評価をしていますし(初期の乗用車がチェーンドライブを採用していましたね)、空冷か液冷かという論争に関しては、本人の意思というより外部から焚きつけられて空冷にこだわったのでは、と指摘しています。このあたりが「本田宗一郎信者」にとっては耳の痛いところかもしれません。
人間ですから長所も短所もあるわけですが、それでも著者の家族が入院していれば気遣う一面もありますし、著者にとってもぶつかることはあっても、ボスとして尊敬していたというところでしょう。ただ、世間で語られる「本田宗一郎像」というのが、本田技研が飛躍するためにナンバー2であった藤沢武夫氏によって鋳込まれた虚像という指摘もまた、著者だからこそ言えることなのでしょう。
F1との関わりについても、空冷マシンが持ち込まれたことで1968年シーズンをフイにしてしまったことを(本書が書かれた)四半世紀後でもかなり悔やんでいますし、世間で言われるところの「潔く身を引いた」はずの本田宗一郎氏が第二期F1参戦時も中村氏を呼び出して「君から現場にこう指示してくれ」というような「介入」もあったようです。中村氏はそれに応えず、ボスの認識の誤りに対しては長い時間かけて説得したこともありました。
そして、前回のベッテルが「神がデザインした」鈴鹿サーキットについては「日本のクルマ社会のためにも、誰かがコースを作らなければならなかった」と述べています。それもまた、本田宗一郎、藤沢武夫という名コンビがいたからこそ、ということなのでしょう。今となっては入手が難しい本ではありますが、機会がありましたらぜひ読んでいただきたいと思います。
2 いつかはF1 (中嶋悟著 日経BP)
本書は2021年に日経新聞の「私の履歴書」に掲載の内容に加筆したもので、生い立ちからレース活動、引退後の日々、自動車、モータースポーツへの思いなども綴られています。特に生い立ちからF1のデビュー年あたりまでは、海老沢泰久著「F1走る魂」にも詳しいのですが、本書では本人提供の写真なども多いですし「走る魂」ではあまり触れられていないところも含めて記載がありました。また、日経新聞らしく(?)お金の話についてもところどころ記載があります。国内F2ドライバー時代の収入のことや、F1引退後に運営することになったF3000チームの懐事情など、知らなかったこともずいぶんありました。また、語るには生々しいのか言葉を濁してはいますが、引退後にホンダの第三期参戦と並行して持ち上がったティレルチームの買収話についても触れています。
「私の履歴書」というと「誰それさんにはお世話になった」みたいな記述が必ずあるわけですが、ここではセイコーエプソンとの関係が語られています。もともとF2時代のスポンサーの一つだったのですが、ネスカフェのCMにカーデザイナーの由良卓也氏が出演した際に、氏がデザインしたマシンを中嶋が駆るシーンがありました。そこにエプソンのロゴが入っていたので、ブランドイメージの向上に一役買ったということで、エプソンにとってもありがたかったようです。YouTubeでこのCMを見ることができますが、中嶋本人も出演しています。
現役時代のことも興味深く読みましたが、シューマッハの登場を「レースはフィジカルな競技であることを前提に、若いころから計画的にそれに見合う用意をしてきた「アスリート・レーサー」」の先駆けと評しています。90年代以降、今に至るまで、暑かろうが長丁場だろうが、ゴールしても涼しい顔で表彰台の上で飛び跳ねる余力があるほどのドライバーが増えています。昔はチェッカーを受けるとヘロヘロになっていたり、表彰台でぐったりしているようなドライバーも多かったのですが、今は若いうちからみんなトレーニングの重要性を理解し、実践しているということでしょう。
レースのことだけでなく、F1時代に過ごしたイギリスでの暮らし、子供たちのこと、ヨーロッパの道のドライビング、これからのレースの在り方、さらには故・本田宗一郎氏のことなど、さまざまな話題に触れています。時に鋭い指摘もありますが、それぞれがとてもよくまとまっていますので、読みやすい好著となっています。それから、本書のタイトル「いつかはF1」ですが、著者が1978年のイギリスGPの前座で行われたF3レースに参戦し、後方からスタートした直後に事故に巻き込まれ、派手なクラッシュを演じた際に(こちらも動画で見ることができます)、いつかはここでF1に、という思いをいだいたことに由来します。この時に同じレースに出ていたのが後にチームメイトとなるネルソン・ピケですが、ピケから中嶋のクラッシュの原因になった事故の驚きの真相が語られます。そのあたりのことも、本書に触れられています。
このところモータースポーツ関連の記事が続きましたが、次回からはまたそれ以外の乗り物の話になると思います。