今月はF1日本グランプリが予定されていましたが、コロナ禍の中で中止となりました。それでも毎年このブログではF1ネタの記事を書いているので、今月もいろいろ書きたいことがあったのですが、衝撃のニュースが入ってきました。既に報じられているとおり、ホンダが2021年を以てF1から撤退することが決まりました。私は関係者でもありませんので、撤退の理由や真意についてここでどうこう書くことはしませんし、現場で戦っているスタッフが、やはり一番残念に思っているのではないかと思います。一般紙が撤退のニュースを報じて(優勝した時よりも大きな扱いで)おり、皆様もそれらをご覧になっていると思いますが、報道の中には少々焦点がぼやけているものもありました。このブログでネガティブな言い方はしないつもりなのですが、それでも一般紙には載っていない背景なども含めて、今回の撤退について触れたいと思います。
ホンダは1964(昭和39)年の初参戦から参戦と撤退を繰り返しており、2015(平成27)年からの参戦が第四期と言われています。この第四期参戦、当初はいばらの道であり、優勝できるようになったのは参戦5シーズン目の昨年でした。ここまで時間がかかったのには様々な要因があるわけですが、第三期の撤退(2008年)から第四期の参入までの間にF1が大きく変わっていたことも理由の一つかと思います。マシンの動力は自然吸気のガソリンエンジンから1.6リッターハイブリッドターボとなり、もはやエンジンではなく、パワーユニットと呼ばれています。第二期(1980年代から90年代初頭にかけて)の撤退から第三期の参入の間はホンダと縁のある無限がエンジン供給をすることでノウハウが蓄積されていましたが、今回はそういったことも無い中での復帰で、手探りの中でパワーユニットを開発したわけです。
昨年、レッドブルとのコンビで復帰後初優勝を遂げたわけですが、チャンピオンのメルセデスと時に互角に戦い、大いに評価を上げました。今年もやや苦戦はしていますが、それでもパワーユニットを供給している二つのチームがそれぞれ勝つという1987(昭和62)年シーズン(このときはウィリアムズとロータス)以来の快挙もなしとげています。そうは言ってもチームの目標はシーズンのチャンピオンでしょうし、参戦最後となる来季にそれが達成できるのか、見守るしかありません。
撤退について、膨張する開発費用との関連も報じられています。よくマスコミが引き合いに出す1988(昭和63)年シーズンの16戦15勝など、第二期参戦時は一つのグランプリに二人のドライバー分とは言え両手では済まない数のエンジンを持ち込み、レースによっては鈴鹿スペシャル、などと特別にアップデートを施すこともしていました。今では一年間に使用できるパワーユニット、各部品の数に大幅な制限がかけられていますし、サーキットのテストの日数も限られています。以前、私の本業で出会ったホンダの協力会社の方から聞きましたが「第二期のときは短納期でパーツを改良してほしいといった要請がシーズン中によくあった」そうですが、そういうことも難しくなっています。
第二期参戦の頃などは、車体を作るチームの予算が年間数十億で運営できたのが、今では桁が一つ増えており、これはパワーユニットを提供する自動車メーカーも同じようです。昔のように実車でテストはできない、持ち込めるエンジン数に限りがある、といった中で果たして何が開発・参戦費用を押し上げているのか、レース数が増えたから、というわけでもなさそうで、私のような素人には分かりかねるところでもあります。年間数百億も使うスポーツ、というのはやはり何か正常とは言えないのではないか、とも思ったりするのです。余談になりますが第二期の終わり頃から「多気筒のエンジンを作って燃料をガンガン燃やして、車体が多少うまくなくてもエンジンの力で勝つ」のではなく、エンジンだけでなく車体の空力性能や足回りなどとトータルで考えたチームが強く、その傾向は今でも変わりません。第二期はライバルにトータルの面で「負けて」撤退しましたが、そのあたりの解説も一般紙ではないので、書かせていただきました。
それから、2021年シーズンを以て撤退、というのも意味のあるところです。F1は数年に一度、大きな規定改正が行われることが多く、2022年から新しい規定でマシンやパワーユニットの開発が行われることになっています。つまりホンダはこれには乗らない、という意思表示なわけですから、新しい規定が有効な数年のうちに戻ってくるということは、ちょっと考えにくいと思います。
