ほんまに立派なお寺でした。
東京港区の「増上寺」
1393年に(現在の千代田区に)開かれ、
1590年から徳川家の菩提寺に。1598年、現在の芝の地に移転。
家康は1616年、増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75歳で没した。
増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、
十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所がある。
墓所には各公の正室と側室の墓ももうけられているが、
その中には家茂公正室で悲劇の皇女として知られる静寛院和宮も含まれている。
現存する徳川家墓所は、門が本来家宣公の墓前にあった鋳抜き(鋳造)の中門(なかもん)で、
内部に各公の石塔と各大名寄進の石灯籠が配置されている。
▼徳川家の霊廟。
葵のご紋です。
▼そしていちばん印象に残ったのがこれです。
赤い帽子をかぶったお地蔵さんがずらりと並んでいました。
あたりは暗くなっているし、これは水子地蔵さんやろうか、と少し気後れ(?)しながら写真。
帰ってから調べたら
「千躰子育地蔵」
子育て安産に霊験あらたかとされる西向観音にちなみ、
子どもの無事成長、健康を願ったものだそうです。
みんな風車をもっているのがふしぎでした。
▼安国殿
▼大殿 ← 修理中のようでした。この辺で帰らなきゃ。
▼浜松町の方向に歩き始めたら、車が行き交う道路上にそびえていました。
「大門」
▼そろそろ山手線の浜松町です。
わ、立ち飲み屋さん。おおっぴらです。
大阪のは、のれんが長くて顔が見えないようになっているのが
多いのですが。
▼わ、ロングロングリムジン。初めて見た~とカメラかまえて、お上りさん状態デス。
▼品川駅で見た郵便ポスト。
東京の街。公園が多いんだなぁと思いつつ
帰路に。
金曜日18時。やっぱり新幹線はラッシュタイム。
やっととれた席は、三人席の真ん中。
ずっと窮屈だったので、翌日、ちょっと筋肉痛に。
東京港区の「増上寺」
1393年に(現在の千代田区に)開かれ、
1590年から徳川家の菩提寺に。1598年、現在の芝の地に移転。
家康は1616年、増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75歳で没した。
増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、
十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所がある。
墓所には各公の正室と側室の墓ももうけられているが、
その中には家茂公正室で悲劇の皇女として知られる静寛院和宮も含まれている。
現存する徳川家墓所は、門が本来家宣公の墓前にあった鋳抜き(鋳造)の中門(なかもん)で、
内部に各公の石塔と各大名寄進の石灯籠が配置されている。
▼徳川家の霊廟。
葵のご紋です。
▼そしていちばん印象に残ったのがこれです。
赤い帽子をかぶったお地蔵さんがずらりと並んでいました。
あたりは暗くなっているし、これは水子地蔵さんやろうか、と少し気後れ(?)しながら写真。
帰ってから調べたら
「千躰子育地蔵」
子育て安産に霊験あらたかとされる西向観音にちなみ、
子どもの無事成長、健康を願ったものだそうです。
みんな風車をもっているのがふしぎでした。
▼安国殿
▼大殿 ← 修理中のようでした。この辺で帰らなきゃ。
▼浜松町の方向に歩き始めたら、車が行き交う道路上にそびえていました。
「大門」
▼そろそろ山手線の浜松町です。
わ、立ち飲み屋さん。おおっぴらです。
大阪のは、のれんが長くて顔が見えないようになっているのが
多いのですが。
▼わ、ロングロングリムジン。初めて見た~とカメラかまえて、お上りさん状態デス。
▼品川駅で見た郵便ポスト。
東京の街。公園が多いんだなぁと思いつつ
帰路に。
金曜日18時。やっぱり新幹線はラッシュタイム。
やっととれた席は、三人席の真ん中。
ずっと窮屈だったので、翌日、ちょっと筋肉痛に。
参加しています。クリックで応援お願いしま~す。 ●人気blogランキングへ● |