2021年というのはもう一つ気になることがあり、鈴鹿での日本グランプリの開催契約が2021年までと言われています。では2022年以降はどうなるか、もちろんホンダが参戦していない期間もF1は開催されましたが、コロナ後の世界で日本がどのような立ち位置になっているのかも含めて、引き続き開催されるかどうかはなんとも読めないところではあります。ドライバーからもファンからも愛されているコースですので、開催を期待したいところですが・・・。
パワーユニット、サーキットの話をしましたが、ドライバーについても気がかりなことがあります。ホンダの支援を受けてF1直下のカテゴリーのF2で活躍している角田選手はランキング上位につけ、F1進級の可能性も出ています。ホンダのF1撤退が今後のレース活動のマイナスにならないことを祈ります。なお、F1出走のためのライセンス発給については対象となるカテゴリーの成績で厳格にランク付けされているので、昔のように国際F3000に何度か出走すればOK、とはいかなくなっています。また、F1に乗れる人数も10チーム、20人ですから、かつてのように弱小チームも含めて30台以上が出走して予備予選からひしめき合っている時代と比べて「椅子取りゲーム」も厳しくなっていますし、F1に乗れたとしても成績次第ではシートを失う危険もあるわけです。
また、ファンなら知っていることですが、前回の第三期の撤退に関して一つ。第三期は車体、エンジンの両方をホンダで開発しての参戦でしたが、リーマンショックのあおりを受け、2008(平成20)年で撤退しました。このとき、既に翌2009年用の車体の開発も済ませており、これを引き継いでメルセデスのエンジンを積んだ「ブラウンGP」というチームが大活躍を見せ、ジェンソン・バトンのドライブでタイトルを獲得しています。さらにそのチームをメルセデスが引き継ぎ、今に至っております。ホンダもこの時は来季に向けて手ごたえがあった中での急な撤退でしたので、残念に感じていた方も多かったのではないでしょうか。
今回の撤退に関してはファンの間から「なぜ、どうして」という声も聞かれています。全く歯が立たなくて撤退するのではなく、タイトルという「頂上」がなんとなく見えている中での撤退ですから、そう思う気持ちは私の中にもあります。今回はパワーユニットのみの参戦ですが、レッドブルとアルファタウリの両チームがホンダの去った後にどのメーカーと組むのか、ホンダの「遺産」がどこかに活かされるのか、それも注目したいところではあります。
ホンダは1964(昭和39)年の初参戦から参戦と撤退を繰り返しており、2015(平成27)年からの参戦が第四期と言われています。この第四期参戦、当初はいばらの道であり、優勝できるようになったのは参戦5シーズン目の昨年でした。ここまで時間がかかったのには様々な要因があるわけですが、第三期の撤退(2008年)から第四期の参入までの間にF1が大きく変わっていたことも理由の一つかと思います。マシンの動力は自然吸気のガソリンエンジンから1.6リッターハイブリッドターボとなり、もはやエンジンではなく、パワーユニットと呼ばれています。第二期(1980年代から90年代初頭にかけて)の撤退から第三期の参入の間はホンダと縁のある無限がエンジン供給をすることでノウハウが蓄積されていましたが、今回はそういったことも無い中での復帰で、手探りの中でパワーユニットを開発したわけです。
昨年、レッドブルとのコンビで復帰後初優勝を遂げたわけですが、チャンピオンのメルセデスと時に互角に戦い、大いに評価を上げました。今年もやや苦戦はしていますが、それでもパワーユニットを供給している二つのチームがそれぞれ勝つという1987(昭和62)年シーズン(このときはウィリアムズとロータス)以来の快挙もなしとげています。そうは言ってもチームの目標はシーズンのチャンピオンでしょうし、参戦最後となる来季にそれが達成できるのか、見守るしかありません。
撤退について、膨張する開発費用との関連も報じられています。よくマスコミが引き合いに出す1988(昭和63)年シーズンの16戦15勝など、第二期参戦時は一つのグランプリに二人のドライバー分とは言え両手では済まない数のエンジンを持ち込み、レースによっては鈴鹿スペシャル、などと特別にアップデートを施すこともしていました。今では一年間に使用できるパワーユニット、各部品の数に大幅な制限がかけられていますし、サーキットのテストの日数も限られています。以前、私の本業で出会ったホンダの協力会社の方から聞きましたが「第二期のときは短納期でパーツを改良してほしいといった要請がシーズン中によくあった」そうですが、そういうことも難しくなっています。
第二期参戦の頃などは、車体を作るチームの予算が年間数十億で運営できたのが、今では桁が一つ増えており、これはパワーユニットを提供する自動車メーカーも同じようです。昔のように実車でテストはできない、持ち込めるエンジン数に限りがある、といった中で果たして何が開発・参戦費用を押し上げているのか、レース数が増えたから、というわけでもなさそうで、私のような素人には分かりかねるところでもあります。年間数百億も使うスポーツ、というのはやはり何か正常とは言えないのではないか、とも思ったりするのです。余談になりますが第二期の終わり頃から「多気筒のエンジンを作って燃料をガンガン燃やして、車体が多少うまくなくてもエンジンの力で勝つ」のではなく、エンジンだけでなく車体の空力性能や足回りなどとトータルで考えたチームが強く、その傾向は今でも変わりません。第二期はライバルにトータルの面で「負けて」撤退しましたが、そのあたりの解説も一般紙ではないので、書かせていただきました。
それから、2021年シーズンを以て撤退、というのも意味のあるところです。F1は数年に一度、大きな規定改正が行われることが多く、2022年から新しい規定でマシンやパワーユニットの開発が行われることになっています。つまりホンダはこれには乗らない、という意思表示なわけですから、新しい規定が有効な数年のうちに戻ってくるということは、ちょっと考えにくいと思います。
2021年というのはもう一つ気になることがあり、鈴鹿での日本グランプリの開催契約が2021年までと言われています。では2022年以降はどうなるか、もちろんホンダが参戦していない期間もF1は開催されましたが、コロナ後の世界で日本がどのような立ち位置になっているのかも含めて、引き続き開催されるかどうかはなんとも読めないところではあります。ドライバーからもファンからも愛されているコースですので、開催を期待したいところですが・・・。
パワーユニット、サーキットの話をしましたが、ドライバーについても気がかりなことがあります。ホンダの支援を受けてF1直下のカテゴリーのF2で活躍している角田選手はランキング上位につけ、F1進級の可能性も出ています。ホンダのF1撤退が今後のレース活動のマイナスにならないことを祈ります。なお、F1出走のためのライセンス発給については対象となるカテゴリーの成績で厳格にランク付けされているので、昔のように国際F3000に何度か出走すればOK、とはいかなくなっています。また、F1に乗れる人数も10チーム、20人ですから、かつてのように弱小チームも含めて30台以上が出走して予備予選からひしめき合っている時代と比べて「椅子取りゲーム」も厳しくなっていますし、F1に乗れたとしても成績次第ではシートを失う危険もあるわけです。
また、ファンなら知っていることですが、前回の第三期の撤退に関して一つ。第三期は車体、エンジンの両方をホンダで開発しての参戦でしたが、リーマンショックのあおりを受け、2008(平成20)年で撤退しました。このとき、既に翌2009年用の車体の開発も済ませており、これを引き継いでメルセデスのエンジンを積んだ「ブラウンGP」というチームが大活躍を見せ、ジェンソン・バトンのドライブでタイトルを獲得しています。さらにそのチームをメルセデスが引き継ぎ、今に至っております。ホンダもこの時は来季に向けて手ごたえがあった中での急な撤退でしたので、残念に感じていた方も多かったのではないでしょうか。
今回の撤退に関してはファンの間から「なぜ、どうして」という声も聞かれています。全く歯が立たなくて撤退するのではなく、タイトルという「頂上」がなんとなく見えている中での撤退ですから、そう思う気持ちは私の中にもあります。今回はパワーユニットのみの参戦ですが、レッドブルとアルファタウリの両チームがホンダの去った後にどのメーカーと組むのか、ホンダの「遺産」がどこかに活かされるのか、それも注目したいところではあります。